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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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「いけ好かない女だった。ソギルはよくあんな女を娶ったな。俺なら死んでもご免だ」
 いつもなら笑うところだが、今日は笑えなかった。凜蓮はしゃくり上げながら言った。
「ハヨンが流産したの。赤ちゃんも死んじゃったって」
 凜蓮は昨日の一件をサスに話した。
「ソギルから大体は聞いた。冷たい言い方かもしれないが、ソギルにとってはむしろ望ましいだろう。あんな女といても、ソギルは幸せになれない。ソギルは良いヤツだ。もっと彼にふさわしい優しい女が見つかる」
「私のせいよ、私がハヨンと言い争いなんかしたから」
「そなたのせいではない」
 サスが優しい声音で言った。こんな口調でサスが話してくれたのは、もう随分前のような気がする。
「俺たちの家に帰ろう」
 サスが差し出した手を凜蓮は見た。
「私たちの家?」
 ああ、と、サスが笑顔で頷いた。
「凜蓮の家はもうここじゃなくて、俺とそなたが住むあの家だろう?」
「あなたは私を嫌いになったのではないの? 私が国王さまの後宮にいたから」
 涙が込み上げてきた。
―一族の恥さらし、お前は王さまの寵愛を失って後宮を追放された女だ。
 悪意のあるたくさんの声が重なって凜蓮を苛む。
 サスが静かに微笑んだ。
「俺がそなたを嫌いになるはずがない。凜蓮が俺を嫌ったとしても、俺はそんなことはない。凜蓮、許してくれ。俺が馬鹿だった。そなたが恋しくて好きで、どうしようもないほど愛しているから、王さまに嫉妬していたんだ。俺の知らない凜蓮を知っている王さまが憎かった。俺の手の届かない場所にそなたを奪っていった王さまを勝手に恋敵だと思い込んでいた。すべては俺の大人げない態度のせいだ。そのせいで、そなたを傷つけた」
「サス」
 凜蓮は眼を潤ませた。
「俺はもう凜蓮を放さない。これからは死が二人を分かつまで、そなたもこの手を放さないでくれ」
 凜蓮の小さな手がサスの大きな手と重なった。おずおずと見上げた視線の先には、良人の優しい笑顔がある。ああ、この笑顔を自分は何度夢見たことだろう。
 後宮で独り寝する夜も、王さまと枕を並べて同じ寝台で眠る夜も、ずっとこの笑顔に逢えることだけを愉しみに耐えてきた。
「だから、もう二度と死ぬなんて考えないでくれ」
 サスが泣きそうな表情で凜蓮を見つめていた。
「そなたが死んでしまったら、俺は自分を許せないだろう。そこまでそなたを追いつめて、そなたの哀しみを何一つ理解してやろうとしなかった自分を憎む」
 約束してくれ、もう二度と俺を置いて、どこにも行かないと。
 どこか懇願に似た響きのあるその言葉を、凜蓮の方こそ泣きたい想いで聞いていた。
「約束するわ。二度とあなたの傍を離れない。この生命が尽きるまで、あなたの傍にいる」
 凜蓮の手を握ったサスの手に力がこもった。二人は手を繋ぎ合ったまま、自分たちの家に向かって歩き始めた。かつて幼い恋をその下で育んだ菩提樹は高くそびえ、遠ざかる若い夫婦を静かに見守っているかのように見えた。
 
 サスとやっと心を通わせることが出来て、凜蓮はささやかな幸せを手に入れた。婚礼を挙げてふた月近くを経て、漸く蜜月を過ごすことができるようになったのだった。
 暦が二月に入ったばかりのある夜、サスの商団からの帰宅がいつもより遅れた。気を揉んで待っていた凜蓮は、サスが帰宅するや、その腕に飛び込んだ。
