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絶妙のタイミング

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                 第一章 三すくみの関係

 彩名が夢を気にするようになったのは、いつの頃からだっただろうか?
 夢というのは、見たとしても、起きてしまえば忘れてしまうもので、忘れてしまったものに対して、
――あれはどんな夢だったのだろう?
 と、いちいち気にすることはなかった。
 夢を見たという意識はあっても、夢を見たことを思い出したとしても、何が変わるわけではないという意識があったからだ。特に彩名の場合は臆病なところがあり、
――見た夢が怖い夢だったらどうしよう?
 という思いが先にあり、思い出さないことの理由づけに、いちいち気にしないということを自分に言い聞かせているだけだった。
 彩名には、実は臆病になる理由が、性格的なもの以外にもあった。それは、子供の頃の記憶のどこかに欠落している部分があるということである。
 忘れているのか、それとも記憶から消えてしまったのか、彩名には分からない。ただ、思い出そうとすると、身体中から汗が吹き出してくるようで、身体全体が、思い出そうとする意識を否定しているようなのだ。そんな状態で忘れてしまったことを思い出せるわけもなく、思い出そうとする意識すら、まるで悪いことをしているかのように思えてくるのだった。
 彩名は、それまで夢を見たとしても、無意識の中で、
――夢なんか見ていない――
 と、自分に言い聞かせていたことを意識するようになっていた。
 一時期は、
――私は、夢を見ない体質なんだ――
 と思っていたほどで、夢を見ないことが自然なことだと感じていた。ただ、それが思い出すことができない何かのせいで、夢を意識しないようにしていたなどという思いはなかったのである。
 彩名は、今年で二十五歳になっていた。学生時代までが長かったと思い、大学を卒業してからの三年間は、あっという間だと思っていたくせに、二十五歳になってから学生時代を思い出そうとすると、かなり昔のことに思えてならなかった。だからと言って仕事が辛かったわけではない。確かに厳しい仕事だと思っているが、さほど辛いと思っていないのは、それだけ気を張っているからだろうか? 気を張っていると辛い仕事もさほど苦痛に感じなくなる。彩名はそれを、
――感覚がマヒしているからだ――
 と思っていたが、その心の奥には、
――気持ちが精神を凌駕した――
 という思いが潜んでいる。
 ただ、彩名は気を張って仕事をしていたが、まわりから見えているほどギリギリまで張りつめた精神状態だったわけではない。ギリギリまで張りつめた精神状態と言えば聞こえはいいが、要するに、
――他の人はどうでもいいので、自分だけでもしっかりしていればいい――
 という「自分中心主義」だった。
 自分が一番偉く、まわりがそれについてこれないなら、それでも仕方がないという考えで、ただ、仕事に差し支えてしまうと、それが自分の中のストレスになって繋がってくるという見方だった。
 彩名を見ている人のほとんどが、彩名を「自己中心主義」だと思っていた。だが、実際には違っていて、彩名が潔癖症だというのが、「自己中心主義」に見える原因だった。
 しかも、彩名には子供の頃の記憶が欠落しているという意識がある。その意識が手伝ってか、学生時代までは表に出てこなかった潔癖症との融合が、「自己中心主義」だと、まわりに思わせているのだった。
 学生時代までは、自分が潔癖症だという意識はあったが、記憶の欠落が潔癖症と融合することはなかった。だが、就職して融合するようになったのは、学生時代までにはなかった、
「他人との競争意識」
 が、気持ちの中に融合作用を作り出したのだった。
――まわりの人に負けたくない――
 学生時代までにも同じ思いはあった。特に受験の時など、
――まわりは皆敵なんだ――
 と思っていたが、心の奥で、
――敵は自分自身だ――
 という意識があった。
 この意識があったから、受験戦争を何とか乗り越えられたのだと思う。考えてみれば、確かに定員というのは決まっているのかも知れないが、まわりがどうであれば、自分が合格点に達していれば、受験の場合はそれでよかった。
 しかし、就職してからは、そうも行かない。テストのように点数が明らかになるわけではなく、どうしても、上司が判断することで自分の評価が決まるのだ。その基準は仕事のデキ具合と、まわりとの比較が大きく左右する。
 同じように仕事をこなす人であれば、あとはいかに上司の心を掴むことができるかということに関わってくる。気の利く人、先見の明のある人、それぞれに特徴が現れる。彩名の場合は潔癖症という性格があるので、なかなか、上司に気に入られるようには振る舞えない。しかも、人に媚を売るのは嫌いな性格だと来ている。そうなると、気を張ることで、自分が「できる」社員だということを表現するしかなかった。そのために、どうしても、自分が中心になって仕事をこなしている姿を見せつけるしかない。それが嵩じて、どうしてもまわりに対して毅然とした態度を取るようになり、「高飛車」な態度をまわりに感じさせるようになっていた。
 ただ、彩名のような女性は、どこの職場にも一人くらいはいる存在なのかも知れない。それは学生時代にはそれぞれ違う性格だったに違いないのに、社会人になって似たような性格になるのは、それだけ社会の仕組みが複雑に見えて、本当は単純なのではないかということを思わせることになるのだろう。
 彩名にとって二十五歳という年齢は、一つの分岐点ではないかというのは、以前から感じていたことだった。
 別にしっかりとした人生設計を持っているわけではない。彩名は自分の性格を把握しているつもりなので、今のままの性格であれば、自分の会社での立ち位置は、これ以上でもこれ以下でもないと思っていた。ただ、それがストレスになって溜まってくるのは致し方のないことで、最初は、どうして自分にストレスが溜まるのか分からなかったくらいだ。
 学生時代から社会人になる時、期待と不安が入り混じっていた。期待は感じていたほど満足できるものではなかったが、不安の方は、自分で考えていたほどひどいものではなく、何とか乗り切れていた。ただ、その中で不安を乗り越えるために通らなければならない道として、
「ストレスの解消をどうするか」
 ということは、考えていたつもりだったが、なかなか解消できるものではなかった。
 ストレスの解消に関しては、
「仕事をいかにしてこなしていくか?」
 ということであったり、
「いかに上司や同僚とうまくやっていけるか」
 ということの方が重要であり、自分のことであるストレス解消は後回しになってしまった。
 後ろ向きの考え方に感じられたのだ。優先順位としてはかなり低いところに置いていたのだが、それがそもそもの間違いだった。
――自分をコントロールできなければ、仕事をこなしたり、まわりとうまくやることもできない――
 という、これほど単純なことを忘れていたのは、彩名の中に、自分に対して特別な思いがあったからなのだろう。
――自分なら大丈夫――
 という思いが微妙にではあるがあったのも事実だった。
 それは、
作品名:絶妙のタイミング 作家名:森本晃次