盗人のお頭、時を越え
方達にお願いしております。」
監督:「病院の方は、どうかね」
スタッフ:「はい、製作スタッフが状況説明に向かって
おります、あくまでも稽古場での事案と言う事で」
監督:「傷害とでもいうことになれば、それこそ警察も黙っ
てないだろうし、それに火盗改めが警察に取り調べられで
もしたら、洒落にもならないからね」
監督:「ところで、あの丹吉とかいう人は、どういう人なの
かね、唯もんじゃなさそうだけど」
資料.時代考証課:「それが、現存する火盗改めお調べ書きに
は、漁火の丹吉という名がやはり有り、寛政6年(1794年)
5月に捕縛したとの記述があります」
監督:「まさかその人が、現代によみがえった訳でもあるま
いに」
監督:「その捕縛されたその後の事は、何か書いてあるのか」
資料.時代考証課:「はい、配下の者は、30日の手鎖のあと
釈放され放免、丹吉の方は左腕に二本の入れ墨の刑を受け
1年の寄場送り、その後行方不明となっております」
監督:「なんだね、その行方不明とは」
資料.時代考証課:「なんでも丹吉が無事、刑を務めあげ、以
前使っていた盗人小屋で、今は堅気になっている元配下の
者たちと、自身の今後の身の振り方について語っていたと
ころ、突如、間近でとても大きな落雷があり、皆両手で
耳をふさぎながら、すくんでしまったそうですが、しばら
くして目を開けてみると、もうお頭の姿がなかったと、証
言しています」
監督:「まるで、神隠しにでもあった様じゃないか、・・・ま
てよ、そういえば昨日もひどい雷だったな」
俳優1:「それに、・・・あの人にも二の腕にみごとな入墨(いれずみ)が
あったな」
江戸言葉指導:「あのベランメィ調の流暢な江戸下町言葉
には舌を巻きましたよ」
俳優3「あの旅の垢が染みついたような様子と身のこなしは、
とても演技とは思えないし、それにあの入墨(いれずみ)、俺たちがし
ているのとは、比べものにならないくらい迫力があったな」
監督:「じゃあ、200年以上も前に神隠しに合ったものが、
今ここに現れたとでも言うのかね、ばかばかしい」と、丹
吉にやや感傷的になりかけているスタッフたちの心に、
活でも入れるかのように、つよい口調で言い放った。
監督:「とにかく、皆で最良の方法を見つけようじゃないか、
それしかあるまい」
監督:「私は、まずふた通りの考え方があると思うの
だが、それは、彼が窃盗目的でここに入り込み、い
ざ物色しようとした矢先、あの雷に打たれ一時的に記憶を
失ったと言う事だ」
監督:「そして記憶の抜け落ちた部分に、昔から憧れていた
時代劇のイメージがうまくはまってしまったとか、まあ、
腕にあんな彫り物を入れているぐらいだからね」
スタッフ:「それでは、記憶が戻るまでのあいだ、彼を監視
すると言う事ですね」
監督:「そうだ、まあ記憶を無くしたというのも、怪しいも
んだが、一時しのぎに振りをしたとも考えられるからな」
警備担当者:「では、その気配を見つけたら、直ぐに捕まえ
て警察に引き渡すという事で」
監督:「しかし彼も相当な武道の心得を持っているようなの
で、そこは慎重にお願いするとして」
監督:「最後は、彼が正気であった場合どうするかと言う
事だ」
俳優2:「正気であった場合は、正気の沙汰ではないのです
から、精神科とか介護施設の患者や入所者のデータベー
スを詳しく調べるとか」
俳優3:「MRIを受けさせたらどうですか、それとあの彫り
物の経緯を探れば、身元はすぐに分かるのでは」
監督:「どうやって彼を病院まで連れて行く気だ、それこそ
パニックになり、あばれて逃げだされでもしたら大事(おおごと)だよ」
監督:「とにかく身元だけは、いろいろ手を尽くして、調べ
ておくとしてだ」
監督:「これ以外で考えられる事と言えば、・・・ありえない
ことだが彼が正気で、しかも今の時代の戸籍を持っていな
いとしたらどうかと言う事だ・・・」
衣装係:「彼が来ていた道中合羽(かっぱ)を調べたところ元禄時代に
わらび糊(のり)を使って和紙を継ぎ合わせその上に桐油(きりあぶら)と柿(かき)渋(しぶ)
を引いた紙(かみ)合羽(かっぱ)です。現在では素材もほとんど手に入らず、
また作り手もいないと言う事です!」
衣装係:「そして今ではすべて新素材で作るので、あれはも
しかしたら、元禄時代の貴重な文化遺産とでもいうべきも
のかと」
監督:「このありえないテーマを常に頭の隅に置きながら、
事にあたっていくしか他に道は無さそうだね」
監督:「で、平蔵さんと明日合わせる事になっているんだろ
う、しかし、このまま出ちゃまずいだろう、有りえない事
だがもし、最後の展開だとしたら・・・どうだろうか、
何か手立てがいるな」
制作部:「ではこうしましょう、丹吉が捕えられた半年後に、
長谷川平蔵 宣以様は流行病(はやりやまい)にて、亡くなられ、そのあとを
嫡男宣義様が相続し、またお役目も名前もそのまま引き継
がれたと言う事にしては」
与力同心:「しかし、あの権幕(けんまく)だと墓参りをしたいとか言い
出しかねませんよ」
小道具係:「では今夜中に、セットで使っているお寺の境内
に、お墓を用意しておきましょう。」
小道具係:「丹吉の捕縛(ほばく)から半年後と言いますと、寛政6年
11月と言う事になりますね」では早速(さっそく)にといって2~3人
の若手を連れて足早に出て行った。
実は、墓石名をどうするかと言う事になったのだが、本名
や戒名を入れるのは如何(いか)にも不遜(ふそん)だと言う事で、長谷川
家累代の墓と刻むことになった。
何か、大きな芝居の中で、小さな芝居を新たにからめて作
る作業に魅力を感じたのか、特に若手のスタッフ達は
きびきびと体が動いているようすだった。
監督:「鬼平犯科帳という大型時代劇を取りながらも、同時
に別枠で自主製作の鬼平犯科帳を撮らなければならないと
は、頭が混乱しそうだよ」
助監督:「でも、彼らはインディーズで鍛えていますから、
任せて見てはいかがですか」
監督:「そうするか、しかし君も手伝ってくれよ」
助監督:「はい分かりました、監督」
やがて対面の儀がとり行われることになったのだが、丹吉
には、長谷川平蔵宣以様は流行病(はやりやまい)にて亡くなられ、
嫡男宣義様が立派に跡を継がれていると言う事を、事前に
打ち明けていたのである。
これは助監督が、体面の場で丹吉が取り乱してはとの思い
があっての事であった。
場所は、清水御門外の火盗改め役宅、嫡男宣義様役には若
手俳優陣の中から、侍(さむらい)髷(まげ)の似合う凛々しい若者が選ばれ
た。
長谷川平蔵宣義様御出座―と、声が屋敷内に響き渡り、
颯爽(さっそう)と裃(かみしも)姿(すがた)の凛々しい若武者が現れ上段の間にお座り
になられ、与力は少し下がって左右に着座した。
作品名:盗人のお頭、時を越え 作家名:森 明彦