女ともだち
焦燥
早苗は、自分でも驚くようなことを始めた。ネットの婚活サイトに登録してみたのだ。
結婚相談所も考えたが、名の通った演奏家というプロフィールがこういう時は邪魔になる。ネットなら素性を隠して会うことができるだろう。バイオリンの世界では有名でも、一般の人には知られているわけではない。とにかく交際相手を探すのが先決だった。ちょうどしばらくはコンサートもないので時間にゆとりもある。
早苗は、自分でも気づかないうちに百合子の夫、浩一に似たタイプの男性を探していた。いい夫、いい父親、まさに理想の男性像に思えた。そんな男性に出会うことを願って、数人の男性に実際会ってみたが、そううまくいくはずはなかった。
見た目は優しそうでも相手に求めることが厳しかったり、やたら調子ばかり良くてとても信頼できそうもなかったり、なにげない仕草が生理的に受け付けられない男もいた。結婚を前提となると、その入り口である交際でさえ相手を見つけるのはとても困難だった。
自然な出会い――今の早苗にとって、そんなことは現実にはありえないのではないかとさえ思えた。もう奇跡に近いことだった。やはり自分にはバイオリンしかないのかもしれない……
結局、初めからわかっていたような結論にたどり着いた。
百合子は、久しぶりの社会との関わりに戸惑いの連続だった。
本の整理や貸し出しが主な仕事だったが、慣れるまでにたっぷり二週間はかかった。それでも失敗したり、気が利かなくて先輩にフォローしてもらったり、悪戦苦闘の日々はいまだ続いている。自立して生きるということがどんなに大変か、心底、身に染みた。律子はこれをやってきたのだ、と思うと、とてもかなわないと思った。でも百合子の場合、主婦の仕事もあるから家に帰ってからがまた大変だった。パートという短い時間だからなんとかこなせたが。
ようやく少し仕事に余裕ができた頃、いつも同じ窓際の席で、本を読んでいるひとりの男に気がついた。平日の昼間、図書館に来る男性は、ほとんどが年配者だった。なので、三十代くらいにみえるその男が目に止まったのだ。
そしてある日の帰りがけ、突然の雨に入り口で雨宿りをしていると、ふいに誰かに傘をさしかけられた。ふりかえると、見覚えのあるあの窓辺の男だった。傘を貸してくれるというが、そういうわけにはいかない、と押し問答の末、近くのコーヒーショップまで行って、雨がやむのを待とうという話で落ち着いた。コンビニに寄って傘を買う、という選択肢をお互い出さなかったのはなぜだろう? と後で思った。
その男は作家志望で、不定期で友人の事務所を手伝って生活をしていると話した。執筆は主に深夜で、不健康極まりないとも言った。そういえば顔色が悪く、どこか元気がないように思えた。しかし作家を目指しているというだけあって、知識は広く話も面白かった。もっと話していたかったが、すぐに雨は上がり、それぞれ家路についた。
その日から、帰りがけにその店を通りかかって男の姿を見つけると、百合子は寄り道をしていくようになった。夕食の支度があるのでほんの短い時間だったが、男との他愛のない会話はいつしか百合子のささやかな楽しみになっていた。
そんなことがしばらく続いたある日、男が言った、今度出かけませんか? と。それはどういう意味か……大人の女ならどこまで考えるべきなのか。
その日から百合子は、店に男を見つけても入っていけなくなった。自分の考え過ぎだろうか? とも思ったが、やはり主婦としては、ここまでにすべきだという思いに勝てなかった。あれほど律子が羨ましかったのに、いざとなると自分にはそんな勇気はない、ということか。でも、こんな機会が訪れることは二度とないだろう、そして、四十歳の自分はこれからどんどん歳をとっていく……
律子は、早苗の暮らしぶりが頭を離れなかった。
(自分もいつかはあのような高級マンションに暮らすのだ)
その第一歩として、和人の妻の店を任せてもらわなければならない。全く畑違いの仕事、アパレルや輸入雑貨についての知識を得るため、時間を見つけてはその類の店舗を歩いて回った。労務、税務関係の勉強のため、そのような講習会へも足しげく通った。もちろん、今の会社に転職の準備をしていることがばれないよう、仕事もそつなくこなした。
そして苦労の末、準備万端整い、和人の妻の面接にまでこぎつけた。話はとんとん拍子に進んだ。和人の妻は律子の情熱に感心し、その才覚に惚れ込んだ。そして、とうとうスタッフを五人つけて、自分の代わりに店を任せることにした。
律子は会社に退職願を出し、本格的に出店の準備に入った。和人の妻が出すはずの店だったので、大方の準備は整っていたが、総責任者が律子に変わると、そのイメージは大幅に変えられた。そして律子の思い通りの店に仕上がった。つまり、成功しなければ律子の失態ということになる。そしてなんと、その大勝負に律子は見事に勝った。店は大繁盛で、二号店という話まで早くも出始めた。
そんな時だった。突然、律子は和人の妻に呼び出された。いつもはあらかじめ要件を伝えるのに、今回は、なぜか会ってから、としか言われなかった。
(店の件だろうか? それとも……)
脛に傷を持つ律子としては、常に不安を抱えていた、和人との過去という爆弾が、いつか破裂するのではないかという不安を――