「何かあったのかと思って、心配したの」
「今日は行首さまと大切な話があったんだ」
 サスの意味深な口調に、凜蓮は小首を傾げた。
「大切な話って?」
「俺自身の今後のことも含めて色々」
「今後のこと? 気になるわ」
「うん、まあ、もう少しはっきりしてから話すから、しばらく待っていてくれないか」
 そうまで言われては、凜蓮もそれ以上は突っ込めない。本当はかなり気になった。
 私はあなたの妻なのに、教えてくれないの? サスに叫びたかった。
「それよりも、そなたに渡したいものがある」
 サスが懐から取り出したのは、小さな巾着だった。薄桃色の可愛らしいそれは、武骨なサスにはかなり不似合いだ。
 サスは凜蓮の眼の前で巾着を逆さにした。何か小さなものが大きな手のひらに落ちてくるのを凜蓮は息を呑んで見つめた。
「このようなものは女々しいと思ったのだが」
 サスがいつになく頬を紅く染めながら差し出したのは、二つの指輪だった。大きなものと小さなものは明らかに対になっている。
 サスによれば、商団は絹織物だけでなく細々とした装飾品も商っており、つい最近、入荷したばかりの品らしい。
「都に住んでいながら流行には疎いゆえ知らなかったが、琥珀の指輪を夫婦や恋人同士で持つと、ずっと一緒にいられるという迷信が囁かれているみたいだ」
「あ―」
 凜蓮の珊瑚色の唇がかすかに震えた。
「指を出して」
 サスに促され、彼女が差し出した手のひらの薬指に、サスが琥珀の指輪を填めた。淡い飴色の玉の指輪が燭台の焔に照らされ、淡く燦めいた。
 サスが真剣そのものの瞳で凜蓮を見つめている。
「俺は短気だし、不器用で女を歓ばせる科白一つ言えない気の利かぬ男だ。今更だが、こんなどうしようもない俺の妻になってくれるか?」
 サスが照れたように笑った。
「今宵は俺も填めて寝るが、流石に気恥ずかしいから、明日からはこうしよう」
 彼は大きい方の指輪に革紐を通し、自らの首にかけた。
「こうすれば目立たないし、いつも身に付けていられるだろう?」
 サスの眼が燦めいている。まるで妙案を思いついて親に褒めて貰いたい子どものようだ。凜蓮の眼に涙が溢れた。
「どうした!」
 サスが慌てたように問う。
「このような子どもじみた真似はいやだったのか?」
「いえ、嬉しくて」
「嬉しい? 嬉しいから、泣いているのか?」
「はい」
 凜蓮は涙を宿した瞳でサスを見上げ、微笑んだ。サスの陽に灼けた精悍な顔が紅く染まった。
「凜蓮」
「はい?」
 サスは大真面目な顔で言った。
「俺以外の男の前で、そんな可愛い表情をしては駄目だ。大概の男はそういう女の健気さにグッとくるんだから」
「まあ、サスったら」
 サスが見せる独占欲も自分を愛していてくれるからこそと思えば、嬉しい。凜蓮は顔をほころばせた。
「あなた(ヨボ)、いつか子どもの頃も同じことを言ったのを憶えていますか?」
 刹那、サスが切れ長の眼(まなこ)を見開いた。
「凜蓮、もう一度、今と同じ科白を言ってくれないか」
「え?」
 首を傾げる凜蓮に、サスが言った。
「たった今、そなたが言った科白を繰り返してくれ」
「あなた、いつか子どもの頃も―」
 言いかけた凜蓮をサスの大きな声が遮った。
「そう! それだ」
「一体、何のことなの?」
 当惑気味の妻に、サスは嬉しげに言った。
「あなた、のところだ。凜蓮を妻として迎えて?あなた?と呼ばれるのが夢だったんだ」
 いつもは沈着、強面で知られる剣士が生真面目に言うのはある意味、笑えたかもしれない。しかし、凜蓮は笑うどころではなかった。
「サス」
 一旦は引っ込んだ涙がまた溢れ出し、今度は堰を切ったように止まらなくなった。