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4月 空っぽの僕

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 それにしても、僕の頭と毎日がベッドで埋め尽くされている間に、世間はめまぐるしく変化しているのだと、休みの日に時々つけるテレビを見る度に思う。そのあまりの変動についていけずに、目が痛くなってしまって僕はいつもすぐスイッチを消してしまうのだけど。
 世界情勢云々、環境保護云々、政治問題云々なんかに比べれば、僕がやっている事なんてくだらない仕事だ。例えこの世にベッドが一個もなくなっても人間は布団で寝るだろうし、単品マットレスだけでも充分やっていけるんだ。現に僕はスペース的にベッドなんて置けないような小狭いアパートに住んでいるので、もちろん布団を愛用している。
 以前はベッドを使っていた事もある。遥か昔、小学生くらいの頃だ。親が親戚から不要になった2段ベッドを譲り受けたのだ。
 その二段ベッドは狭いながらに1つの小さな部屋のように快適で、大のお気に入りだった。弟が反抗期に突入して部屋が別れるまで上を僕が、下を弟が使っていた。弟が別の部屋で寝るようになってから、この二段ベッドは完全に僕の要塞になった。中学生までは上と下をその日の気分で自由に使い、中学生以降はプライバシー保護から上でのみ寝て、下は物置に使った。たまに誰にも見つかりたくない時なんかは、物が突っ込まれている下の奥まっている小さなスペースに潜り込んで本を読んでいる時もあった。誰かが部屋に入ってきても気付かない。密やかな楽しさだった。そういえば僕の会社では二段ベッドは取り扱っていない。あんな秘密基地みたいな楽しい素敵なベッドを扱わないなんて、ベッドの事を何もわかっちゃいない。よっぽどいかれてる。そうは思っても、僕にはこの仕事くらいしかなさそうだから目の前に出される仕事を続けている。
 新しく探すのも億劫だし、また一から出直すというのも面倒臭いのだ。こんな僕にはベッド販売は、むしろぴったりくらいの仕事だ。そんな気もする。
 コンビニの弁当とパンを昼飯に食べ、くだらないワイドショーをぼんやり見ながらヤニ色の喫煙室で煙草を吸う。
 どうやら笑いを取る番組らしいが全く面白くない。いつから接客以外で、こんなに笑えなくなったんだろうと気付くが、それも見て見ぬ振りをして誤摩化す。年配の客からクレームの電話がかかってきた。やんわりとなだめて受け流す。うるさい上司から達成率をどやされる。適当に誠意を見せて受け流す。客が来ないのは僕達のせいじゃない。
 そして今日もシングルベッド、セミダブルベッド、クイーンベッド、キングベッド、簡易ベッド、ベッド関連商品の多数に頭を占領されて僕は働く。最早、ベッドの僕と呼べなくもない。なんと言う情けない事だ。
「最近展示用、なんか薄汚れてないか?」
 僕の素朴な問いかけに、同僚は苦虫を噛んだような微妙な表情を作って言った。
「先輩がこっそり女連れ込んで、展示用でやってるらしい」
「へぇ」
「おい。そこもっと驚くとこだろ」
「いや、別に。先輩ならやりかねない」
「諦めか」
「いや。呆れ」
「確かに。呆れよりもっと関係ない感じだな」
 それから数日後、僕は残業の帰り際に、酔っぱらっているのかやたら大声を出している先輩らしき男と女が展示用のクイーンサイズベッドで蠢いているのを偶然目撃した。
 僕は特に何の感情もなく、テレビで流れている世界情勢のニュースでも見るかの如くそれを眺めていた。あまりに遠い世界の話で全く現実味がなく、実感ある自分をその中に入れ込んで共感する事も難しい。そんな感情。相手方の女はほとんど声を出していない所を見ると差詰め、先輩らしい中途半端なクイーンサイズでの中途半端なセックスと言ったところか。つまらない。どうせやるならキングだろ。
 僕は大きな欠伸をしながら通り過ぎ、出入り口まで行って特に遠慮する事もなく普通に音を立てて扉を閉めた。なにはともあれ僕は心底疲れているのだ。疲れ過ぎて、ただそれに支配されて、それだけで精一杯でそれ以外はどうでもいい。誰と誰が話そうと、誰が傍にいようと、誰がセックスしていようと、誰がいなくなろうと、誰が苦しんでいようと、悲しんでいようと。関係ない。僕はただ、目の前に山積みになっていく仕事を片付けていくだけだ。終わる事なく次々降ってくる雪を除雪作業するように。
 帰りの電車の中でついうたた寝をしてしまい、気付くと乗換駅で止まっていた。
 車内には他にも職業不明の中年の酔っぱらい男があられもない格好をしてシートに長々と寝そべっている。あれと一緒に見られたんじゃ、たまったもんじゃない。こっちは飲む暇もないくらいに働きずめなんだ。酔っぱらいは丁度エアコンが降りてくる位置に陣取っていた。そこでふと思い当たった。そうか。あのクイーンベッドはエアコンの真下の位置なんだ。
 傍らに自転車がある事を確認してから、僕は夢現つのままホームに降り立った。時間も時間なので、人気はまばらだ。しかもマズい事には3本ある上がり線のどれを見ても終わっていた。やれやれ。
 仕方なく僕は怠い体と重い自転車を引きずって改札を出た。路線表を見ると僕の降りる駅はあと3つ先だった。なら自転車で線路沿いに行けば対して時間はかからない。真冬じゃなかったのがせめてもの救いだった。
 僕は駅前に並ぶ街灯とチラホラと咲き始めたソメイヨシノが交互に植わっている歩道で、目を凝らして自転車を広げた。やけに眼鏡が曇ってうっとおしい。
 組み立て終わると、まず手近なコンビニまで行き、真っ赤なフランクフルトとピザマンとロングスティックパンを買い、片手で器用に頬張りながら自転車を漕いだ。
 ここはいつも朝見る景色の何処ら辺なのだろうと、まだ裸の寒々しい木がその腕を、何十にも塗り重ねられた群青色の暗い夜空にひび割れのように不気味に広げ、その下でぼんやり滲むような危なっかしい光量を下に投げかけている防犯灯が僅かに頼りな気な景色を映し出しているのを見ながら考えた。
 すると突然見覚えのある家のシルエットと、暗闇に浮かぶように白い窓枠が現れた。あぁ、ここはいつも見るあの家だ、と気付くのに少し時間がかかった。どうやら僕の脳みそは早々に業務を終了してしまったらしい。幾つかの星が弱々しく輝く空の下、影絵のようなその家はしかし朝日の中で見るような感動も癒しも僕に与えてはくれなかった。
 ただ、古ぼけて崩れかかっただけの廃墟のようにも見えなくもないその家の、1つの窓際に蛍が発光するみたいな青黄色い小さな明かりが灯っていた。その明かりは空虚に見上げる僕の心を抓った。気がした。
 僕は残りのスティックパンの包装紙を破いて、パンの頭を出した。包装紙を破く音は思いのほか大きく響き、一瞬で闇の中に吸い込まれていったが、後は、パンを齧って咀嚼する顎の音だけが僕の頭の中いっぱいに鳴り渡った。そうして僕はパンを食べ終わるまでの間、他に見る物もなかったのでぼんやりと窓の明かりを見上げていた。
作品名:4月 空っぽの僕 作家名:ぬゑ