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昭和の子

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ともだち

  
 子どもには、子どもの世界がある。それは普遍的なことで、今も昔も大きな違いはないのかもしれない。
 でも、物が豊かでなかったという環境は、その関係に大きく影響を及ぼしているに違いない。
 電話やメールなどのアイテムを使えない……つまり直接話さなければ気持ちを伝えられない時代だった。不便ではあるが、そこには温もりがあった。
 家庭環境の差も、現在の比ではなかったように思う。一億総中流家庭と呼ばれる以前の話だ。
 
 智子は、狭いながらも平屋の一軒家に住んでいた。でも、友だちの中には一家五人でアパートの一部屋に住んでいる子もいた。トイレも炊事場も共同だ。子どもは、そんなところへも平気で遊びに行く。近所の子どもが勝手に出入りするのは、どこの家でも普通のことだった。
 一方で、裕福な家庭の子もいた。かくれんぼができるほどの広い庭に鉄棒などの遊具まであった。玄関は、智子の家の部屋より広く、階段を上がり庭を見下ろすロビーには、黒光りのピアノが置かれていた。そして、その友だちの部屋には、当時、まだ見たことのないようなドレッサーやベッドが配置され、まるでお姫さまの部屋のようだった。
 正月に遊びに行くと、なんとお年玉までくれた。そんな豪邸の中を近所の子どもたちが駆け回っても怒られない。そんなおおらかな時代だった。
 
 狭い家だろうと、豪邸だろうと、子どもたちにとっては関係ない。卑屈になる子もいないし、自慢する子もいなかった。何でも平等を目指すより、居心地の良い環境だった気がする。
 そして、良し悪しは別として、子どもにとってはもちろん、親にとっても、学校の先生は絶対的な存在だった。親の言うことは聞かなくても先生の言うことは聞くガキ大将もいた。モンスターペアラントなどまるで考えられない時代だったのだ。教師は、職業ではなく聖職者に近かった。 
 そして家の中では親、特に父親は強力な権力を持っていた。順列では最も下の子どもたちは、秩序の中で育てられ、我慢というものを身につけていった。兄弟が多いということも社会性を育む一因だっただろう。
 現在、家庭での子どもの位置は格段に高く、ペットまでもが上位を占めているのだから、墓の下で、さぞ、親世代の人たちは驚いていることだろう。
 
 智子は、友だちにラーメン屋の子がいたので、親から六十円をもらい、たまに食べに行くことがあった。だが、近所のパン屋で一個十五円のチョコクリームというパンを買うことが多かった。それが、智子の懐かしの味だ。
 家の近くにやってくるおでん屋の屋台も、忘れられない子どもの頃の味である。小柄なお婆さんが串に刺して味噌をぬってくれる。中でも、ちくわぶは必ず入れてもらった。
 あのお婆さんは幾つくらいだったのだろう? もしかしたらそんなに高齢ではなかったのかもしれない。屋台を引いて歩くくらいだから。でもその頃の智子には、確かにお婆さんに映った。
 友だちの母親たちも、今思うとまだ四十歳くらいだったはずなのに、みんな完璧なおばさんだった。
 髪はパーマをかけ、普段は割ぽう着姿、そして入学式には、決まって黒い羽織、そんな所帯じみた恰好が歳より老けて見せたのだろう。お金の価値が今とはかなり違うように、女性の見た目年齢も現在とは大幅に違う。家事に追われ、親戚近所のしきたりの中で、自分のことなどかまっていられない主婦たち――アンチエイジングなどとんでもなかったのだ。
 
作品名:昭和の子 作家名:鏡湖