Planet of Rock'n Roll(第二部)
2.ベア・ナックル
『ボリス』のフルネームはすぐにわかった、ボリス・アルノフ、ただし、既に退官していて、隠居の身だともわかった。
住所は非公開……しかしそれを調べるのにはボギーの姿は役に立つ、裏社会にひょっこり顔を出しても違和感がなく、適当なギャングの名前を出して兄弟分だと名乗ればすぐに信用してもらえる。
ボリスはモスクワ郊外にちょっとした屋敷を構えていた。
そして、ボリスが現役の高官だったころの運転手が、今もちょくちょくその屋敷まで車を走らせていることも調べ上げた。
その運転手にはちょっとばかり時間外労働を強いることになるが、世界平和のためならば微々たる奉仕と諦めてもらうより仕方ない。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ボリスの元運転手、アレクセイは、仕事を終えて自分の車に乗り換えた。
今日はボリスの屋敷へ行く日、練習があるのだ……ロックバンドの。
しばらく走ると、後部座席からむっくり起き上がってきた男がいる。
「アレクセイ、いや、アレックス、すまないが暖房を強くしてもらえないか? モスクワはトレンチコートで過ごすにはちと寒すぎるんでね」
「だ……誰だ!?」
アレックスは伊達に政府の運転手をやっているわけではない、車の中に人の気配があれば気が付かないはずもないのだが、その男は見事に気配を消していた……まるでロボットか何かのように。
「名乗るほどの者じゃないさ……タバコは構わないかね?」
「いや……禁煙車だ」
「そうか、そいつは残念だ」
「その顔……」
「ん? まあ、初対面だが、見覚えがあると思われても驚きはしないがね」
「何が目的だ?」
「ボリスに面会したいんだよ」
「ボリスさんはもう引退されたんだぞ」
「知ってるさ」
「俺が素直にボリスさんの屋敷に怪しげな男を連れて行くと思うか?」
「そうだな……君に会って、君はそんな無用心な男じゃないと確信したよ、本当はこんな手は使いたくなかったが……」
アレックスはてっきり男がピストルを出すと思ったのだが、そうではなかった。
ただ、念波を送られて、その後の記憶がなくなっただけ……。
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「やあ、アレックス、待っていたよ、早速練習を始めようじゃないか……おい、誰だね?君は……その顔には見覚えがある、もし本人だとしたら幽霊って事になるがな……」
「はっ……」
その時、アレックスは我に返った。
「あ……俺は今まで一体……」
「ボリスさん、どうかアレックスを怒らないでやってくれ、すまないがアレックスを念波で操っていた」
「私にそれを信じろと?」
「アレックスの為にもね」
アレックスが当惑している様子を見て、まんざら嘘でもなさそうだと思う……少なくともアレックスはたとえ銃で脅されたとしても、怪しい男をこの屋敷に手引きするような男ではない……。
「アレックスの事は信じている、だとすると君の話も概ね信用しないわけには行かないな、よろしい、君はアレックスを念波で操ってここに来た……で、目的は何かね?」
「ロックン・ロールさ」
「ロックン・ロールだと? 何を言ってるんだね? 君は」
「俺の睨んだ所じゃ、エリック・ペイジ氏がここに匿われているんじゃないかと思うんだが」
「何を根拠に……」
「ボリス、俺は君がロシアの有力者の中で最もロックン・ロールに理解があると見込んでるんだよ」
「どうも君の目的が良くわからないな」
「だろうな……最終目的までは話すわけには行かない、だが、ここまでは話そう……実はモスクワに二人の才気溢れる若者がいる、ロシアを代表するロックン・ロールバンドを率いるに足る才能の持ち主さ、俺はわけあって彼らの手助けをしたいんだ、だが、このところ冷戦のせいでおおっぴらにバンド活動など出来ない状況だ、彼らに力を貸してやれるのは君しかいない、そう見込んで頼んでいるんだがね」
「しかし、私はその若者を知らん、君の話だけで信じろと言うのは無理ではないかね?」
「だろうな……ここに二人の演奏を録画したDVDを持って来ている、これを見てもらうくらいは頼めないかね?」
「ああ、どのみち隠居の身だ、それくらい構わんがね……これか?」
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「バラライカとピアノだと?……いや……しかし……確かにこれは斬新だな、ロシアの民族音楽とロックン・ロールが見事に融合している、ピアノとの息もぴったり合っているな……そして、ずいぶんと美しい娘さんだな」
「そうだな、でもちょっかいはいけないぜ、ユリアとイーゴリは恋人同士でもあるんだ」
「ははは、そうなのか、お似合いだな……まだ君の事を信用するわけには行かないが、言っている意味はわかってきたよ……彼らはバンドのメンバーを探している……だが、今の状況では易々とは見つからないだろうな」
「しかもバラライカ奏者とクラシックのピアノ奏者ではな、ロック関係の知り合いは皆無と来てはお手上げだ」
「確かに…………君の名前は?」
「好きなように呼んでもらって構わない」
「ならばボギーしかあるまい……ボギー、明日、改めてこの二人をここに連れてきてもらえないかね?」
「ああ、そうしよう」
「アレックス、今日はこのまま帰って、明日、ボギーとこの二人を連れてきてもらいたいのだが」
「仰るようにいたしますが……」
「大丈夫だ、ボギーの言葉に嘘はないと思う、私がそう判断したんだ、頼むよ……」
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「イーゴリ、ユリア、ちょっと付き合ってもらいたいんだが」
ボギーは初めて二人の前に姿を現した。
「あなたは? 何故僕らの名前を?」
「イーゴリ、ユリアに初めて会った時のことは?」
「背中に銃を突きつけられて……あ、あれはあなたが?」
「そうだ……もっともあれは銃じゃなくてバーボンのポケットボトルだったがね」
「付き合え、とは? 何のために? どこへ?」
「何も聴かずに頼む、君らの為になることだ、とだけしか今は言えない」
イーゴリとユリアは顔を見合わせたが……自分たちの縁結びの神でもあるのだから……。
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「やあ、ボギー、待っていたよ……イーゴリ、ユリア、初めまして、ボリス・スミルノフだ」
「ボリス・スミルノフ……以前、政府の高官だった……」
「もう退役したがね、今はこの田舎にこもって音楽三昧の日々を送っているジジイだよ、それより、ある人を紹介しよう……エリック」
イーゴリたちに背を向けてロッキングチェアに座っていた男が立ち上がり、手を差し伸べながら近づいてきた。
「初めまして、エリック・ペイジだ、もっとも、ロシアじゃエンリケと名乗っているがね」
「まさか……」
「イギリスから亡命したことは知っているだろう? 実はここ、ボリスの家に厄介になっているんだよ」
「は、初めまして、ペイジさん」
「そこにいるボギーに君たちのDVDを見せられてね、ぜひとも一度セッションしたいと思って来て貰ったんだ」
イーゴリとユリアがボギーを振り返ると、ボギーは大げさに肩をそびやかし、両手を軽く広げて見せた……。
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作品名:Planet of Rock'n Roll(第二部) 作家名:ST