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11月 ムカデの夢

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 夫は元々目が細いので、その目を細めるともう開けているのか瞑っているのかが判別出来ないくらいだったが、私は一緒に暮らしていた成果か、その時の夫は確かに何かを観察するように私の後方を眺めていたのが遠目にもわかった。
 自分のトランクに辿り着いた私には目もくれずに、まだその瞼の下からじっと睨むように見続けている夫を不思議に思い、ふと来た方を振り返ってみた。
 そこには自転車用のヘルメットの骨のような不思議な形をした、カラフルで目立つ色をした乗り物が2台、道路に並んで駐っていた。
 小さめの車輪が前に1つ、後ろ左右に2つついている。
「ベロタクシーだな」
 夫が、まだ眩しそうにほとんど瞼に埋もれた目を離さずに囁くように言った。
「ドイツのベルリンが発祥地なんだ。グリップ操作の電動アシストだから、自転車なのに人間を3人乗せてもかなりスムーズに曲がったり、加速したり出来る。環境に優しくて、日本でも京都とか結構色んなとこで走ってる。俺も本物を見たのは初めてなんだけど、しかし、よく出来てるなぁー」
 機械だの電気製品だのに携わった仕事柄、自然と機械物オタク並になってしまっている夫はもう夢中でしきりに頷いて関心しながら、トランクと私を放置したまま、ベロタクシーの停車場まで戻って行ってしまった。
 そういえばこの間、地球環境特集かなにかの大々的な特別番組を偶然見ていた時、これからは環境に配慮した電化製品にこそ注目すべきだとか何とか一人で決心するように言っていたっけ。早速って感じですか。こりゃ、長そうだ。
 見ていると夫は、客待ちをしている若い20代くらいの運転手らしき男に持ち前の人懐っこい笑顔で親し気に話しかけている。
 私は溜息をついて、トランクを立たせっぱなしのまま、すぐ横で香しく芳ばしい匂いをもんもんと発散させている売店に焼きトウモロコシを買いに言った。夫はしばらく帰ってこなかった。
 私は巨大なトランクに隠れるようになって噴水の石段に座り、焼きトウモロコシを平らげて、温かいお茶を飲みながら、9月の秋めいた水色の折り紙みたいな均等に染まった空と、そこに揺れる紅葉し始めた赤と黄色と黄緑のグラデーションになった楓のような可愛らしい葉を見上げた。
 東京はまだ暑いが北海道は肌寒いと聞いていたので、薄目のコートに少し厚着をしてきた私は意外にも強い日差しにさらされて汗をかき始めた。
 大道り公園で散歩したり寝っ転がったりしている人々は、かなりの薄着で中には半袖の人までいる。
 なんだ。あんまり東京と変わらないじゃない。心配性な夫は、冬用のマフラーにセーターまでトランクに詰め込んできていた。だから、たった3泊4日の旅行なのにこんなに荷物が多いのだ。
 それにしても公園は和やかな雰囲気だった。
 日光浴を楽しむ人々が圧倒的に多いのだ。しかも明らかに昼休みだと思われるスーツを着た男に、OLの制服を着た若い女の子まで寝っ転がったり芝生に直接座ったりして本を読んだり音楽を聴いたりしてゆったり過ごしている。
 東京では神宮公園とかかなり大規模な公園まで行かないと見られないような光景だった。
 まるでビル街のオアシスみたいだわ。
 周りを見事に、ひっきりなしに車が行き交う道路に囲まれているにも関わらず、なんて穏やかな風景なんだろう。
 夫がようやく戻ってきた。どうやら乗車客が来たので中断されたようだった。と言うか、自分が乗車客になればいいのに、話だけしてそこまで時間がないから乗らないなんて運転手にとってはいい迷惑だ。満足そうな笑顔をして、売店に歩いて行き、そこでも売店のおばちゃんに気さくに話しかけ、焼きトウモロコシとラージサイズのコーラを買ってきた。そして私の隣に座って、何故か投げやりな感じでトウモロコシを齧ってコーラを飲んだ。
 私はすかさず、夫のそのいい加減な感じの食べっぷりをデジカメで連写した。
 似ている有名人はと聞かれると、ルパンと次元を足して2で割ったとは上手い事を言ったもので、まさに夫はそんな感じの風貌だった。無表情になっている時は、誰にもなにを考えているのか掴み難い。
「あの子は真面目なんだけど、少し変わっていてねぇ。小さい時から、ああなのよー あまりに口数が少ないから、何考えてんだかわかんなくって、あたしもしょっちゅう心配してたんだけど、根はとっても優しい子だから」
 義母が豪快に語っていたのを思い出す。
 朗らかで社交的な義母とは全く正反対の性格に見える夫は、確かにもの静かな方ではあるのかもしれないが、しっかりと独自の世界を持っている。
 義父は5年位前に他界していたのでその人となりはわからないが、大学の教授をして熱心に本や研究ばかりをしていたらしいので、恐らくは夫と多少なりとも似たような性格だったのではないだろうか。少なくとも写真で見る限り、面長で細い眼差しの顔は本当に似通っている。
 微かに白い煙が吹き出すラッキーストライクを口に加えた若干浅黒いその顔で、私の手からデジカメを奪い、真っ正面にそびえ立つテレビ塔と、まだ客待ちしているベロタクシーと、汗だくでトウキビを焼く売店のおばちゃんを撮って、終いにボンヤリした顔をしたボンヤリした私を噴水をバックに手早く一枚撮影してから立ち上がって、すっかり手荷物と化してしまったジャケットのポケットから取り出した携帯灰皿に煙草を揉み消して入れた。
 夫は私を見下ろすような形になって少年のようににっと笑い、そろそろ行きますかと言って私の頭を撫でた。切ってパーマをかけた髪が夫好みだったらしく、やたらと頭に触ってくるのだ。夫の顔はかろうじて笑っているのが判別できるくらいで、逆光に輝き私の目を突き刺すようだった。
 痛いくらいの日差しにやられたのか軽く目眩すら感じる。疲れたのかもしれない。
 昨日だって、朝の9時から9時まで店に出ていたのだから。夫は更に朝早くから働いていた筈だが、さすがは毎日黒ニンニク卵黄を常飲する事を心がけているだけあってタフだった。
 優しく差し出された夫の手の平をとって、私は気力を奮い立たせるようにして立ち上がった。

「明日は、旭山動物園に行くんだから、今夜は夜遊びせずに早めに寝た方がいいな」
 年甲斐もなく、なにかと評判の旭山動物園に行ってみたいと熱望する夫の希望で、翌日一日は観光バスに揺られてガイドブックに大袈裟に載っている各地の観光名所を巡るのだ。
「俺は旭山動物園とセブンンスターの木だけ行ければいいんだけど、それだけのバスはないんだな」
 私だってどこぞの知らない同士で狭いバスに詰め込まれて、うっそうとした息苦しさの中、長時間座りっぱなしで、面白くもないのにやたら笑いを取りたがるガイドに乾いた笑いをかけたりして逆に気を使うのなんかご免だ。でも、仕方ない。予算的にも割り合わないし、またいつ来れるともわからないくらいに北海道は遠いのだから。
 私達は明日の観光バス内での事をそれぞれに思い、あまりぱっとしない気分でホテルのほとんど無音の自動ドアを潜り、燃えるような緋色の絨毯が敷き詰められた大理石風のロビーに入った。
「いらっしゃいませ」
作品名:11月 ムカデの夢 作家名:ぬゑ