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熱愛~国王の契約花嫁~外伝其の一~

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―義妹が国王殿下に飽きられて後宮追放になったって、私の実家まで好奇の眼で見られるのよ。恥ずかしいったら、ありゃしない。あなたみたいな人が妹だなんて、私も情けない。
 ただハヨンの言葉は満更、嘘ばかりというわけでもなかった。凜蓮が後宮を去った理由は明らかにされていない。また、王命によってサスと再婚した経緯も謎だ。
 賢宗から凜蓮の父には、おおよその事情は伝えられたらしいが、何より体面を重んじる両班である父にとっては、真の理由など今更どうでも良いのだ。表向きに凜蓮は?王の寵愛を失って後宮を追放された女?であることに変わりはない。
 ハヨンが凜蓮に向けるまなざしは、そのまま世間が彼女に向けるものだ。明らかな侮蔑と好奇心が入り混じった冷たい視線。サスと結婚して実家を離れても、その事実は変わらない。
 むしろ、立場も明確に使用人となったことで、兄嫁の凜蓮に向ける言葉もまなざしも更に冷たく苛烈になった。最早、凜蓮はハヨンにとっては義妹ですらなく、完全な女中である。
「チマの汚れがちっとも落ちていないわ」
 ハヨンは腕に抱えた包みをバサリと落とした。凜蓮の眼の前に色鮮やかな布が踊る。
「あなたの眼は節穴なの!」
 ハヨンは尖った声で叫ぶなり、凜蓮が苦労して洗い終えたばかりの洗濯物を土足で踏みにじった。
「義姉上っ、何をなさるのですか」
 流石に咎めるような口調になれば、ハヨンは更にきついまなざしをくれた。
「下女風情に姉と呼ばれる憶えはないわ」
 ハヨンは苛々とした様子で言った。
「本当にあなたって、昔から苛つく娘だったわよね。愚図でのろまで、いつも笑うか泣くかしか、能がないの。私は昔から、あなたが大嫌いだった」
「―」
 凜蓮はあまりの罵倒に、言葉を失った。
「私はあなたを優しいお姉さんだと思っていたのに」
 ハヨンが鼻で嗤った。馬鹿にしたような嫌な笑いだ。
「仕方ないでしょ、あなたを嫌いでも、優しい姉のふりをせいぜいしなきゃ。何しろ、旦那さまがあなたを信じられないくらい可愛がっているんだもの」
 凜蓮は自分の顔から血の気が引いてゆくのが判った。
「嫁いで子どもができない嫁ほど、立場が苦しいのなんて、あなたには判らないでしょう。義父上も義母上も私の顔を見れば、孫の話ばかり。義母上なんて陰で義父上や旦那さまに?跡継ぎも生めない役立たずの嫁なんて離縁すれば?と言っていたのよ? そんな嫁の立場では、大嫌いな義妹にも優しいふりをしなきゃ駄目なのよ。私も子どもができるまでは我慢していたけれど、もう我慢しないわ」
 ハヨンは自分自身の言葉にますます気を昂ぶらせているようだ。凜蓮は控えめに言った。
「若奥さま、あまり興奮しては、お身体に障ります。お腹の子にも良くありません」
 兄嫁はとんでもなくても、お腹の子は凜蓮にとっては血の繋がる甥か姪になるのだ。しかも、崔家が待ち望んだ跡継ぎである。何事かあっては一大事と言ったのだが、ハヨンは憤った。
「何よ、今もまだこの家のお嬢さま面するの?」
 ハヨンが凜蓮の身体を押そうとして、凜蓮が咄嗟に避けたものだから、ハヨンがよろけた。
「危ない」
 凜蓮はハヨンを抱き止めようとしたものの、わずかなところで間に合わなかった。ハヨンはその場に転倒してしまう。
「ハヨン? 大丈夫」
 懐妊中の大切な身に何かあっては大変だ。近寄って手を差しのべた凜蓮の手をハヨンは振り払った。
