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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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「凜蓮はわずかな間であっても、私の妻だった。仮にも縁(ゆかり)のあった女が健気に耐えているのを見て、不憫に思わぬはずがない。その気持ちを愛しいというのなら、私は凜蓮を愛しく思う」
 しまいに王はサスの耳許に口を近づけた。
「今度、彼女が後宮の女になったら、私は間違いなく彼女を抱くだろうな」
「ふざけるなッ。凜蓮は男から男へとやり取りするような女ではない。俺の妻は国王専用の妓生ではないのだ」
 サスが王に飛びかかった。上になったサスは王の横顔を力任せに殴りつける。
 凜蓮の悲鳴が響き渡った。
 だが、王もやられっ放しではない。
「やったな。惚れた惚れたと抜かす割には、惚れた女を信じてやることもできぬ腰抜けめが」
 今度は王がサスの横面を張り飛ばす。
 二人の男は上になり下になりで部屋中を転げ回った。

 凜蓮は漸く我に返り、涙声で叫んだ。何をどうしたら良いのか判らず、ただただ男たちが取っ組み合いを続けるのを茫然と眺めているしかなかった。
 王が今まで見たこともないほどの激情を露わにしている。後宮で凜蓮が見ていた賢宗はいつも穏やかな笑みを浮かべて、いかなることもにも動じない沈着さがあった。
 サスが国王に躊躇いもせずに挑み懸かっていったのも愕きなら、あの常に鷹揚な王がたかだか自分を巡っての話にここまで我を失うとは考えもしなかった。
 凜蓮はいまだに自分が若き王にどれほどの影響を与えているか気付いていない。だが、それは彼女が国王の許に戻る気がない以上、永遠に知らない方が良いことでもあった。
 まさに、信じられない光景である。
 だが、そんなことを言っている場合ではない。賢宗はこの国の王なのだ。むろん凜蓮は一時期、?良人?と呼んだ王を大切だと思っているが、若き王はそれ以上に国王として国や民にとって必要な人だ。王を傷つければ、サスは大罪人になってしまう。
 国王としての賢宗ではなく、ただの男として二人を見つめれば、どちらをより愛しいかは考えなくても判っている。
 そう思った瞬間、凜蓮は叫んだ。 
「止めて、止めて下さい」
 最初の呼びかけは二人の男に向けて、次はサスに縋るような眼を向けた。
「サス、その方がどなたか判っているの!」
 凜蓮はまたしても王に向かって拳を振り上げるサスを背後から抱きしめた。
「あなた、大逆罪で処刑されても良いの?」
「そなたをこの男に再び奪われるのを見るほどなら、俺は大逆罪で斬首された方がマシだ」
 言い放ったサスの下から、賢宗が這い出た。
「どうやら、応えは出たようだな」
 王は立ち上がり、乱れた襟元を直した。
「私が王であると判ってもなお、凜蓮を奪われまいと挑みかかってきた。そなたの凜蓮への想いの深さはよく判った。それほどまでに愛しているなら、大切に致せ。二度と泣かせるな。もしまた泣かせたら、そのときは有無を言わさず凜蓮を王宮に連れ戻すぞ」
「殿下」
 サスが息を呑んだ。
「もしや殿下は俺の心を試そうと―?」
 賢宗が淡い微笑を浮かべた。
「さあ、どうであろうな。私の妻もなかなか焼きもちやきだ。凜蓮を連れ帰ったは良いが、恐らく私は妻に責められて寿命を縮めることになろう」
 凜蓮、と、王はまだ涙の止まらない凜蓮に優しく呼びかけた。
「今度こそ幸せになるのだぞ。もし、こやつがそなたを泣かせたり他の女に現を抜かしたら、いつでも言ってこい。私が駆けつけて、こやつを懲らしめてやる」
