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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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 もし凜蓮が自分ではない他の男を選んだなら、自分は彼女を殺し後を追うに違いない。
 今は我が身の妻への想いの烈しさがただただ怖ろしかった。

 夜になった。
 凜蓮は溜息をつき、眼の前に敷いた夜具を見つめた。サスとはいつも一つの布団で眠っているが、祝言の夜は別として、ずっと互いに背を向けたまま夜を過ごしている。
 昨夜は、サスに
―身体の方が大丈夫なようなら、今夜は早く寝もうか?。
 と言われた。あれは暗に
―抱いても良いか?
 という良人からの問いかけなのは彼女にも判った。けれど、凜蓮は尻込みしてしまった。あまりに咄嗟のことで展開についてゆけなかったのと、後はやはり初夜の苦痛を思い出して恐怖に囚われたせいもある。
 サスに悪気はなかったとはいえ、やはり、あの夜のサスは凶暴で、思い出すだけで身体が震える。
 けれども、あれからよくよく考えてみたのだ。自分はサスを間違いなく愛している。愛しているならば、彼を女として受け容れるのは当たり前だ。好き合っている男女が一緒に暮らしていれば、結ばれるのがむしろ自然ではないか。
 だから、今夜は思い切って彼を受け容れてみようと思う。女の方からあからさまにほのめかすのは、はしたないことだ。実家の両親が聞けば、両班の息女にあるまじきことと嘆かれるだろう。 
 しかし、昨夜、凜蓮が拒絶した直後のサスは酷く傷ついているようだった。あのまま、彼はどのような想いで夜を過ごしたのか。いつものように二人して一つの夜具に入りながら、彼はずっと背中を向けていた。
 凜蓮は何度も話しかけて謝ろうとしたものの、彼の広い背中は凜蓮をあくまでも拒絶しているかのような頑なに見えた。
 このまま手をこまねいているのは良くないことは、凜蓮にも判った。それに、良人の気持ちを傷つけたままでいたくない。こんなに彼を好きなのだから、愛しているのだから、恥ずかしくても今夜は自分から良人の胸に飛び込んでいこうと決意していた。
 だが、その決意を試すかのように、サスは帰ってこない。そろそろ深夜になる。いつもなら日暮頃には帰ってくるのに、今夜に限って、どうしたのだろうか。もしや何かあったのだろうか。商団の行首の護衛という任務は、凜蓮が想像する以上に危険を伴うに違いない。
 行首は辣腕の商人として漢陽でも名を轟かせている人だ。商売のためには法に触れるきわどい橋を渡り、時に冷酷な決断を下すとも聞いている。そんな商人であれば、他人の恨みを買うこともあろう。行首をそういう手合いから守るのがサスの役目だ。
 凜蓮はサスの人生の選択に口を挟むつもりはない。その気持ちは今も変わらないけれど、仮に商団の護衛という仕事が常に危険と隣り合わせなら、できれば早い中に止めて欲しいとは思う。何故なら、凜蓮にとっていちばん大切なのは、サスが元気でいてくれることだから。
 贅沢がしたいわけではないから、無理に両班にならくても良い。実家の父親の跡を継いで崔家の執事に納まるというなら、凜蓮は反対はしない。一生涯、実の両親を?旦那さま、?奥さま?と呼ぶ執事の妻として終えても悔いはない。
 凜蓮は立ち上がった。幾ら何でも遅すぎる。やはり、良人の身に何か起こったのだ。いや、しかし、ならば商団から連絡が来るはずだ。
 もう少し待ってみようと、凜蓮は座り直した。無意識の中に袖から、あの椿の帯飾りを取り出した。深紅の大輪の花は、石榴石(ガーネット)でできているらしい。凜蓮は大ぶりの透き通った花を指先で撫で、それから長く垂れ下がる房に触れた。房は上部が白、下にゆくに従って紅く染められている。
 いつしか凜蓮は椿を撫でながら、熱い涙を零していた。
 突如として、鋭い声が響き渡った。
「何を泣いている?」
 凜蓮は泣き濡れた顔を上げ、サスを見つめた。
「お帰りなさい」
 凜蓮は涙をぬぐい、立ち上がった。
「随分遅かったのね。何かあったのではないかと心配したのよ」
「今夜は大事な取引先を招いての宴があった。ゆえに、護衛も客が帰るまでは商団に残らねばならなかった」
「ちゃんと話してくれれば良かったのに」
 つい恨みがましい言葉になってしまったのは、この場合、仕方なかった。
 が、サスは眉をつり上げた。
「そなたは俺に何でも話せというが、そういうそなた自身は俺にすべて話しているのか?」
 凜蓮は眼をまたたかせた。
「もちろんよ。隠し事はもうしないと約束したでしょう」
「本当か?」
 念を押してくるサスに、凜蓮は言った。
「私があなたに何か隠し事をしているとでも?」
 やはり懐妊のことを言っているのではないかと思ったのだが―。サスは凜蓮が予想もしていなかったことを言った。
「そなた、男がいるのではないか」
「―男?」
 凜蓮はきょとんとし、一瞬後、笑い出した。
「何故、そういう話になるの?」
「昨日、下町で見かけたぞ」
 その科白に、凜蓮の小さな面がさっと色を失ったのをサスが見逃すはずもなかった。
「やはり、いるんだな」
 サスは、確信に満ちた口調で断ずる。
「待って、サス。あの方は違うの」
 サスが怒鳴った。
「何が?あの方?だ! 凜蓮がそんな女だとは思わなかった」
「そんな女って、どういう意味?」
「良人がいるのに、他の男に色目を遣うような女だ。昔の凜蓮は間違っても、そんな女ではなかった。男に媚を売るのを王の後宮で学んできたのかっ」
「あなた。私はあなたと祝言を挙げるまで、男性を知らなかったのよ。後宮にいたからというだけで、どうして酷いことを言うの」
 凜蓮の白い頬を熱い滴がすべり落ちていった。
「こんなものを後生大事に眺めて、泣いたりして。俺は昨日、見たんだぞ。そなたが間男と二人で町中でいちゃついて、男がそなたにノリゲを買い与えているところを」
 凜蓮の顔は今度こそ血の気を失った。
「これは違うの、サス」
「何が違うんだ、こんな穢らわしいものなんぞ、棄ててしまえ」
 サスが凜蓮の手から椿のノリゲを取り上げる。
「サス、返して」
 手を伸ばした凜蓮に届かないようにサスはノリゲを高々と持ち上げ、その場に力一杯たたきつけた。
 床にぶつかった衝撃で椿は粉々に砕け散る。凜蓮には、それが無数の花びらを散らす花のように見えた。
「そんなにこれが大切なのか!」
 サスは吠えると、一旦は置いた愛用の長剣を携えた。
「どこに行くの?」
 それでも、凜蓮は問わずにはおれなかった。
「どこでも俺の勝手だろう」
 茫然としている凜蓮の眼前で、扉が閉まった。凜蓮はその場に力なくくずおれた。
「私が後宮にいたことがそんなにあなたを苦しめるなんて」
 後宮から出て自由の身になりさえすれば、すべて上手くいくのだと思っていた。けれど、現実はあまりにも厳しすぎた。
―王のお手つきとなりながら、寵愛を失った女。
 他の誰に思われるのは構わない。けれど、愛する男にまで後宮にいたことで色々とありもしないことを勘ぐられるのは辛かった。
 散らばってしまった椿の欠片を素手で拾い集めようとして、ツキリと指先に鋭い痛みが走った。
 見れば、人差し指から血が糸を引いて滴り落ちている。