家族の季節
息子の夏(二)
「おい、おい母さん」
夫の声で葉子は目を覚ました。いつの間にかソファーで眠ってしまっていた。窓の外はもう暗く、葉子は起き上がるとまずカーテンを引いた。
「メシはどうするんだ?」
こんな時でも食事の支度がいつものようにできていると思っている夫に、葉子はますます心が冷えていくのを感じた。
「今夜は冷凍のチャーハンで我慢して下さい」
「あっ、さっき直人が戻って来て、荷物を持って出て行ったぞ」
葉子は驚いて康夫を見つめた。
(どうしてそれを早く言わないの! いえ、どうして止めなかったの! どうして私を起こさなかったの!)
ふたりは黙ってチャーハンとサラダを食べていた。テレビからは賑やかな笑い声が空しく響いている。世間話をする空気でもなく、かと言って、直人の話を持ち出しても、康夫はお前に任せるというに決まっている。出ていく息子を黙って見送るような、我関せずの父親である。
そんなイラッとくる言葉を聞くくらいなら、黙っていた方がまだましだ。こんな大事な時に、何も話し合わない夫婦が世の中にいるだろうか? というより夫婦でいる必要があるのだろうか?
月曜の朝が来て葉子はホッとした。夫が出勤する。平日の昼間は、葉子にとって安らぎの時間だった。でも、直人たちのことをこのままにしておくわけにはいかない。理恵子のお腹の中には小さな命が宿っているのだから。
午前中の家事を終え、コーヒーを飲みながら葉子は昨日の理恵子を思い出していた。
昨日は突然のことで、年齢と子持ちの離婚経験者というマイナス情報だけが理恵子の印象だったが、落ち着いて思い返してみると、感じの良い娘だった気がする。
挨拶に来るには相当な勇気が必要だったはずだ。頭から反対され、辛い言葉を投げかけられる覚悟もしていたに違いない。年下の直人などに庇いきれるわけなどないことは百も承知だっただろう。実際、葉子は尋問口調でいろいろ痛いところを突いた。そして、頼りにならない直人は、ただ怒り出すだけで事を収めることはできなかった。
そんな中で、理恵子は誠実に質問に答え、不愉快な表情など一切しなかった。帰り際には突然の訪問の詫びを言って頭を下げた。
年上の子持ち女性と知りながら、夢中になったのは直人の方に違いない。むしろ最初、理恵子は困ったのではないだろうか? 強引な若さに負けてこのような事態になったのかもしれない。結婚前に子どもができた場合、普通男が責任を取るものだが、理恵子は自分に責任を感じて昨日のような状況に耐えたのではないだろうか?
そもそも、離婚の理由はDVというのだから理恵子は被害者だ。三十五歳で子どもがいる。美人である。昨日、気になった事柄のどこにも理恵子に非はない。大切なのは人柄のはずだ。たとえ若くても、初婚でも反対したくなるような相手だっているだろう。
でも、でも、頭ではわかっているのだが、何でよりによってあの人なのだろう……という思いは簡単には打ち消せなかった。
世間体かもしれない。あるいは、他人の子を自分の子として育てる直人を見たくないからかもしれない。とにかくなんとか早くこの状況を受け入れなければならない、お腹の子は待ってはくれないのだから。