「国王殿下、俺は殿下の玉体に傷を付けてしまいました。あってはならない罪を犯したのです。どうか相応の罰を与えて下さい」
 サスがその場に手をついた。
「あなた!」
 凜蓮が泣きながらサスに縋りつく。
「殿下、すべては私が悪いのです。私が良人に余計な疑いを抱かせるようなことをしたのです。罰するならば私を罰して下さいませ」
 懇願する凜蓮に賢宗の温かな声が降ってきた。
「サスにも申したはずだ。今日、私は国王としてここに来たのではない。かつて、そなたの良人であった男として、元妻が幸せに暮らせているかどうか確かめに参った。一人の男としてサスとは話したつもりゆえ、この際、私の立場は何の関係もないことだ。ゆえに、サスを罰する必要はない。凜蓮、この朝鮮国中で、一人の女を巡って争っておる男どもなど、恐らくごまんといるはずだ。そのような者どもをいちいちすべて罰するわけにもゆくまい」
 若き朝鮮国王、賢宗は静かに笑いながら去っていった。室の扉が静かに閉まり、サスと凜蓮は顔を見合わせた。
 どちらからともなく歩み寄り、固く抱き合う。
「サス、あなたに報告しなければならないことがあるの」
 凜蓮は良人の腕の中で、大好きな男の貌を見上げた。
「どうした、何かまだ心配なことでもあるのか?」
 サスの気遣わしげな顔に、凜蓮は微笑む。
「子どもができたのよ、私たち」
「子ども?」
 サスが眼を丸くしている。凜蓮は焦れったそうに言った。
「赤ちゃんができたのよ、あなた」
「まさか、あの祝言の夜のか?」
「そうみたい。今年の初秋には、私たちの子どもが生まれるの」
 凜蓮の弾んだ声に、サスの眼が潤んだ。
「そう、か。俺たちの子どもが」
 サスに強く抱きしめられ、凜蓮は喘ぐように言った。
「二度と放さないで。私はずっと、あなたの傍にいるから」
「王さまが戻ってこいと言ってもか?」
 囁くような声に、凜蓮は頷いた。
「私が好きなのは王さまではなく、サス、あなたなのよ」
 もう、絶対に離れない。凜蓮は静かな微笑を浮かべながらも、瞳に揺るぎない決意を滲ませて良人を見つめる。サスもまた彼女の強い想いを理解したのは間違いなく、うっすらとした微笑が普段はやや厳しさを帯びた面に上った。
 二人は声もなく見つめ合った。これまで理解し得なかった時間を埋めるかのようにひたすら見つめ合う。
 ただ、どれだけ見つめ合ったとしても、互いの瞳の底に溢れる優しさと愛しさしか見出すことはできなかった。
 サスの唇に静かに唇を塞がれる。三ヶ月ぶりの口付けは甘く烈しく、刻の経つのを恋人たちに忘れさせた。

 一方、酒場を後にした賢宗は両手を背後で組み、人通りの多い目抜き通りを歩いていた。
「今回は何か損な役回りだったな」
 王はまだ痛む右頬をなでさすりつつ、綺麗な眉を顰めた。
「馬鹿力め、何もあそこまで力を籠めて殴ることもないだろうに」
 だが、サスの気持ちも同じ男として理解できるような気はする。自分だって、最愛のファソンを他の男に奪われようとしたら、死に物狂いで恋敵に挑み懸かってゆくはずだ。
 当分はアザが残るに違いない。一体、何事が御身に起きたのかと大殿内官にして内官長のシム内官こと爺やはさぞ気を揉むだろう。
 サスの読みは正しかった。王が口にした言葉の大方はサスを挑発するためであり、彼の凜蓮への気持ちを確かめるためであった。
 だが。実のところ、サスが凜蓮を託すにふさわしからぬ男と知れれば、王は躊躇わず凜蓮を後宮に連れ帰るつもりであったのも事実である。
 凜蓮を愛しいと思うとサスに言い切ったあの科白はまったくの嘘ではなく、むしろ真実に近い―とは、宮殿で待つ妻には口が裂けても言えない。
 賢宗はふと思い立ち、目抜き通りから四辻を折れ、細い道を入った。