女ともだち
落着
いつしか三人は疎遠になり、あれから十年という月日が流れた。そして五十歳を迎えた今、早苗の別荘で三人はまた顔を揃えていた。
大きな暖炉の近くのソファーで、それぞれの顔を見合わせ、三人は互いの顔に年月が刻まれたのを確認し合った。
「本当に久しぶりね、みんなすっかり歳をとっちゃったわね」
百合子の発言に律子が異を唱えた。
「そんなことないわ、私はまだまだ若いつもりよ!」
「そうね、律子は相変わらずハツラツとしているわね」
そう言いながら、早苗が紅茶をテーブルに並べている。カップに手を伸ばしながら律子が言った。
「さあ、これから報告会ね。あれからみんなどうした? まずは早苗からどうぞ」
律子に促されて、早苗が話し始めた。
早苗は結婚をあきらめ、一層バイオリンにのめりこんだ。そしてウイーンに滞在中、プロデューサーを務めていたオーストリア人の男性とパートナーになった。結婚ではなく、日本でいう事実婚だった。いつしかお互いなくてはならない存在になっていたのだ。
「よかったじゃない、パートナーは大切よ」
あっさりと律子が認めた。
「どうして事実婚なの? ちゃんと結婚した方がいいんじゃない?」
心配そうに百合子が言った。
「あら、事実婚なんて向こうじゃ普通よね?」
律子の言葉を受けて早苗が言った。
「ええ、そうね。でも、私が事実婚を選んだのは、私たちは家族というより、音楽を通したパートナーだと思ったからなの。心から信頼しているし大切な人だけど、家族とは違う気がする……」
「そんな難しく考えることないと思うけどな。いいんじゃない、好きだと思えば一緒にいて、気持ちが変われば離れていく――それが自然な姿だと思うわ。それを可能にしてくれるのが事実婚よ」
「そう言う律子はあれからどうしたの?」
早苗に促されて、次は律子が話し始めた。
律子は和人の妻に呼びつけられて、和人との仲を追及された。怖れていた爆弾が破裂したのだった。
律子の成功を妬んで、誰かが過去の関係をリークしたらしい。当然、律子は失脚を言い渡された。でも、捨てる神あれば拾う神あり。律子の手腕を見ていた一人の資産家に見いだされ、新たに店を任されることになった。そして、現在は三店舗を取り仕切っている。
「すごいわね、さすが律子だわ、転んでもただでは起きない、というか……」
「まあね、ただパトロン付きっていうのがちょっとね……やっぱり女一人の力では難しいってこと、それが悔しいけど」
律子はそう言って、肩をすぼめた。
「さあ、最後は百合子ね」
二人の視線に促されて、百合子が話し始めた。
百合子はとうとう店のドアを開けた。すると、窓辺の男は立ち上がって、百合子を外へ連れ出した。
そして、連れて行かれたところは、なんと、近くの公園のわきに立つホスピスだった。それだけでも驚いたが、男の病室に入って百合子はさらに驚いた。その壁には、上手に描かれた百合子の絵が、数枚飾ってあったのだ。
作家志望というのは嘘で、実は、男は画家志望だった。
たまたま入った図書館で百合子に心魅かれた男は、隠れて百合子の絵を描いていた。だから、いつも同じ席に座っていたのだった。雨宿りのおかげで、男は憧れの百合子と話す機会をもてた。ところが、その頃から体調が悪化し、外出許可が出る日ももうあとわずかになった。男は百合子との思い出を作ろうと、思い切ってデートに誘った。しかし、人妻である百合子に当然のごとく拒否され、諦めかけていたところだったという。
その話を聞いて、今度は百合子が男を連れ出した。今日で会うのは最期にしましょう、そう約束を交わし、二人だけの時間を持つことに。
「うそ! 百合子が!」
驚愕と失望のまなざしで叫ぶ早苗を制して律子が言った。
「いいところなんだから黙って聞く!」
百合子は最後の時間を、画家志望である男のモデルになることに使おうと決めた。ホテルの一室でそれは描かれ、男は体力のままならない体で最後の力を振り絞り、鉛筆を走らせた。
「いい話だわ……」
そう言う律子と、複雑な様子の早苗の前に、百合子はバッグから一枚の紙を取り出して見せた。
「これがその時の絵よ」
そこには美しい裸婦像がうっすらとスケッチされていた。
「どうしたの! これ?」
「あの後、図書館の私宛てに送られてきたの」
「どうして手放したのかしら? 大切な思い出の絵なのに……」
早苗の質問に律子は次のように答えた。
「最期の時が近づいて、共有した時間の証を百合子に託したくなったんじゃないかしら」
「そうね、彼なりのラブレターだったのかもしれないわね。その後彼には本当に会わなかったの?」
早苗の問いに、百合子はこう答えた。
「ええ、それが約束だったし、あの人も弱っていく姿を見られたくないと言っていたの」
「あら、最期最期って、そんなに罪の意識を持つほどのことではないと思うわよ。ただモデルになってあげただけでしょ? それも残り少ない命を思いやった人助けじゃない」
律子の意見に早苗が反論した。
「いいえ、ご主人からすればやっぱり裏切りだわ」
百合子は素直に認めた。
「ええ、会いに入った時点では、私には彼の置かれた状況はわからなかったわけですものね」
「でも、人としては美しい行為だとも思うわ。その人は最期に幸福な気持ちで旅立てたでしょうから」
そう早苗は付け加えた。
「つまりはご主人にわからなければいいということよね」
律子が結論付けた。
「もちろんこのことはお墓まで持っていくつもりよ」
そう言うと、百合子はその絵を持って立ち上がり、暖炉の火の中へ投げ入れた。
「百合子! なんてことするの!」
律子が叫んだ。
「秘密の証拠を残しておいては何にもならないでしょ?」
「そうね、今日聞いた話もみんな、この暖炉の火で燃やしてしまいましょう」
早苗はそう言って暖炉に薪をくべると、火は勢いを増して燃え上った。
完