「障らないで。賤しい女に触れられたら、お腹の子まで穢れてしまう」
「―」
 流石に色をなくした。
「ねえ、あなたも一族の恥さらしだという自覚があるなら、良い加減に自害でもしたら? 幾ら後宮で時めいたといっても、昔の話でしょ。まあ、国王さまもあなたのようにつまらない女、傍に置いておくのも嫌になられたのも判るような気がするけど」
「それは幾ら何でも言い過ぎです」
 凜蓮が声を戦慄かせたその時。
 低い声が割って入った。
「夫人(プーイン)、今、何と言った?」
 兄のソギルが真っ青な顔でその場に立ち尽くしていた。
「あなた」
 ハヨンがさっと蒼褪めた。
 ソギルは足早に歩いてくると、ハヨンと凜蓮の間に立った。
「凜蓮に何と言ったんだ!」
「あなた、私は何も」
 狼狽えるハヨンを庇うように凜蓮は言った。
「お兄さま、ハヨンとは生まれてくる子どものことを話していたのよ。特に何もないわ」
「嘘をつけ」
 ソギルは泣きそうな表情で凜蓮を見、ついでハヨンを見た。
「夫人、私は先刻、この耳ではっきりと聞いたのだ。そなたが私の大切な妹に自害しろと迫っていたのを」
 今度はハヨンが何も言えなくなった。凜蓮は兄に縋るような眼を向けた。
「お兄さま、ハヨンは今、お腹に子どもがいるから苛立っているだけよ、本気で言ったのではないのは判っているもの、私は大丈夫、気にしないから」
「凜蓮」
 ソギルは辛そうに眼を伏せた。と、ハヨンがお腹を押さえて蹲った。
「ううっ」
 凜蓮とソギルは顔を見合わせ、ソギルがハヨンに駆け寄った。
「ハヨン、どうしたんだ、ハヨン」
 ソギルの懸命な声がその場に虚しく響いた。
 
 その翌朝。凜蓮は井戸端で洗濯をしていた。昨日、途中止めたになった分まであるから、今日は尋常でなく量も多い。
 棍棒で汚れを落としながら、いつしか凜蓮は泣いていた。
―ねえ、あなたも一族の恥さらしだという自覚があるなら、良い加減に自害でもしたら?
 昨日、ここでハヨンと交わした会話がまざまざと甦る。
―私は本当に一族の恥さらしでしかないのかしら。
 結局、ハヨンは流産した。やはり、転んだのが良くなかったらしい。ハヨンは妊娠六ヶ月だったため、転んだ刺激でどうやら早すぎる陣痛が起こってしまったらしかった。
 流産といっても子どもがかなり大きくなっているため、過程は出産と変わらない。すぐに医者が呼ばれたが、始まってしまったお産は止めようがなかった。
 初産であったため、ハヨンはひと晩中苦しみ抜いて、明け方、漸く子どもが生まれた。幸か不幸か、出産したばかりの赤児は生きていたという。しかし、六月で生きられるはずもなく、数時間後に亡くなった。 
 子どもは女の子だった。
 凜蓮はサスと暮らす家にも帰らず、厨房で祈っていた。最早、この家の娘として認められない凜蓮にとって崔家には台所しか居場所はない。
―天地神明の神よ。どうか、幼い生命を助け給え。ハヨンをお救い下さい。
 しかし、祈りは通じなかった。
 明け方、兄が憔悴しきった顔でハヨンの出産を告げた。
 そして、つい今し方、兄が虫の息だった赤児が儚くなったと告げにきたばかりだった。
―お兄さま、ごめんさない。私のせいで、ハヨンがこんなことに。
 凜蓮は肩を震わせて泣いた。幾ら謝っても済むものではなかった。ハヨンが幾ら侮蔑的な言葉で挑発してきたとしても、乗るべきではなかったのだ。凜蓮が冷静でハヨンを適当にあしらってやり過ごせば、最悪の事態は避けられたかもしれない。
―お兄さまもハヨンも七年も待った子どもだったのに。
 ソギルが力ない笑みを浮かべた。
―凜蓮のせいじゃない。気にするな。
 彼は深い息を吐き出した。
―ハヨンの方はどう? 赤ちゃんを産むのに大変だったでしょう。大丈夫なの?