第四章 動乱の居城より
「……我々は凶賊(ダリジィン)であり、世間からは無法者と呼ばれております。けれど、我が鷹刀は法を守る者には敬意を払い、一般の人々には決して害を加えません」
彼女は一度、言葉を切り、女性としては長身の彼女より遥かに高い目線の男たちを見渡した。
「あなた方は、法の秩序を守る警察隊です。我々は従わざるを得ません。……ですが、万が一にも祖父に危害を加えようとした場合には、こちらも法に則り、正当なる防衛手段を取らせていただきます」
緩やかに波打つ髪を揺らし、肩に置かれた指揮官の手を自然に振り落としながら、ミンウェイは背を向けた。ついてくるように言っているのだろう。
すらりとした背筋を伸ばして彼女が歩き出すと、香水とは違う干した草の香りと……焦げた毛髪の臭いが入り混じって漂った。
指揮官は、にやりと嗤い、「続け」と指示を出した。
毛足の長い絨毯の廊下をミンウェイが滑るように歩く。その後ろにふんぞり返った指揮官。一歩置いて、いつの間にか紛れ込んでいたシュアンの知らない男たちが、まるで訓練されていない動きでぞろぞろとついていく。
シュアンは充分に距離を取りながら、その一団のあとをつけていった。
いくつか角を曲がり階段を登り、奥の部屋に着いたところでミンウェイが振り向いた。
「こちらです」
ミンウェイがそっと横に動き、目の前の扉を示した。
扉には大きく翼を広げた鷹の彫刻が施されていた。羽の一枚一枚は刀と化している。遠目に見ているシュアンにも、それが鷹刀一族の紋章だと、すぐに分かった。
ミンウェイは再び扉に向き直り、そっと触れる。
次の瞬間、彫刻の鷹の眼球が動いた。そして、ミンウェイの瞳を捉える。
<ミンウェイ様ですね>
流暢な女声の合成ボイスが流れた。
目を丸くする一堂をよそに、扉が小さな機械音を立ててスライドし、道が開かれる。つんとした薬の匂いが流れてきて、その場にいた者たちの鼻孔を刺激した。いわゆる病院の匂いであった。
「お入りください」
ミンウェイが横にすっと動いて、右手で部屋の中を示す。
「……今のは、なんだ?」
泥臭いと侮っていた凶賊(ダリジィン)の屋敷に、先進的な技術が使われていたことに驚いたのか、部屋に踏み込む前の確認をするかのように指揮官が尋ねた。
「扉のセキュリティです。虹彩を登録した者だけが開けることのできる仕掛けです」
「はっ、厳重なことだな」
要するにガードの堅い鍵だと思い直した指揮官は、威圧的な態度を取り戻す。
「さすが凶賊(ダリジィン)の総帥。常に命を狙われているというわけか!」
指揮官の嘲笑混じりの言葉に、中から「いえ、いえ」という低い声が響いた。穏やかで、どこかのんびりとしていて、更にいたずらな子供のような茶目っ気が混じっている。
「これは機械いじりの好きな、末の息子のお遊びですよ。『凶賊(ダリジィン)の親玉の部屋なんだから、このくらいしないと箔が付かないからな』だそうで。なかなかの孝行息子です」
こぼれんばかりの笑いを堪えているかのような、魅惑的な響き。白いベッドに寄りかかるようにして半身を起こした壮年の男が、部屋の中から手招きをしていた。
「私が鷹刀イーレオです。どうぞ、お入りください」
整った容貌に細身の眼鏡。部屋着と思しきゆったりとした服装に、上着を肩に羽織るという出で立ちが、凶賊(ダリジィン)の総帥というよりも、病床について引退した往年の舞台俳優といったほうがふさわしかった。
ベッドの脇には、腕っ節の強そうな護衛の男がひとりいるのみ。
背後に屈強な男たちを従えた指揮官は、にやりと嗤った。
「ミンウェイ」と、イーレオは孫娘に声を掛けた。
「ご苦労だった。お前は下がっていなさい」
「はい」
ミンウェイが一礼して、扉から離れるのと入れ替わるように、指揮官が意気揚々と足を踏み入れ、男たちがそれに続いた。
ミンウェイと、離れた位置で一部始終を見ていたシュアンを廊下に残したまま、扉は小さな施錠の音を鳴らした。
総帥のいるフロアだからだろうか、人払いをしてあるらしく他に人影はない。屋敷中を捜索しているはずの警察隊員たちも、指揮官が向かった先は自分たちが行くまでもないと――下手に行って、手柄を奪いでもしたら不興を買うだけだと――こちらには来ていない。
扉のすぐ向こうには一個小隊ほどの男たちがひしめいているというのに、防音が効いているのか物音ひとつなかった。
そんな静寂の廊下で、ミンウェイとシュアンの視線が交錯した。
「あなたは祖父のところへ行かなくてよかったのですか?」
ミンウェイが綺麗に紅の引かれた口を動かした。
シュアンはその問いには答えず、無言で彼女に近づいた。そして、彼女の目前まで来ると、おもむろに懐に手をやり、次の瞬間にはミンウェイの豊かな双丘の狭間に拳銃を押し当てていた。
ミンウェイの顔が驚愕に震える……ということは、なかった。
「やっと、あなたとお話できそうですね」
整った眉を下げ、にこやかに微笑んだ彼女に、シュアンのほうが驚愕した。
「……大した胆力だな」
呼気と共に吐き出すように、シュアンが漏らした。
「あなたには、まるで殺気がありません」
「殺気、ね。さすが凶賊(ダリジィン)ということか」
見抜かれていては無用の長物。シュアンは拳銃をしまう。
ミンウェイは、彼の腫れ上がったような三白眼をじっと見据えた。隈が深く、血走った目をしているが、決して狂人のそれではなかった。
「あなたは、緋扇シュアンですね。凶賊(ダリジィン)たちに『狂犬』と呼ばれている――」
凶賊(ダリジィン)どもが付けた蔑称を口にされ、シュアンは不快げに鼻を鳴らした。
「あんたらが俺をどう呼ぼうが、俺の知ったことじゃない」
「噂では、突拍子もない言動を繰り返すということでしたが……間近で見ていると、あなたの動きは狂人のように見せかけて、実はとても計算高い。目的のためには、手段を問わないようですけれどね」
シュアンは一瞬、息が詰まった。そして、この只者ではない凶賊(ダリジィン)の女にどう話を切り出したものかと思索する。
そんな彼の思いを知ってか知らずか、ミンウェイの張りのある声が静かに水を向けてきた。
「単刀直入にお尋ねします。あなたの目的はなんですか?」
作品名:第四章 動乱の居城より 作家名:NaN