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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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 あまりに哀しくて情けなくて、凜蓮は両手で顔を覆った。低い嗚咽が静かな誰もいない空間に洩れる。凜蓮の哀しみを包み込んで、早春の夜は更けていった。
 
 次の日の昼下がり。サスは最悪の気分で町を歩いていた。つい四半刻前、色町の妓房を出てきたばかりだ。
 昨夜、妻と喧嘩別れのようになってしまってから、彼は訳もなく歩き回った。ふと気が付けば、どこか見憶えのある場所に来ていたことに気付き、自分でも苦笑したものだ。
 彼はまだ十代の頃から、凜蓮だけを見つめてきた。ゆえに、彼の心に他の女人の入る隙は片々たりともなかった。
 しかしながら、吏?判書に凜蓮との仲を裂かれ、凜蓮が王の後宮に入って以降、彼の私生活は急速に乱れていった。この時期に女を知った。二十六というのは妓房に上がるのには遅すぎる歳である。
 彼の敵娼となった妓生は、彼より数歳下の女だった。丁度、凜蓮と同じ年頃で、すごぶる美人というわけではなかった。丸顔で愛嬌のある顔立ちまでもがどことはなしに想い人を彷彿とさせるのは皮肉な巡り合わせとしか言い様がなかった。
 名は確かウォルとか言ったか。玄人女にしては気立ての良い、一緒にいて安らげる類の女だった。もし凜蓮という存在がなければ、サスはウォルに本気になっていたかもしれない。
 身体の相性も良く、サスは一時期、ウォルに夢中になり、色町に通い詰めていた頃もあった。恐らく主筋ではあるが、いまだに友達付き合いしている凜蓮の兄ソギルはそのことを知っているはずだ。だが、ソギルは余計なことを妹に告げるほど愚かではない。第一、サスでさえ妬けるほど妹を可愛がっているあの男は凜蓮が哀しむ情報をわざわざ妹の耳に入れたりはしないだろう。
 ウォルと深間になってふた月後、別れは突然訪れた。ウォルを落籍したいというお大尽が現れたのである。相手は地方暮らしの両班で、歳は二十二歳のウォルからみれば父どころか祖父ほども年上だという。
―当然、断るのだろう!
 問い詰めたサスに、ウォルは妖艶に微笑んだ。
―まさか、これから楽ができるっていうのに、誰がこんな玉の輿を断るものですか。
―孫のような若い女を手活けの花にするような助平爺が良いのか?
―爺であれば尚更良いわ。元気な中にしこたま巻き上げて、あの世に逝っちまったら、見世の一つでも出すわよう。
 サスが幾ら止めても、ウォルはさっさと落籍されて、その年寄りの両班の妾として田舎に行った。
 女なんて、所詮は金と力か。自分と同じようにウォルも彼に夢中になっているとばかり信じ込んでいたのに、とんだ道化を演じただけだった。この時、色町で生きる妓生の甘い言葉には真実はないのだと学んだ。
 昨夜、サスは一時期、通い詰めた?月華楼?の看板をしばらく見つめた後、覚悟を決めたように門をくぐったのだった。
 とはいえ、凜蓮が手許に戻ってきた今、彼女を裏切るつもりは毛頭なかった。ウォルがいた頃、顔なじみになった女将は
―あら、随分とお見限りでしたね。旦那。
 と、あからさまに年齢をごまかすためにした厚化粧の下で愕いていた。
―部屋を貸してくれ。女は要らん。酒だけ用意してくれればそれで構わない。
 最初に言い置いたはずなのに、何故か敵娼として妓生が送り込まれてきた。
 女将としては一度離れた常連を再び来させようという算段なのは見え見えだ。にしても、昨夜のあれは酷すぎた。
 容貌がという話ではない。容色だけでいえば、ウォルよりは数段美しかった。凜とした佇まいなのに、どこか儚さと愁いを秘めたその少女はまだ十四だと言った。しかも、今夜が初めて客を取る日だという。
 もとより彼は女を抱くつもりはなかったが、更に言えば年端もゆかぬ少女の水揚げなどに付き合うつもりはさらさらない。
―何故、このような場所に来たんだ?
