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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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 娘どころか女房にも、刺繍入りの贈り物なんぞ貰ったことはない。俺の胸がじんわりと熱くなった。
「おじさんが初めてだったから」
「―」
 彼女が俺を真っすぐに見つめた。
「女でも本が読みたければ読めば良いって。今のままで変わらないで良いと言ってくれた初めての人だったの。今まで、そんなことを言ってくれた人は周りに誰もいなかった。だから、嬉しくて」
「ありがとうよ。最初にも言ったように、女であろうが、本を読みたいと思えば読めば良い。また、いつでも来なさい」
「はい」
 彼女はにこりと笑うと、踵を返した、。まったく花がほこぶような笑みではないか!
 あと数年経てば、都中の若い男が彼女に求婚するために屋敷の前に行列を作るに違いない。
 跳ねるように駆けてゆくその小さな後ろ姿に思わず声を掛けていた。
「名前は? お嬢ちゃん、名前は何というんだい?」
 彼女が走る度に、後ろで一つに結わえていた黒檀の長い髪も揺れる。その愛らしい蝶の飾りをつけた髪が動かなくなった。
 くるりと振り返り、彼女は満面の笑みで返してきた。
「チン・ファソン」
「ファソン、か」
 水仙の花のような美少女にはふさわしい名前だ。
 彼女の姿が細い路地の角を曲がり見えなくなるまで、俺は店の前に佇み見送った。
 そろそろ傾き始めた夏の陽のせいで、斜向かいの筆屋の建物が地面に長く伸びている。その影を眼を細めて見つめていると、彼女が消えた角を曲がり、今度は別の人物が姿を現した。
「まったく、今日は珍客が次々と来るもんだ」
 花のような美少女の次は、美しい両班の若さまと来たもんだ。十五歳ほどのその少年は迷いもない足取りでこちらに向かってくる。
「ご主人」
 気取った大人びた声を出そうとしているが、まだまだ子どもの名残を残したこの若君もまた?曹さんの本屋?の常連の一人だ。
「朴家の若さま、しばらく姿を見なかったね。忙しかったのかい」
「色々と。これでも、やらなければならないことがあるんですよ」
「そうだろうな、なかなか、若さまも肩の凝る仕事をしてなさるもんな」
 俺はそう言うと、若さまに笑いかけた。
「若さまから頼まれていた本は入ってますよ」
「真か?」
 若さまは眼をキラキラさせている。この朝鮮の明日を担うべき若者が恋愛小説を読み耽り、両班家の深窓の令嬢が難しい漢籍を読みたがる。
 別に少しも悪いことではないのに、二人ともに大人に隠れてこそこそと悪いことをしているかのようにふるまわなけれはならない。
「嬉しいな。ずっと読みたいと思っていたんだ」
 俺は?春香伝?と書かれた表紙の貸本を若さまに渡した。
 ?春香伝?は今、都で大流行している小説だ。妓生の娘春香と両班の子息夢龍との恋愛譚だ。しかし、こういう類の読み物はれきとした男子は読んではならないというのが今の世のならいである。恋愛小説に夢中になるのは女子どもだけ、しかも両班家の慎ましい女性はこのような愛欲を描いた淫らな小説を読むべきではないと、女性でも身分の高い社会では禁忌とされている。
「今日は若いお客が立て続けにお見えでね。若さま、先刻、角のところで両班の可愛いお嬢さんを見かけなかったかい?」
 俺の問いに、若さまは首を傾げた。
「さあ、そういえば、女の子とすれちがった気もするけど」
 若さまは顔を輝かせた。
「それよりも、?春香伝?! 少しここで読んでいっても良い?」
 俺は内心、頬をゆるめた。この若さまは、まだまだ何と言っても、子どもだな。年頃の男なら、少しばかり綺麗な女の子には眼を向けまいとしても視線が吸い寄せられるものだが。いや、俺なんて、このくらいの歳には近所の年上の美人が気になって仕方なかったから、色恋よりは小説の方に興味がある若さまは少し風変わりなのかもしれない。
 若さまも難儀なことだ、自分の?家? に帰れば読みたい本が思うように読めなないのは、あの小さなお嬢さんと同じ境遇か。
 つくづく俺は両班なんぞに生まれなくて良かったし、仕官しなかったのは正解だった。読みたい本を好きなだけ読み、学びたいことを学べる。まさに、王宮の奥深くにお住まいの王さまよりも小さな古本屋の方が幸せじゃないか?
 それよりも、今、まさに俺の前で?春香伝?を夢中になって読んでいるこの若さまがそも何者なのか、その正体を知ったら誰もが腰を抜かすに違いない。
「おお、そうだ。若さまの好物があるよ」
 俺は店の奥に引っ込んで、昼飯代わりに近くの露店で買っておいた揚げパンを袋ごと持ってきた。 
「どうぞ」
 一つ取り出すと、若さまは更に嬉しげに笑う。
「かたじけない」
 大きな口を開けて揚げパンをほおばるその顔は、本人が幾ら子ども扱いされるのを嫌っても、まだ十五歳の子どもだ。俺から見たら、息子のようなこの少年がこの国の王さまだっていうんだから。
 だが、この若い王さまはまだ親に甘えていたい歳でその細い肩にたくさんの重いものを背負っていなさるんだ。だから、ひとときでもこの?曹さんの本屋?が若さまの息抜きの場所になれば良いと俺は思っている。
 なに、どうして下町の本屋の主人と王さまが知り合いになったかって?
 まあ、それも話せば長くなるが、結局はあの可愛いお嬢さんがうちの本屋に飛び込んでたのと似たような理由さ。この若さまが?曹さんの本屋?の評判を聞きつけて訪ねてきたのが始まりだ。
 その噂はあながち間違ってはいないぜ。店構えはたいしたことはないけれど、確かにうちの店にはありとあらゆる類の本が揃っている。
 ところで、俺は先ほど、この若さまの正体を知ったら愕くぞと言ったが、この先、俺自身ももっと愕く番狂わせが起こるんだ。
 チン・ファソン。その小さなお嬢さまが後にこの国の王妃、つまりは、この若さまの許に嫁ぐことになるとは俺自身、このときは想像もつかなかった。
 若さまは相変わらず、揚げパンをほおばりながら、本を読みふけっている。宮殿ならお堅い内官辺りが
―殿下、なりません。
 と諫めるんだろうが、生憎、ここは市井の小さな本屋だから、ここでは客には好きなように本を読んで貰うことにしているんだ。
 俺は本に夢中になっている若さまを残し、道に出てみる。
 あの小さなファソンは今頃、無事に屋敷に帰り着いているだろうか。願わくば彼女が父親に見つからないようにと祈ったのは、彼女のためだけではなく、俺自身ももまたあの聡明な少女と話してみたいと思ったからだ。
 見上げた空はいつの日か暖かな夕陽の色の染まっている。俺は珍しい客が続いた今日の午後を振り返りつつ、いつまでも夏の夕暮れ空を眺めていた。
 

 


『熱愛』


   初夜

 凜蓮は小さな鏡に映り込んだ自分の顔をしげしげと見つめ、軽い溜息をついた。
 女にとって嫁ぐというのは本来、生涯に一度しかないはずだ。けれども、凜蓮は既に一度嫁した経緯がある。しかも、立場上、?前夫?と呼ばれるのはあろうことか王宮にお住まいの国王さまだ。