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涼暮あんら
涼暮あんら
novelistID. 62843
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予定調和

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「大丈夫?」
 崩れ落ちそうになった腕を掴んで引き上げられた。彼の顔を見てやっと現実に引き戻された彼女は高鳴る心臓を落ち着かせるように深呼吸して、ぎこちない笑顔で「大丈夫」と返事をした。
 彼は心配そうに顔を覗き込んだ。心の中を見透かされる気がしてぎくり、とした。大丈夫、何年も何年も、普通の振る舞いをしてきたのだから。彼女は満面の笑みを作ると「おじゃましまーす!」と言いながら部屋の奥まで入っていった。彼が苦笑しながら後に続く。リビングは思ったよりも綺麗に片付いていた。
「何か作るから、座ってて」
「んー」
 彼の言葉を無視して勝手に家の中を探検する。トイレの場所を確認。こっちはキッチン、で、お風呂。こっちは――。
「やべ、そこはダメ!」
 玄関に近い部屋の戸を開けた瞬間に大声をあげて彼が止めに来た。すぐに閉められてしまったがかろうじて見えたのは、大量の本やらゴミやらであった。あ、片付けたというより隠したのね。何だか緊張していた自分が馬鹿馬鹿しくなって、彼女は声をあげて笑い出した。
「あはは、秘密の部屋ね、りょーかいりょーかい」
「あんま笑うなよ……ほら、座っててって」
「ふふ」
 リビングに連れ戻された彼女は待っている間に泣いて落ちた化粧を直すことにした。元々お泊りの予定なので道具は揃っている。替えの下着もちゃんと持ってきた。彼の好みそうな可愛いものを選んできた、つもりだ。
 明日は水族館に行く予定。日曜日だ、きっとものすごく混んでいるだろう。本当はそういった混み合った場所よりも静かなところで二人過ごしたいところだけれど、それはそれで楽しいはずである。自分は幸せ者なのだ。普通にデートして、普通にいちゃいちゃして、それで十分すぎるくらい幸せなはずなのだ。多く求めてはいけない、ましてや非人道的な願いなんて、この優しくて社会的な人に求められるはずがない。
 そうこうしている間にいい香りがリビングにも漂ってきた。
「お待たせ」
「肉じゃん」
「肉焼くくらいしかできなくて悪かったな」
 昼も肉食べてたじゃん、と言いたいのを我慢してテーブルに並べられるお皿を眺めていた。続いてグラスに赤ワインが注がれる。
「私ワイン飲んだことない……」
「無理だったら確か甘い缶チューハイあるよ、持ってこようか」
 彼が再びキッチンに戻った。冷蔵庫の中を探している。……ふと、邪な考えが脳裏をよぎった。血のように赤いワイン。私の血がそこに混ざっても、気付かないのではないか――、と。
 手の届く所に文房具のまとめられた缶を見つけてしまったのも一つの要因だった。今なら、彼の見ていない今なら。カッターを手に取る。そっと左手の中指の腹に刃を押し当てた。プツ、と小さな血の玉ができる。そのままそっと彼のグラスの上に、「何してんの」
「え、あっ痛」
 不意に声がかけられて、驚いた彼女はカッターで深く指先を切ってしまった。一瞬で血が溢れだす。慌てて彼が彼女の手首を掴んだ。何でこんなこと、と困ったような顔で声を震わせる。見られた。おかしいと思われた。異常だと思われた。彼女は怯えながらも一方で開き直っていた。もう隠しても仕方がない。いや、きっと心のどこかでずっと知ってほしかった、理解してほしかった、そして受け入れてくれると信じていたのだった。
「……貴方に食べられたくて」
「……やめろって、そんな冗談……」
「冗談じゃ、ない」
 小さな声で、しかしきっぱりと言い切ると彼の顔色が変わった。おもむろに血の未だ止まっていない彼女の指先を口に含んだ。傷口を舌先でなぞる。ぬるり、とした感触が彼女の脳を侵した。思わず唾を飲みこむ。「本当に?」「本当に」そう一言ずつ交わすと、彼は口から指先を離した。
作品名:予定調和 作家名:涼暮あんら