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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Fortunate one

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『人間って、いつも思い出していることは、いずれ忘れられなくなるんだってさ。そういう記憶はほっといても頭の片隅にずっといて、自分の好きなときに、自分から出てくるようになるのよ』
 ツグミが『怖い』と言い、ヒバリは『人間は弱いから』と笑った。
 わたしは、その逆のことを思った。それは、ずっと思い出してさえいれば、その記憶は頭の中で命を持つのだろうかということ。それはとても素敵なことだと思った。
 十年前、わたしは九歳だった。電気がほとんど落ちた、薄暗いロビー。それは、いつも夜中だった。
 わたしは眠れない子供で、よく夜中に布団を抜け出しては、廊下やロビーをうろうろしていた。モズ達も夜中が好きみたいで、煙草をふかしながら駐車場で話したり、電気の消えたゲーム機の椅子に座って、こそこそ話したりしていた。そんな中に、女の人が混じっていた。その人は海外から帰ってきたばかり。男ばかりのモズの中で目立っていて、周りの目を撥ねつけるように誇らしげに振舞っていた。そして、たまにやってきたときは、眠れないわたしをよく可愛がってくれた。そのために起きて、待っていたこともあった。
 女の人はいつも少し眠そうな目で、爪にヒビが入っているときもあった。でも、夜中に何時間も付き合ってくれた。よく話したのは、外の世界に何があるのかということ。朝、気づくと布団の上に戻っているときもあって、そんなときは、その女の人がカワセミに言って、わたしを部屋まで戻してくれたんだろうと思った。
 そして、そんな関係が続いて一年ぐらいが経ったとき、車が猛スピードで何台も入ってきて、大騒ぎになった。クジャクは当時、今のヒバリと同じ二十四歳で、今思い出すとそっくりだった。意地悪そうに『失敗したのね』と呟くと、煙草をふかしながら部屋に戻っていった。
 それから一週間ぐらいが経って、わたしは夜中にまた女の人と会った。しばらく話していると、孫の手を持っている女の人は言った。
『これで、背中のこの辺をさ、掻いてくれないかな』
 わたしは言われたとおりに孫の手を持って、女の人の背中に当てた。少しずつ動かしていると女の人がうなずき、わたしはその上で孫の手を動かした。かさぶたのような、固い感触があった。うまくいかなくて、直接手で触ろうとすると、女の人は身をよじってこっちを向いた。触って欲しくないみたいだった。孫の手を持ったままぽかんとしていると、女の人は右手でわたしを抱き寄せて、胸の中で抱きしめた。左腕がぶらんとしているのを見て、『ああ、この人は大怪我をしたんだ』と思った。そういうモズがどういう運命にあるか、それは九歳のわたしにも分かった。女の人は、真っ暗な広場みたいなホテルの中で、外の世界を知る唯一の友達だった。
『いやだ』
 わたしは自分からそう言った。まだ女の人は何も言っていなかったのに。
『引退するの』
 女の人は、モズのひとりに話すみたいに、淡々とした口調で言った。わたしはその口調に、自分も冷静にならなければいけないと思ったことを、よく覚えている。
『もうここには来ないの?』
 わたしが言うと、女の人は残念そうにうなずいた。
『ごめんね』
 何も言えないでいると、女の人は傍らに置いたかばんから封筒を取り出した。手が離れて心細くなったところに、その柔らかな封筒が置かれた。
『耐えられないぐらいに嫌なことがあったら、これを開けて。それまで、誰にも見られないようにね』
 わたしがすぐに開けようとすると、女の人は疲れた顔のまま笑った。
『今じゃなくて、これからずっと先のことよ』
 わたしはうなずいて、封筒を服の中に隠した。しばらくして、カワセミが『早く寝ないと』と言いながら迎えに来た。女の人は、手を振った。わたしも手を振り返した。それが、彼女を見た最後になった。
 何日か経ったあと、カワセミが料理を作る手を止めてぼろぼろと泣いているのを見たわたしは、女の人は死んだのだと確信した。封筒を開けようかと思ったけど、ずっと先という言葉を信じて、そのときは我慢した。
 それ以来、封筒はロッカーの中にしまってある。辛いことばかりかというと、そうでもない。ツグミと話している時間は楽しいし、わたし達は夫婦の死体から回収したおそろいの指輪をつけている。ツグミは夫の太い指輪を中指に、わたしは妻の指輪をそのまま薬指に。それに、お客さんが忘れて何年も取りに来ない服がロッカーにたくさん置かれていて、制服が苦しくなったときは、ふたりでそれを着て遊んでいる。
 悪いことや悲しいことには、できるだけ出会いたくない。でも、自分に起きた一番悲しいことなのに、あの十年前のことは、少しでも時間が空いたら、いつも思い出すようにしている。色落ちしたり、錆びたりしないように。

 次の日、ツグミと昼ごはんを食べていると、メジロが横をさっと通っていった。わたし達が顔を見合わせていると、メジロははしゃぐように戻ってきて、わたし達の顔をかわるがわる見た。
「どうしたの?」
 ツグミがフルーツをつつく手を止めてメジロの方を見ると、メジロはツグミの制服のポケットから、メモの切れ端を取り出した。ツグミは目を丸くして、フォークを置いた。
「今入れたの? すごいじゃん」
「分からなかったですよね?」
 メジロは、ツグミの評価を待てない様子で言った。
「全然わかんなかったよ」
 ツグミの評価に、メジロは笑顔を隠せない様子で、わたしのポケットからも小さなメモ用紙を抜き取った。
「これも、今入れたんです」
「私、カラスのほう見てたのに、全然気づかなかった」
 ツグミの驚いた顔が、わたしは好きだ。ほとんどのことは先読みできるぐらいに頭がよくて、彼女が何かに驚くことはまれだから。
「すごいなあ、進化してるね」
 わたしが言うと、メジロは頭をぺこりと下げて、颯爽と歩き出したけれど、テーブルの足につまずいて転びそうになった。わたし達は笑いながら、同じように笑顔で食堂から出て行く彼女を見送った。メモ用紙を開くと、それぞれに綺麗な字で『ご協力ありがとうございました』と書いてあって、また笑ってしまった。誰にも気づかれないように紙を滑り込ませるやり方は、ヒバリの得意技だ。おっちょこちょいなメジロも仕事を覚えつつある。それは嬉しいことだけど、個性の強いモズ達と接触しなければならないのは、荷が重いように感じた。
 エレベーターホールで、クジャクとヒバリが話し込んでいるのを見たわたしは、階段から降りた。平日はお客さんが少ないから、みんな持ち場を離れて自由にしている。地下に通じる階段の踊り場は、わたしが仕事の日にご飯を食べる場所。そこから数階上の四階の踊り場は、モズのひとりに言い寄られた場所。彼は腕がいいらしくて、死体を預けにきたときも、『ここを一発で撃って仕留めてやった』とか、そういう自慢をしていた。でも、一年ぐらいが経ったある日、その人が死体になって運び込まれてきた。
『逃げたんだよ』
作品名:Fortunate one 作家名:オオサカタロウ