第四章 動乱の居城より
1.舞い降りし華の攻防−2
ミンウェイは引き締まった腰に帯刀はしておらず、その身を無防備に晒している状態だった。暗器を隠し持っている可能性はあるが、これだけの人数に囲まれていては焼け石に水だろう。
そんな凶賊(ダリジィン)の女を前に、虚勢の大声を出す上官を、シュアンは後ろから冷めた目で見ていた。
まるで、格が違う。
ひとことで言って、見苦しい。
警察隊の権限を餌に、勢力拡大を図る凶賊(ダリジィン)どもや、権謀術数を巡らす貴族(シャトーア)どもと裏で繋がり、おこぼれを集めて私腹を肥やす豚上官。
彼は、目の前の女の威圧感を、高慢な自尊心からくるものだと履き違えているらしい。我欲まみれの男には、一族を預かる彼女の役割が見えてないのだろう。だからこそ御し易く、シュアンにとって便利な存在なのであるが、間近で見ていたいか否かは別問題である。
シュアンは、傍目には眠そうに見える瞼の下から眼球を動かし、逮捕状を確認しているミンウェイの姿を捉えた。神妙な顔で文面に目を走らせているが、腹の中ではこの愚物の指揮官をどうあしらうかの算段を立てていることだろう。
ふらり、とシュアンの体が動いた。指揮官の影から外れ、ミンウェイの美貌がよく見える位置に立つ。彼の血走った三白眼が鋭く光った。
彼の右手は迷いもなく懐から拳銃を取り出すと……そのまま引き金を引いた。
響き渡る轟音――。
その場の空気が凍りついた。
氷像と化した警察隊員たちは、息をすることさえままならずに目を見開く。
焦げた毛髪と火薬の臭いが混じり合い、悪臭が漂った。
……だが、血の臭いはしない。
弾丸はミンウェイの頬をかすめ、彼女の髪をひと房、焼き払っていた。
シュアンは特別、狙いをつけた様子もなかったが、列になって並んでいた警察隊員たちに流れ弾が当たるようなことはなかった。
「な……!?」
指揮官が背後のシュアンを振り返り、唇をわななかせるが、人語を忘れたかのように言葉が出ない。
「つい、指が滑ってしまいました」
シュアンは、銃口から立ち上る煙にふっと息を吹き掛け、証拠を隠すかのように拳銃をホルスターにしまった。ぼさぼさに絡みあった頭髪を掻き、参った参ったと首を振る。
――これで主導権は、警察隊側に移った。
別に彼は、頭髪に行くべき栄養分を腹部に回しているかのような指揮官の昇進に協力したいわけではない。ただ、こちらの優位を確立しておきたかっただけである。
いつものシュアンなら、凶賊(ダリジィン)の女をためらいもなく撃っていた。それをしなかったのは、ミンウェイに価値を見出していたためである。凶賊(ダリジィン)に属する者がどうなろうとも、眉ひとつ動かす用意もないシュアンにとって、これは破格の扱いといえた。
「始末書は、あとで書きますよ、上官殿」
「……あ、ああ……。いや、お前は任務に忠実だっただけだ」
放心状態だった指揮官が、やっと口を開いた。
彼にとって、毎度毎度、突破口を開いてくれるシュアンは、扱いにくいが役に立つ、お気に入りの部下である。多少、派手な行動をしても、すべて揉み消すつもりだ。
シュアンにしてみても、「上層部のことは気にするな」などと、恩着せがましく言ってくる態度は気に食わないが、この上官のおかげで随分と動きやすくなっている。大事な手駒として丁重に扱われているうちは、存分に利用させてもらうつもりだった。
「指揮官の方」
ミンウェイが指揮官に呼びかけ、それから、その後ろに立つシュアンにちらりと視線を向けた。
たった今、生命の危険に直面したはずの彼女は、ほとんど表情を変えなかった。それどころか、わずかに細めた目が、かすかに笑っているようにも見える。
気の強そうな女だから、眉を吊り上げて文句を並べるに違いない。そう身構えていたシュアンの頬に緊張が走る。隈の目立つ目で気だるげに彼女を見るふりをしながら、張りつめた空気の音さえ聞き漏らさないように、耳をそばだてた。
「逮捕状を確認いたしました。ですが、こちらには貴族(シャトーア)の令嬢などおりません。何かの間違いでしょう」
発砲された事実などなかったかのように振る舞うミンウェイに、指揮官は咄嗟に言葉を返すことができなかった。口を半開きにしたまま、阿呆のように彼女を見返している。
もしミンウェイが怒りをあらわに食ってかかっていれば、指揮官は警察隊の権限でもって彼女を逮捕することができたかもしれない。しかし、彼女はそれを鮮やかに回避したのだ。
「ふ、藤咲家から、正式に要請が出ている。間違いなど、ない!」
長過ぎる間を置いてからの返答は、間抜けなだけである。シュアンは頭を抱えたくなった。
だが、ミンウェイは恭しく頭を下げた。
「承知いたしました。では、我々の疑いを晴らすためにも、捜査にご協力いたします」
「はっ! 初めからそう言え! 家宅捜索だ!」
「ただし! 屋敷には、親を失い引き取った、身寄りのない子供もおります。か弱き者たちに乱暴なことをなさいませんよう、くれぐれも、お願い致します」
艶(つや)のある声が響く。
ミンウェイは、ぐるりと警察隊員たちを見渡し、最後にシュアンに目を留めた。
「そちらも、お役目でしょうから、私の髪については不問にします。ですが、屋敷の者たちを傷つけたら、それ相応の報復をご覚悟ください」
斬り込むような言葉の鋭さと同時に、一族を守る強い意志が、そこにあった。
ミンウェイ自らが屋敷の扉を開くと、玄関ホールには刀を床に置いた屈強な男たちが、壁に沿って並んでいた。彼らは、ミンウェイの姿を確かめると、一斉に頭(こうべ)を垂れた。その中を、数人の班に分かれた警察隊員たちが、地に足のつかぬ様子で各部屋へと進んでいく。
団体行動のできない性質のシュアンは、指揮官のはからいによって、初めから単独行動を許されていた。お気に入りの特権である。彼は壁に寄りかかり、体は微動だにしなかったが、三白眼の中の眼球だけは右に左に忙しなく動かしていた。
無表情に立っていたミンウェイの肩を、指揮官が「おい、女」と掴んだ。
壁際の凶賊(ダリジィン)たちが色めき立ったが、ミンウェイはそれを目で制した。
「鷹刀イーレオのもとへ案内しろ」
指揮官の合図で、一個小隊ほどの警察隊員が勢いよく闊歩する。
その中のひとり――先頭から二番目にいた男には、頬から首筋にかけて、まだ生々しい刀傷が走っていた。名誉の負傷と言いたいところだろうが、つい最近、凶賊(ダリジィン)と警察隊員が衝突したという報告をシュアンは聞いていない。
更に言えば、警察隊内部に精通しているシュアンが、警察隊の制服を着ている男たちの中から見知った顔をひとつも見出すことができなかった。
指揮官の言い分に、ミンウェイは柳眉を寄せた。
「先ほども申し上げましたとおり、祖父は高齢ゆえ、面会は体に障ります」
「何を言っておる。重要参考人だ」
指揮官が、にやりと嗤う。歪んだ額の皮脂が、吹き抜けの高窓からの光をてらてらと反射させている。勝ち誇ったような指揮官に、ミンウェイは「仕方がありませんね」と静かな声を上げた。
作品名:第四章 動乱の居城より 作家名:NaN