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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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 兄は凜蓮を見て、泣き笑いの表情になった。
―お前っていうヤツは、こんなときでも自分を責めて、ハヨンを心配するのか。
 兄は淡々と言った。
―ハヨンなら大丈夫だ。むろん、出産で疲れ切っているが、生命に別状はないそうだ。安心して良い。
―良かった。ハヨンが無事なら、また元気な赤ちゃんが生まれるという希望も持てるわね。
 涙を拭った時、兄が首を振った。
―ハヨンは実家に帰すつもりだ。
―お兄さま、どうして。
 悲鳴のような声を上げる凜蓮を兄は哀しげに見つめた。
―元々、あいつとは合わないと思っていた。心の冷たい女だ。だけど、子どももできたことだし、何とか子どものためにも頑張っていこうと思っていた矢先だったんだ。
 ソギルが空を仰いだ。
―昨日、ハヨンがお前に自害しろと迫っているのを見た時、ほとほと愛想が尽きた。たとえ血の繋がらない間柄でも、お前はハヨンの妹じゃないか。たとえ世間が皆、敵になったとしても身内だけは味方してやるのが人の情というものだろう。なのに、あいつはお前に死ねとまで言った。何という女だろうと思ったよ。だが、あのときはまだ子どもがいた。子どものためにも離縁はできないと思っていたけれど、その子もいない。もう、彼女とこれ以上一緒にいる理由は何もない。
―お兄さま、お願い。考え直して。
 凜蓮が涙ながらに頼んでも、いつも妹に甘い兄は頷かなかった。兄の言うとおり、ソギルの気持ちはずっと以前、ハヨンから離れていたのかもしれない。去り際、ソギルは、ひっそりと笑った。
―今度のことは凜蓮が悪いわけではない。すべて、ハヨン自身が招いたことだ。
 暗に兄は離縁は突然、思いついたわけではなく、ずっと前から考えていたことだと言っていた。たまたま流産がきっかけになって決意が表に出てきたのだと、兄は感情を失ったような声で話していったのだ。
 が、凜蓮にとっては、やはり罪悪感は拭えないのは事実だ。昨日の諍いがなければ、ハヨンと兄はまだ離別することはなく、ハヨンの腹の子もちゃんと元気でいたに違いない。
 凜蓮は井戸端から離れ、少し歩いた。崔家の庭は広く、様々な四季の花樹が植わっている。少し奥まった方まで行くと、菩提樹が見えた。凜蓮が物心ついたときにはもう、その場所にあった。
 かなりの樹齢になるその樹は、いつものようにひっそりとその場所に佇んでいる。この樹を見る度に、凜蓮の胸に郷愁にも似た温かな想いが呼び覚まされる。その想いは昔の優しい想い出へと繋がってゆくのだ。
 この菩提樹は仏陀ゆかりのインド産ではない。インド産は菩提樹科の菩提樹になる。崔家の方は中国産シナノキと呼ばれる中国系の菩提樹だ。
 見た眼も少し異なり、六月から七月頃、淡黄色の花を咲かせる。一月も終わりの今は葉はなく、裸樹で淋しいものだ。尖った枝先が薄蒼い冬の空に向かって突き刺さるように伸びている。
 あれはいつのことだったか、そう、確か凜蓮が漸く六歳ほどになった夏のことだ。この菩提樹に花が咲いていたから、初夏だったのだろう。いつものように兄に?一緒に遊んで?とせがんだのに、突っぱねられ泣いていた。
 その時、泣いていた凜蓮の肩にそっと置かれた手の温もり。
―お嬢さま、また泣いているんですか?
