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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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謝恩会(中編)~手からこぼれ落ちる~

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3.好きの境目



「内緒やゆうてるのに、何考えてるんですか高村さん!」

 神戸の音楽スタジオ「QUASAR」の練習室に、サラの叫び声が響き渡る。吊り上がった目からレーザー光線でも飛び出しそうな勢いだが、悠里と晴乃はやれやれといった感じで傍観している。

 怒りの対象になっている当の本人は気まずそうにギターを取り出している。

「いやあ……郁哉くんが『FOO fighters』が好きっていうからさ、じゃあ今から一緒にやってみない?って話が盛り上がっちゃって……」
「千賀先生へのサプライズやのに、本人連れてきてどないするんですか!」
「まことに申し訳ありません……」

 サラのあまりの剣幕に、要がめずらしく頭をさげている。姉の初音に怒られているのは嫌というほど目にしてきたが、サラの眼力の強さといったら初音の十倍以上だ。

「ほんっとにもう……怒っててもしゃあないし、練習始めるんでちゃんと聞いててくださいね!」

 サラは頭の頂点から立ちのぼる煙を巻き取るように息を吸い、スティックを取り出す。バスドラムのペダルを踏む足にはまだ怒りの欠片が残っているが、いつもの丁寧さでスネアドラムの調整を始める。

「お任せあれ……」

 サラの切りかえの早さにあっけにとられながら、要はギターのチューニングを始めた。悠里と晴乃も苦笑いをしながら、それぞれの楽器を取り出す。悠里は左利き用のエレキギター、晴乃はエレキベースだ。

 明日の謝恩会に備え、今日は最後の練習時間をとっている。悠里たちの担任であり、陽人と宮浦が組んでいたバンド「ギミック」の元メンバーである千賀郁哉にサプライズを仕掛けるのが今回の大きな目標だ。。

 湊人と直接の関わりはないが、元ベーシストが教師をやっていると悠里から聞かされた時以来、気になる存在ではあった。温厚で生徒の面倒見もいい英語教師が、激しいパフォーマンスをするパンクバンドのベーシストだったなんて、どうにも想像ができない。

 彼のために選んだ曲を練習するというのに、先ほど高校に立ちよったとき、要は郁哉を連れてこようとしていた。悠里とサラはさりげなく引き留めようとし、郁哉も明日の準備があるからとやんわり断っていたが、要はおかまいなしだった。

 車で待機している陽人と鉢合わせてはまずいと思い、郁哉を要から引きはがしたのはサラだった。「先生、忙しいしなあ」と顔は笑っていたが、頭の中は怒りで満ちていることは湊人でもわかった。

 サラが郁哉を校舎に押し戻し、悠里が要の腕を引いて車に向かう。見事な連携プレーの末、戻ってきた晴乃と合流して「QUASAR」に向かった。

 湊人も否応なく車に押し込められたが、あんなことを言ってしまったせいで、隣に座る悠里とは顔の痛みを忘れるほどの気まずさだった。

「そしたら一曲目の『YEEL』からいくよー」

 サラの声がかかり、それぞれが楽器を構える。湊人はピアノの鍵盤にむかう。鎮痛剤にごまかされてはいるが、全身を覆う痛みが重くのしかかる。

 美しく物悲しいピアノのイントロから曲は始まる。サラが静かにシンバルを鳴らし、わずかな空白の後、悠里の歌が始まる。いつもなら交わすはずの視線がかち合わない。悠里は前を向いたままだ。

 ――いないほうがいいかな……

 無責任に吐き出した言葉が、脳内を回り続ける。その言葉が彼女の中でどんな風にめぐっているのか、わからない。あの時、悠里は何も答えなかった。さびしそうに眉を下げて、首を傾げただけだった。

 音楽を支えるドラムとベースに寄りそわなければいけないのに、湊人のピアノも悠里のギターと歌も宙に浮いたままだった。何度もサラと晴乃の視線を感じたが、そちらを見ることができない。悠里も同じく、じっと前方を見つめたままだ。

 数曲通したところで、要が腕をふった。その合図で演奏が止まる。
 エレキギターを手にした要が湊人の前に立つ。

「やる気ないんだったらやめたら?」

 表情を変えずに放たれた言葉に、湊人は息を飲んだ。

「別に……ちゃんとやってるし」
「どこが? 熱が40度あっても本番に出るおまえが、こんな演奏で本気だって言ってんの?」

 温度のないまなざしに、背筋がゾクリとする。このところ兄のように接してくれていた要の、高校生気分でふざけたことばかり言っていた彼の、忘れていた本来の姿――

 湊人は視線を合わせられず、そっぽを向いた。

「……オレの本気がどこにあるかなんて、要にはわからないだろ」
「わかるよ」

 要は即答した。唐突に腕をつかまれて、湊人はうめき声を上げる。

「こんな体でも弾くためにここにきたんだろ。だったらちゃんとやれよ」

 腕をつかまれたまま、湊人は要を見上げた。見下ろす視線は、少し柔和なものになっていた。怪我した体を気づかっている――そのことが余計に悔しくて、湊人は歯噛みする。

「高村さん、なんでそんなこと言うんですか。坂井くんも怪我で本調子ちゃうかもしれんし……」

 サラがドラムセットから立ち上がって声を上げる。晴乃はかまえていたベースを下す。
 ふと悠里を見ると、ようやく視線が合った。けれどすぐに反らされてしまう。

 せっかくサラが間に入ってくれたのに、湊人は返す言葉がなかった。広げていた譜面を閉じて、スタジオの防音扉を開ける。

「ちょっと坂井くんどこ行くん」

 追いかけてこようとしたサラを振り切ってスタジオの外に出た。扉が閉まり切るまでに「高村さん余計なこと言わんといてくださいよ!」というサラの声が聞こえたが、余計なことではなく本当のことだと思った。
 
 要にはごまかしがきかない、すべて見抜かれている――そのことがどうにも恥ずかしくて情けなくて、湊人は足早に受付の前を通り過ぎた。カウンターの中にいた陽人と宮浦が声をかけてきたが、今の自分の顔なんてとても見せられないとうつむいて「QUASAR」を飛び出した。

 外は小雨が降っていた。春の到来を予感させる生ぬるいしずくが、湊人の手のひらを濡らす。

 ――大事なものばっかり、指のすきまからこぼれ落ちていく。

 晃太郎が一度だけ口にした言葉を思い出す。息子を亡くした晃太郎は、望んでそうしたわけじゃない。どれだけ大切にしたくてもこぼれ落ちてしまうものがある、きっと言いたかったのはそういうこと――

 自らこの手を離してしまった――

 鈍色の空を見上げながら歩きだそうとすると、誰かが手を引いた。傷ついた手の甲に痛みが走り、反射的に手をふりほどこうとした。けれど握るその力は強く、引かれた勢いで湊人はうしろを向いた。

 目の前に悠里がいた。薄茶色の大きな瞳に湊人の姿が映っている。

「逃げんといて」

 白い手が女子とは思えない力強さで、湊人をつかんでいる。ふりほどこうとすると今度は反対側の肩をつかんできた。

「ここで逃げたら、全部がダメになってしまう」

 眉をしかめてそう言った悠里の瞳は、微細に揺れていた。肩をつかむ手も震えているようだった。悠里はくちびるを結ぶと、うつむいて地面に落とすように言った。

「あたしも……ちゃんと決着つけるから」