孤独の行方
第一章 緒方真一(三)
孤独の川で溺れていた自分に、麗子が手を差し伸べてくれたのではないか、と真一は思った。あの時流れてきた帽子は自分で、拾い上げたのが麗子、そんな気がした。
それから真一は、麗子に今までの自分の中の葛藤を少しずつ話していった。何度か会って、話をしていくうちに自分のことをわかってくれる人がひとりでもいれば、偽善者の仮面など必要ないことがわかってきた。
こうして麗子との時間は、真一にとってかけがえのないものとなった。それはあたかも漢方薬の効果のように、真一の生き方に穏やかに作用した。次第に会社の同僚や友人関係、家族との関わりも変わっていき、生きていることがだんだん楽になっていった。
ある時話が弾んで、この公園ばかりでなくたまにはどこかへ出かけてみようということになった。
「麗子さんはどこへ行きたい?」
「そうねえ、スカイツリーから東京の夜景を見てみたいわ」
「へえ、ずいぶんオシャレな発想だね。いいよ、予約を取っておくから一緒に行こう」
「本当? お天気だといいなあ」
麗子は遠足を楽しみに待つ少女のような微笑みを浮かべた。
そして、その遠足の日がやってきた。待ち合わせ場所であるいつもの公園へ行くと、麗子の隣に一人の女性が立っていた。真一はすぐに麗子の娘だとわかった。
「緒方さん、娘の瑠璃子です」
「母がいつもお世話になっています」
瑠璃子が軽く頭を下げた。
「瑠璃子、こちらが今日エスコートして下さる緒方さん」
真一も挨拶を返した。
麗子も画数の多い字だが娘も負けないくらい多いと気がついて、真一はおかしかった。この親子は名前で笑わせてくれる。
「母がボーイフレンドと出かけるなんて言うから心配でついてきてしまいました。てっきり年配の方だと思っていたので、あまりにお若くてびっくりしました。今日は母をよろしくお願いいたします」
まるで保護者のような口調の娘に面白くない様子の麗子が、
「だって若い人だなんて言ったら心配するでしょ? いろいろな詐欺があるから」
と言った。
そんな母子のやりとりに割り込むように真一が言った。
「お母様は夜景が見たいそうなので遅くなりますが、責任を持ってお送りしますのでご安心ください」
「そういうことだから、行って来るわね」
麗子はそう言ってさっさと歩きだしたので、真一は瑠璃子に名刺を渡してから、慌てて麗子の後を追った。
真一と麗子、はた目には祖母を観光に連れてきた孝行な孫に見えるであろうが、ふたりの意識は違っていた。ふたりは心の友であり、年齢を超えた対等な関係なのである。
夜のスカイツリーを麗子は心から堪能した。
天候に恵まれ、澄んだ夜空に宝石箱をひっくり返したような東京の街は、麗子の心の奥深くまでキラキラと光り輝かせた。そして体全体で感動を表現する麗子の姿はまた、真一を心から喜ばせた。自分を孤独の流れから拾い上げてくれたお礼が少しはできたような気がしたからだ。
「主人が焼きもちを焼いて雨でも降らすかと思ったけれど、心の広い人みたいだったわ。いつか向こうで会ったら、ありがとう、と言わなくちゃね」
麗子は、幸せなこの時間を胸に刻むように言った。