 問えば、うつむいていた少女は消え入るような声で応えた。
―去年の飢饉で、米が底を突いちまったんです。うちはお父ちゃんもいないし、お母ちゃんと小さい弟妹だけだから、あたしがここに来たら少しはお金が入るって聞いて。
 つまりは、母親に売られたのだ。少女の身柄と引き替えに得た金額を聞いて、サスは更にやるせない想いになった。
 それはサスが商団の用心棒を勤めて得る給金のふた月分にも満たなかった。
 この子はそんなはした金で実の親に売り飛ばされたのか。
 サスは暗澹とし、懐から巾着を出した。昨夜、今月分の給金と取引先との祝宴の護衛を務めた特別手当が纏めて支給されたのだ。これで凜蓮に簪か何か買ってやろうと考えていたのだ。
 彼は持ち重りのする巾着を少女の前に無造作に置いた。
―これを持っていきなさい。
 少女は何も言わず、ただ愕いてサスを見上げた。
―これを女将に渡せば、そなたは自由になれる。身売りした金額だけをきっちりと渡せば、少しは残る。その残りで次の勤め先を見つけることだ。さりながら、もう二度と身を売ろうなどと考えるな。そなたのような娘なら、きっと良い出逢いがあるはずだ。本当に惚れた男とめぐり逢うまで、自分を安売りするんじゃないぞ。
 サスは、それから明け方まで少女を相手に酒を飲んだ。去り際、少女が遠慮がちに言った。
―旦那さま、本当に良いの? あたし、旦那さまなら、抱かれても良いよ。ううん、むしろ初めてなら、あなたのような男が良い。
 チョゴリの紐を解こうとする少女の手をサスはやんわりと押さえた。
―俺はお前から見れば、もう?おじさん?だ。それにな、俺には惚れた女がいる。お前に似て、椿のように凜としているのに、どこか淋しげな女だ。
 サスは笑うと、少女の髪を撫でた。
―故郷が恋しくても、親の元に戻ろうとは思うなよ。
 この娘が戻れば、母親はまたわずかな金欲しさに売り飛ばすに違いない。サスは月華楼を出る間際、女将にくれぐれも少女のことを頼んだ。
―俺が身請けするという形にしてくれて構わない。ただ、金はあくまでもこの娘の身売り料だけを取って、残りは返してやって欲しい。
―旦那もつくづく物好きだねぇ。あの娘を水揚げしたいという旦那はたくさんいたのに。
 女将が呆れたように言うのに、サスは笑った。
―後で後悔するかもな。
 言葉とは裏腹に少しも悔いなどなかった。凜蓮に簪を買ってやることはできなくなったが、彼女ならきっと?良いことをした?と褒めてくれるだろう。
 サスはそのまま家に帰るつもりだった。昨夜は大人げないことをした。考えてみれば、凜蓮は良人持ちの身で他し男と通じるような身持ちの悪い女ではない。なのに、あたかも、あの両班が凜蓮の本当の情人であるかのように決めつけてしまった。
 昨夜もまた彼女の心を手酷く傷つけてしまったことは確かで、今度こそ許して貰えないかもしれない。だが、サスは凜蓮に惚れている。たとえ許してくれなくても、許して貰えるまで謝り倒すしかない。
 それにしても、自分はつくづく妻に惚れているらしい。ウォルに入れ上げたあの頃も、何故かウォルと凜蓮の容貌がよく似ているように思えてならなかった。昨夜さえ、凜蓮よりはよほど美しい年端のゆかない少女を見て、凜蓮を思い出してしまう始末だ。
 どんな女を見ても、思い出すのは凜蓮ただ一人。一体、自分はどれだけ彼女しか眼に入っていないのか。