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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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 町中では辛うじて堪えていた涙がまた溢れた。泣き止もうとしても、堰を切ったように溢れて止まらない。
 泣き出した凜蓮を王が痛ましげに見つめた。
「私はそなたが幸せに暮らしているとばかり思っていたが」
 王はやるせなげな溜息をついた。
「悪いようにはしない、辛いことがあるのなら、言ってごらん」
凜蓮は泣き笑いにも見える表情で王を見上げた。
「あの夜と同じことをおっしゃるのですね」
「あの夜?」
 凜蓮はしゃくり上げながら、小さく頷いた。
「私が初めて大殿に参上した夜にございます」
「ああ、そなたと初めて過ごした夜のことだな」
 王はどこか遠い瞳で言った。その口調に懐かしむような響きがあるのは、気のせい?
 凜蓮が訝しげに見つめるのと、王が口を開いたのは同時だった。
「凜蓮、私は今度こそ、そなたが幸せな日々を過ごしているとばかり思っていた。後宮では、そなたは幸せにはなれなかった。私では、凜連を幸せにしてやることはできないと知っていたから、そなたを手放したのだ。私の読みは間違っていたのか?」
「いいえ、殿下。先日も申し上げましたように、私は今、幸せです。ずっと恋い慕った男とやっと一緒に暮らせるようになったのですから」
「ならば、何ゆえ、そんに哀しそうな表情をして、いつも泣いているんだ。昨日も、そなたは泣きそうな顔で町中に立っていた」
「それは」
 凜蓮は訥々と語った。サスは妻が後宮に入っていたという事実をなかなか受け容れられないこと、昨日、王とたまたま遭遇しただけなのに、情人と勘違いしてしまったこと。
 本当は話すべき立場の人ではないのかもしれない。けれど、同じ男として、王ならばサスの心を理解して何か具体的な解決策を教えて貰えるのではないかと考えたのだ。
 言うならば、凜蓮はそこまで追いつめられていた。
 王は黙って凜蓮の話を聞いていた。
 うつむく凜蓮は、次の瞬間、我が身に起こった出来事が信じられなかった。気が付けば、凜蓮は男の腕に抱きしめられていた。
「中殿を哀しませるのは私の本意ではない。さりながら、そのように辛そうな表情をするそなたをこのまま残してゆくこともできない。私の許へ―後宮に戻ってくるか?」
「殿下!」
 凜蓮が悲鳴のような声を上げた。
「このまま、そなたを王宮に攫ってゆこうか、凜蓮」
 王が言い終えるか終えないときだった。烈しい衝撃と共に、室の両開きの扉が開け放たれた。
 鈍く燦めく剣先が真っすぐに王に突きつけれられる。
「貴様、何者だ?」
 凜蓮が烈しくかぶりを振った。
「駄目、駄目よ、サス」
 王はその刃に動ずることもなく、真正面からサスの烈しい視線を静かに受け止めた。
「惚れた男と幸せに暮らしているとばかり思っていた凜蓮が哀しそうにしている」
「貴様には関係のない話だろう!」
 サスが声を荒げれば、王が静謐な声音で続けた。
「凜蓮は仮にも一度は妻と呼んだ女だ。捨て置けぬ」
「―っ」
 サスが息を呑んだ。長剣を持つ手が震え。やがて彼は剣を納めると、その場に跪いた。「もしや国王殿下にあらせられますか?」
「そうだと言ったら、どうなる」
 サスが口ごもった。王は一切の感情を排した声で淡々と告げた。
「私は今、国王としてそなたに対峙しているわけではない。かつて凜蓮を娶った男として、そなたと話がしたい」
「それは、どのような意味なのでしょうか。俺には判りかねます」
 サスの感情を抑えた声音が低く響く。
「そなたも真は判っているはずだ。凜蓮を間にして向かい合う男と男、つまりはただの男として話がしたいと申している」
「まさか、俺から凜蓮を奪おうとでも?」
「だとしたら?」
「断る。よくもそのような身勝手を平然と言うものだ。あなたは一度、凜蓮を遠ざけた。追放した女をまた気まぐれで後宮に召し上げるというのですか!」
「凜蓮を王宮に連れて帰る」
 王の無情とも思えるひと言がその場の空気を震わせた。
 サスが弾かれたように面を上げた。
「それには承伏致しかねます」
「何故だ?」
「かつては凜蓮は殿下のものだったとしても、今は俺の妻です」
「それほどまでに惚れた女をどうして泣かせる?」
 王が鋭く問えば、サスも負けじと応酬する。
「あなたにそんなことを言われたくない」
 サスが鼻息も荒く言った。
「あなたは俺から凜蓮を奪い、彼女の評判を貶めた」
「入内は私が望んだことではない」
 それは王の正直な気持ちであり、真実であもあった。だが、王は当の女の心情を思いやってか、凜蓮には届かないように声を潜めた。
 一方、サスは王が声を落としたのをいち早く察した。どうやら、望まぬ入内であったと言いつつ、王は凜蓮を大切には思っているようだ。
 ここでサスは今回の件でいちばんの疑問だった問いを漸く口に乗せた。むろん、彼もこの話を妻には聞かせたいはずがないので、声を落とした。
「そこまで未練があるなら、何故、凜蓮を抱かなかった?」
 最初は王妃だけを熱愛していた国王が幸運にも凜蓮の魅力を理解できなかったのだと思い込んでいた。だが。
 この状況から考えるに、サスの思惑は外れて、国王の凜蓮への気持ちはもっと別のものであるらしいと判った。恐らく、今の状況で、それはあまりサスにとっては望ましいものではないだろう。
「一途で、いじらしいほど、そなたを想っていた。凜蓮を抱かなかったのは、彼女を真に大切だと思ったからだ。どうでも良い女なら、とっくに抱いていた。彼女の人柄を知るにつけ、気まぐれで慰み者にして良い娘ではないと思ったのだ」
「―惚れたのか」
「恐らくは。再会して愕いたな。随分と綺麗になっていた。元々、可愛いとは思っていたが、色香のようなものが出てきた」
「抜かしたな」
 サスが射殺せそうな眼線で王を睨みつけた。大概の者ならそれだけで震え上がる殺気を孕んだ視線もしかし、この国王には通用しないらしい。若い王は平然とサスを見返している。
 依然として声を低めたまま、王が口早に告げた。
「もし今度、凜蓮を王宮に連れ帰ったとしたら、そなたに約束はできない」
「何の約束だ?」
「今度は彼女を抱かずに済むかどうか判らない」
 裏を返せば、それは抱くぞという宣告でもあった。
「どうして、そんな残酷なことを言うんだ?」
「残酷? 一体、私とそなたのどちらが彼女に対して残酷なのであろうな?」
 王の刺すような視線がサスに突き刺さる。
「凜蓮は私の名目上の妃でいる間も、いつもそなただけを恋い慕い、貞節を守っていた。いかなるときもそなたに対して誠実であり続けた凜蓮を、そなたはあらぬ誤解と嫉妬で疑い、哀しませている。その仕打ちのどこが残酷でないと?」
 王は凜蓮に向き直り、労りをこめた声音で話しかけた。
「蓮蓮、もう良い。ここまでだ。そなたは十分、堪え忍んだ。このような情のない、そなたの良さを理解できぬ男など忘れて、私のところに戻ってこい。そなたを改めて妃として私の後宮に迎えよう」
「彼女を愛しているのかッ」
 サスの手負いの獣のような声が吠えた。
「情もないのに、慰みものにするというのか?」
 賢宗は凜蓮を見つめ、揺るぎのない瞳で言い放った。