女ともだち
可能性
その朝、百合子は朝食の片付けを終え、お茶をすすりながら何気なく手元にあった地元の広報誌を手にした。そして、その片隅の『図書館司書募集』の文字が目に止まった。
(私でもできるかしら?)
その夜、夫、浩一と、娘、美紀に何気なくその話をしてみた。すると二人は同じ反応を示した。
「今までずっと家にいて、外へ出るのは大変だぞ」
「そうよ、きっと資格だっているだろうし、お母さんには無理だと思うよ」
あっさりとその話は終わった。
翌日、百合子は市役所の担当者に電話をかけてみた。
仕事の内容を簡単に説明され、応募方法を教えてくれた。どうせだめだろうと思いつつ、せっかくの機会なので、思い切って応募してみた。もちろん、家族には言わずに。
ところが面接に行った数日後、採用の連絡が入り、百合子は動揺した。家族の了解を得ないで決めたことに対してか、それとも久しぶりに外で働くことへの不安からかわからない。
何とも気まずい思いでふたりに打ち明けると、意外な言葉が返ってきた。
「驚いたなあ。母さんでも社会に通用するんだ。まあ、がんばれよ」
「すごいじゃん。図書館に行けば、お母さんが働いているなんてちょっと想像できないな」
とにかく、こうして百合子は図書館でパートとして働くことになった。自立への第一歩だと思うと、気持ちが引き締まる思いがした。
律子は、待ち合わせ場所の喫茶店で、不倫相手の和人を待ちながら考え込んでいた。このまま今の仕事を続けていくことが、自分のやりたかったこととは到底思えない。何かを始めるなら、今しかないのではないだろうか。でも、いったい何をしたらいいのだろう?
遅れてやってきた和人が、席について言い訳をしようとしたが、律子のさえない表情に気付き、気が抜けてしまった。
「どうしたの? 怒っている様子でもないね」
「ええ、私だって、ネガティブになる時はあるわよ」
「そうなんだ、じゃ気晴らしにホテルへ直行する?」
「ごめん、そんな気分にもならないわ」
「なんだ、重傷だな」
ふたりは、しばらく黙ってコーヒーを飲んでいた。
「家に帰っても、今はかみさんもそんな顔をしてるよ。実家の親が、今度東京にも店を出すことになって、うちのやつが担ぎ出されたんだが、どうも嫌らしいんだ。ま、いきなり店を一軒任されるというのだから、気が重いのもわかるけどな」
律子は、いつもなら和人の妻の話など聞きたくもないのだが、その話には乗ってきた。
「お店って何のお店?」
和人は、そんな律子の変わった様子に気付くこともなく、平然と答えた。
「衣料品や雑貨を扱うとか言ってたかな。仕入れから接客、経理全般を見なきゃならない上に、人まで使うとなると大変だろうな。でも、おかげで俺は、今まで以上に律子と会えるというわけさ」
律子の食指が反応した。
「奥さん、嫌々やっても、お店が成功するとは思えないわよね」
長年付き合ってきても、律子の考えそうなことがわからない、そんな男の鈍感さで、和人は話し続けた。
「ああ、誰か代わりにやってくれる人でもいないかなあ、なんて愚痴ってるけど、よほど信用のおける人で、なおかつ、その道の手腕がある人材なんて、そう簡単には見つからないさ」
その言葉を聞いた途端、律子は先ほどまでの物憂げな表情を一変させ、生き生きとした目を向けて尋ねた。
「ねえ、私じゃダメかしら?」
和人は、目を見開いてそんな律子を見た。
「今、なんて言った?」
律子は、子どものように目を輝かせて、食い下がった。
「私、ぜひやってみたい!」
呆れ顔で和人が答えた。
「バカ言うんじゃないよ、無理に決まっているだろう。まず、君は俺の彼女である、その君が、妻の実家を手伝うなんてことありえない。次に、君は店の経営や衣料品の販売は全く未経験である。つまり話にならない、ってことだね」
律子の中では、もう何かが動き始めていた。
「あなたは大切なことを見落としているわ。大切なのは、熱意、やる気よ。誰だって最初は素人よ。一から学ぶ気になればできないことないと思うわ」
ようやく和人は、自分がとんでもない情報をもたらしてしまったことに気付いた。
「わかった、百歩譲って、君の努力で経営面はクリアーされたとしよう、でも俺たちの関係には多大の問題があるだろう?」
もう律子の耳には、和人が何を言っても届かなかった。
「そんなことないわ。もちろん愛人関係だったことを告白するほどあなたも馬鹿ではないわよね。私たちは、ただの知人ということで乗り切れるはずよ」
律子の勢いに押されながらも、和人はなんとかふんばっていた。
「妻を甘く見てはダメだよ。会うことも難しくなるし……」
律子は、最後のパンチを放った。
「もう会わないわ。それならいいでしょ」
和人の目の色が変わった。
「それって、別れるってことか?」
律子の中では、もう決着がついていた。
「もちろんそうよ。奥さんの実家に雇ってもらう以上、そんな不義理なことできるわけないじゃない」
この期に及んでみっともないと思いながらも、和人は聞かずにはいられなかった。
「律子、俺たち五年も続いているんだぞ。なんでそんな簡単に別れを切り出せるんだ?」
律子は、ダメ押しの言葉を放った。
「私は自分で何かを成し遂げたいの。自分のものを掴みたいのよ。恋は二の次。それに、どこまで続けても不倫は不倫でしょ?」