家族の季節
次の週末がやってきた。
「今日、直人のところへ行ってみますが、あなたも行きますか?」
「いや、俺が行ってもしょうがないだろう」
(そう言うのはわかっていましたけどね)
出かける支度をしていると電話が鳴った。
「はい、根岸です。ああ、理恵子さん、これからちょうど――
え、なんですって! 直人が! わかったわ、中央病院ね」
一瞬、受話器を持ったまま呆然と立ち尽くした葉子は、我に返って電話を切ると、慌てて康夫を呼んだ。
「あなた! 直人が事故に! 中央病院だそうよ。あなたも早く支度を――」
「俺は仕事の連絡があるから済ませてから行く。何かわかったらすぐ連絡をくれ」
葉子は耳を疑った。
(息子が事故に合っても、あなたは駆けつけないというの!)
葉子は取るものもとりあえず、ひとり病院へ駆けつけた。手術室の前の廊下の椅子に理恵子が座っていた。隣には幼い女の子の姿が。葉子に気がつくと、理恵子は駆け寄り、何度も何度も頭を下げて詫びた。何とか落ち着かせて椅子に座らせると、理恵子は言葉を詰まらせながら話し始めた。
休みの今日、直人が理恵子の愛娘、奈津を近くの公園に連れて行った帰り道で事故に合ったという。道路に飛び出した奈津をかばって、タクシーにひかれ、足を骨折したというのだった。
命に別状はないと聞いてホッとしたが、理恵子の様子が尋常ではなかった。妊娠のせいで不安定なのかと思ったがそうではないらしい。申し訳ないの一点張りの理由――それは直人の足が完全には元に戻らない可能性があるという医者の言葉だった。
それを聞いて葉子も黙り込んでしまった。重い空気の中、ふと横を見ると奈津の可愛い目が葉子の顔を覗き込んでいるのに気がついた。そして一瞬、その顔は千佳の娘愛とだぶった。直人が愛を可愛がり、進んで相手をした理由に、葉子は今気がついた。
「こんにちは、おなまえは?」
「なつ」
そのあどけない声と仕草に、葉子は思わず奈津を抱きしめた。
(直人は命をかけてこの子を守ろうとしたのだ。もう立派な父親なのだ)
術後もしばらくは目覚めないと聞いて、葉子は明日出直すことにした。
家へ帰ると、心配そうな様子で康夫が出てきて、直人の様子を尋ねた。葉子は、康夫に連絡するのをすっかり忘れていた。何も連絡がないので大丈夫なのだろうと思い、家で葉子の帰りを待っていたという夫に、淡々と直人の様子を話した。最後に足に障害が残るかもしれないと付け加えると、
「それは困ったことになったな」
とさすがに康夫も顔を曇らせた。
千佳にも連絡を入れたが、骨折でたいしたことはないとだけ伝えた。見舞いに行くというので、落ち着いたら声をかけるから一緒に行こうと約束した。
人生、何が幸いするかわからない。直人にとってこの不幸な事故が、葉子の心を大きく変えることになろうとは――
翌日、病室を訪れると、すでに理恵子と奈津が付き添っていた。理恵子は、今は大事な時なのにと心配になるくらいかいがいしく直人の世話をしていた。
「母さん、心配かけたけど大丈夫だよ」
「そうみたいね、よかったわ。どのくらい入院するの?」
「二か月くらいかな」
「結構長くかかるのね」
「骨折だから仕方ないさ、それについでにリハビリもがんばっちゃおうと思って」
「そうね、それがいいわね。ところで理恵子さん、身重の体で毎日通うのは大変だから、私と交代にしましょう」
理恵子は首を振った。
「いいえ、私にやらせてください。お願いします」
「普通の体ならそうしてもらってもいいけど、今は大事な時期だし、奈っちゃんの世話もあるでしょう? 無理はダメよ。直人からも言いなさい」
「そうだな。母さんの言う通りだよ。交代で頼むよ。本当は理恵ちゃんがいいんだけどね」
「私ではご不満でしょうけど我慢なさい。その代わりあなたが退院してくる頃には、ちゃんとあなたを迎える準備をしておくから」
気まずそうな表情で直人が答えた。
「母さん、ごめん。僕が帰るのは――」
「理恵子さんと奈っちゃんのところでしょ? だから、それまでには二人の荷物をあなたの部屋へ運んでおくわ。千佳の部屋との仕切りを外せば三人、いえ来年には四人ね、とにかくみんなで暮らせるでしょう?」
直人と理恵子は顔を見合わせた。
「もちろん、理恵子さんの意向も聞いた上でのことですけどね。二人でよく話し合って、同居は気が進まないのなら今の話はなかったことにしてね。仮にそうなったとしても、私はかまわないから。
じゃ、私は明日の当番ということで、今日は帰るわね。お大事に。
さよなら、奈っちゃん」
ふたりはキョトンとして葉子の後姿を見送った。奈津が、
「ねえねえ、どうしたの? おばさん帰っちゃったの?」
とあどけない声で聞いた。