TRUEworld
「それは、どこから漏れたのか、噂となってますね」
「辞めちゃうんですか? 私もっと読みたいですよ!」
播磨舞糸には断筆宣言の噂があった。実際のところ播磨舞糸はデビューから休みなく新作を出版し続けており、その結果ネタ不足に苛まれてもいる。それでも書くことを辞めていない理由は、怖いから。一時的に辞めて、復活した時にどこまで自分に需要があるのかわからないからだ。その恐怖が播磨舞糸に作品を作り続けさせる原動になっている。
「辞めるか辞めないかは迷っています。だから噂も流れたし、新作も書いているんです」
「そうですか。では犯人に心当たりはありますか? あなたに恨みを持っている人ですとか、あなたの作品に関わって問題があった人など。なんでもいいんです、何かあったら教えていただきたい」
京小は手帳を開きながら質問を始めた。彼は播磨舞糸という人物に疑いを常に持ちながら、他に対する質問をしている。微かな可能性も見落とさぬように全てを疑って生きているのではないかと思うほど。
「具体的にはわかりませんが、たくさんいると思いますよ。若い内にベストセラー作家になり、売上もどんどん伸びていくし、他の人の作品と比べて評価されたこともありますから。そりゃあ、僕を妬んだり、恨んだりしてる人はいますよ」
播磨は寂しそうな表情をしながら言った。だからこそ引きこりながら作品を書くだけの毎日を生きているのかもしれない。
「そうですか、アリバイもないとなると容疑者から外すわけにはいかないですね。気を悪くしないでいただきたいのですが、他にもお聞きしてよろしいですか?」
「構いませんよ。僕は無実なので」
播磨の口調が少し強くなったように感じられる。それでも京小は、聞かなければいけないことを山ほど準備しているようで、話を続けねばいけない。
「播磨先生、TRUEworldという雑誌をご存知ですか?」
「TRUEworld……それは有名な雑誌なんですか?」
今までの質問とは少し違う内容は不思議ではあるが、その質問の意味に興味を持った播磨は聞き返す。
「いやぁ、ただのアングラ雑誌ですよ。発行部数も大したことはありませんから、先生が知らなくて当然です」
京小は初めて軽い笑顔で答えた。
「先輩が前に話してた雑誌ですよね? あれから私も色々書店を探してみましたけど、見つけられませんでした」
質問の内容がストレートでなくなったからか、会話が少し緩くなったようで、炎野が混ざってこれるようになった。重苦しい雰囲気が苦手に違いない。本当見た目に似合わない性格をしている。
「そのアングラ雑誌が何か私に関係が?」
播磨がそう思うのは仕方がない。ペアを組んでいる炎野でさえ理由がわからないのだから。
「こちらを見ていただきたい」
京小はその雑誌「TRUEworld」を鞄から取りだし、ページを開いて播磨へ手渡した。
そこには文章がマーカーで印をつけられており、内容はこうだ。
Q:作家が筆を断つとどうなると思いますか?
「……それは、僕が断筆するからかい? いや……まぁいい、そうだね、作家が筆を断ったら、殺人鬼が産まれるんじゃないかな。欲望を上手く解放できる手法として、執筆活動はいつの世も垂れ流されているだろう。ファンタジーやSF作家は空想に浸り続けて脳みそが虫食いを起こす屍に。ミステリー作家は人を殺したい、嵌めたい、忌ましめたい。その気持ちを文字に出来て、読み手もそこでうさを晴らす。僕は、今までに百二十七の殺人を犯したけど、一度も裁かれたことはないんだ。これは欲望を効率的に実行する有意義な行為とは思わない? そして没になった作品もある、頭のなかで何度も何度も殺して嵌めて殺して殺しまくったのにさ。僕のその欲望は晴らせなかったよ、見てもらえず、空中に霧散してしまった。霧散してしまった欲望は空気のように僕の周りを取り囲み、呼吸をするのと同じように吸い込まれたんだ。僕の中でただただ溜まっているだけの欲望になってしまった。どうしたらいい? どうしたらこの欲望は皆に認めてもらえる? 成仏できない欲望はどこに向かえばいい? 僕は新作とともに考えていた、するとね、アイデアが湧き出てくるんだ欲望が出ていく事を目指して僕にアイデアをくれるんだ。僕は第二の脳を手に入れたと思ったさ。他の誰も持っていない僕だけの新しい脳みそ。こいつは手放したくない、いつまでも僕の側においておきたい欲望がもっと収まればこの脳みそには無限の可能性がある!! 欲望の循環こそ次のステップに進んだ世界なんだ。だから僕は作家ではない。僕はね……歴史上最悪の殺人鬼だ。そして同時に僕は英雄だ」
こう書かれていた。
誰かの取材記事だろうか、確かにアングラ雑誌といえるだろう。普通の雑誌では受けないだろう内容だからだ。
「誰のインタビューかは匿名にされています。しかし、雑誌の発行時期とあなたの断筆の噂が流れ出した時期と一致するかと思いまして。この取材記事が気になったのです」
播磨の取材記事だとするなら殺人に触れた内容も書かれているし、更に疑いの目を向けられる要素は多い。
「この記事を書いた人物に聞けば、全て分かるんじゃないですか?」
播磨は記事に目を落としたまま返す。何か気になることがあるのだろうか次のページを開いた。何度か繰り返す紙をめくる音。
「見つけられないんだ。分かるのは「満島(みつしま)交叉点(こうさてん)」というペンネームのみでね。出版社でも謎のライターとして扱っているようで素性を知るものはいなかった」
どれだけ調査したのだろうか。京小はうんざりだと言うように後ろにもたれかかった。
「なんでそんな怪しい人物の記事をこの雑誌は載せてるんでしょう。刑事さんも、こんな雑誌を捜査の道具に使って大丈夫なのですか?」
怪しい。それはペンネーム以外を知るものが誰一人としていないこと。警察もそんな記事を利用して捜査をしてもいいものだろうか。
「毎回インパクトの強い取材内容で雑誌の人気の中核を担っているそうだよ。そしてある程度の信憑性は実際含まれているんだ。だから、私達はあなたを訪ねてみた」
怪しい記事ではあるが信憑性は少なからずある。それならば取材を受けた人物はそのラーターに会っているはずだ。それすらも謎だということに、何もかも謎という結論しか出せない。
「この雑誌を信用してるんですか? 信憑性がある記事だという証拠があったんですか?」
「他のページにもマーキングしている箇所があると思いますが、その中にスパイを語る記事があります。その事件は実際にあり、先日私が逮捕しました。犯人は雑誌のことを口にしませんでしたが、事件の内容は殆ど同じです」
確かにさっき播磨がページをめくっていた中に、マーキングされた記事がいくつもあった。すべての記事を捜査しているのかは分からないが、こんな記事を多方面から当たるのは大変なことだろう。
「記事の内容からするに、私が殺人鬼になるとしたなら、それは作家を辞めたときになるのではないですか?」
テーブルに雑誌を置くと播磨は欠伸をして、ニコリと微笑んだ。