鬱体験記。(認知行動療法有り)+追記
障害を抱えて
病気で倒れたのが2009年8月、その後転院(11月)し、左半身麻痺のリハビリが始まりました。寝たきりで衰えていた筋肉を鍛えるための運動を毎日行いました。腰上げ、ストレッチ、歩行練習。最初は麻痺の強い左側のおかげで正座をすることも適いませんでしたが2~3か月も経つと自分一人で短距離を歩くことが可能になりました。
左手は強く握られたまま回復せず機能しませんでしたが、頑張った甲斐あって、養護学校であれば通えるだろうと医師に診断を頂きました。
余談ですが、その時、私は中学でのいじめの事もあり、楽しい青春を経験したくて「普通校に通いたい」と母とかなりもめました。
2010年、通う程度の体力もつき高校に入学しました。
左手は相変わらず袋を開けることも出来ない、指が固まっていたうえ、右側頭部には骨も入っていない状態でしたが、養護学校という事もあり万全のサポートでした。
学校にも慣れ始めたころ、ある違和感に気付きました。
例えば、自分の思った感情と違う言葉が出たり (嬉しいと思ったのに「可哀想」と意味不明な返しをしたりなど)授業で必ず同じケアレスミスをするなどです。
病院には毎週リハビリに通っていたので早速その事を相談しました。
先生は「失語症かもしれないが、詳しい事は分からないので〇〇病院が専門的だからそちらに行ってみてほしい」との事。
勿論、すぐに検査に行きました。
結果、高次脳機能障害(精神障害分類)でした。記憶力や言語力は人並み以上に優れているそうですが、注意力、集中力、手順などが駄目なそうでIQは81でした。
私は、身体も精神も障害を抱える結果となりました。
そして、心もズタボロでした。
毎日泣き、癇癪を起こし、暴食をし、眠れず、自傷を繰り返しました。
体重は12キロ増えていました。
親や兄弟には、沢山の迷惑を掛けました。本当に本当に申し訳なく思います。
でも、その時の私は被害者意識が強く、ある一種の妄想に取りつかれていました。世界中が敵の様に感じていました。
その後、頭蓋骨形成をするために手術をした私に「水頭症」が発覚しました。
開いてみたところ、溜まった脳脊髄液が脳を圧迫していたそうで、麻痺が改善しないのもそれが原因でした。
手術したばかりですぐには頭を開けないので、暫く頭に直接チューブを通し溜まった液を排出していました。
シャントを頭蓋骨内に入れ、腹水に排出する手術を行うと、麻痺は忽ち回復の兆候を見せました。
引き摺っていた左足はしっかりと、拳を作っていた指は開き、上下に揺らすことが出来るのです。感動でした。
病気は日に日に良くなるのです。負ってしまった傷跡は決して消えませんが、身体は必死に頑張ってくれるのです。今はそう、素直に感謝する事が出来ます。
しかし、前述した通り私は「自分なんて」という世界に囚われていました。養護学校ではいじめは勿論なく、とても平和でした。
でも、けれど、しかし。否定形ばかりになってしまいますが、当時青春を夢見ていた私に「養護」学校は耐えがたいものでした。
周りの友達は制服で着飾り、放課後は食べ歩きやカラオケ、恋にお洒落。
まさに「青春」そのものでした。
隣の芝生は青く見えるだけで、彼女たちにも苦労や悩みはあったと思いますが、情報が入ってくる度胸を突き刺されました。
どうして私はこんな生活をしているのだろう。
どうして障害を抱えてしまったのだろう。何かいけない事をしてしまったのだろうか。生きていることが罰なのかもしれない。
体は良くなっていっているのに心はどんどん弱りました。
そのうち、学校に通う事も困難になりました。
親は、中学の時の様に布団から引きずり出すことはしませんでした。
続きます
作品名:鬱体験記。(認知行動療法有り)+追記 作家名:sor