 あの声は紛れもなくサスのものだと幼い凜蓮にもすぐ判った。何故なら、サスはいつも兄にすげなくされて凜蓮が泣いていると、必ず現れるから。
 それはまるで、乳母に聞かせて貰った昔語りのお姫さまが窮地に陥ると現れる英雄のように思えた。
―お兄さまが一緒に遊んでくれないの。
―じゃあ、俺と一緒に遊びましょう。
―サスが旦那さまになってね。私が奥さま役をするから。
 身分の違いや立場など、まだ理解できていなかったのに、サスに良人役をふって自分が妻の役をやる当たり、ませた子どもだったのか。
 菩提樹の葉をサスにちぎって貰い、それを器に見立てて凜蓮の作った泥団子を載せる。
―旦那さま、どうぞ召し上がれ。
 澄ました顔でサスに葉を差し出すと、サスもまた畏まった表情で頭を下げる。
―頂きます。
―美味しいですか、旦那さま。
―とても美味しいです。
 真面目な顔で応えるサスに、凜蓮は抱きついたものだ。
―サス、大好きよ。お兄さまは意地悪だけど、サスはいつも優しいもの。サスが本当のお兄さまだったら良いのに。
 と、サスが生真面目に応えた。
―俺がお嬢さまの兄だったら、俺はお嬢さまの旦那さまにはなれません。兄妹は結婚できないんですよ。
 あの時、サスもまだ十二歳の子どもだった。それでも、血の繋がった兄と妹では結婚できないということは理解できる歳ではあったのだ。凜蓮はまだ六歳、何も理解できていなかった。
 振り返ってみれば、凜蓮の傍にはいつもサスがいた。主筋の娘と使用人の息子という立場があるから、常に一緒というわけにはいかなかったけれど、少なくとも凜蓮の視界の入る場所に、彼はいたのだ。
 それはサスが常に凜蓮を見守っていたのと、凜蓮自身がサスの姿をどこにいても追っていたせいもあるのだろう。
 凜蓮は懐に手を入れた。取り出したのは小刀だ。両班の娘は物心ついたときから、守り刀としてひと振りの飾り刀を与えられる。それは何かその身に禍があったり辱めを受けるようなことがあれば、潔く自ら生命を絶ちなさいという教えを象徴するものだった。
 凜蓮はスと懐剣の鞘を払った。冬の陽を浴びて剣先が光を放つ。
 後宮を出さえすれば何とかなると思っていた。けれど、現実はそこまで甘くない。たとえ凜蓮と賢宗の間に何もなかったといっても、誰も信じない。サスでさえ、実際に身体を重ねるまでは凜蓮の話を聞こうともしなかった。
 兄嫁には?一族の恥さらし?とまで言われた。恐らくハヨンの指摘は間違ってはいない。世間は誰もが凜蓮をそんな眼で見ている。
―私が後宮から戻ってこなければ、お兄さまとハヨンが別れることも、ハヨンの子どもが亡くなることもなかったんだわ。
 想いは堂々巡りをして、また同じ場所に帰る。凜蓮は鈍い燦めきを放つ切っ先を自分の方に向けた。この刃でひと突きに胸を刺し貫いたなら、ひと想いに死ねるだろうか。
 ふと、そんな誘惑に駆られる。それで、すべてが終わる。もう世間どころか身内の冷たい眼にさらされることもなく、楽になれる。
 凜蓮が眼を閉じるのと、肩に大きな手のひらが置かれたのはほぼ時を同じくしていた。
「凜蓮」
 ハッと我に返り、凜蓮は眼を見開く。サスが血の気の失せた顔で自分を見つめていた。
「ここで何をしようとしていた?」
 彼の視線は凜蓮の握りしめた懐剣に注がれていた。
 凜蓮は眼をまたたかせた。大粒の涙の雫がつうっと頬を流れ落ちた。
「サス、私は一族の厄介者なの。崔氏の恥さらしなの」
 凜蓮は泣きじゃくった。
 サスが溜息をつき、凜蓮の手からそっと懐剣を奪い取った。
「誰がそんなことを?」
 凜蓮は応えず、静かに泣き続けた。サスが両脇に垂らした拳に力をこめた。
「若奥さまか?」
 次の瞬間、凜蓮の小さな身体はサスの逞しい腕に閉じ込められた。
「応えなくても判っている。そんな愚かなことを口走るのは、あの女くらいしかいない」
 ハヨンもサスにかかっては?あの女?呼ばわりだ。