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平凡の裏側

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困惑

     
 信子はリビングのソファーにぼんやりと座っていた。あの照之の姿を見かけた日と同じように、どうやって帰ってきたか思い出せないほど、典子の話はショックだった。
 
 
 既婚の典子には恋人がいた。それもひと回りも年下の男だという。通っていたジムのインストラクターだったが、付き合うようになって通うのをやめたと言っていた。
 
 典子の夫は、結婚当初から短期の単身赴任を繰り返していた。共稼ぎで経済的にもゆとりがあったため、思い切ってマンションを購入した。いずれ子どもができたら家庭に入るつもりで、その準備も兼ねてのことだった。
 しかし、とうとう子どもには恵まれなかった。友人たちが次々と母親になっていくのを横目で見ながら、マイペースを装っていた典子だったが、夫が単身赴任に行ってしまうと、さすがにひとりの暮らしは空しかった。
 それでも、船乗りの妻と同じようなもので、久しぶりに帰ってくる夫との時間は最高よ、いつまでも新鮮で恋人気分を味わえるのだから、なんて友人たちには強がって見せていた。でも、信子だけは典子の想いをわかっていた。
 だから、他の男に心惹かれる気持ちもわからないでもない。でもだからと言って、想うだけと実際に付き合うとでは話は別だ。
 
「テンコの気持ちもわからないでもないわ。でも、やっぱりそれはいけないことよ。ご主人、優しくていい人じゃない」
「ええ、そう。主人に特に不満はないわ」
「じゃあ、どうして? 淋しかったら、メールだって電話だってあるじゃない。それとも若いから? それにインストラクターだから肉体美ということ?」
「メールねえ、結婚して二十年もたったら、遠距離恋愛みたいなわけにはいかないわよ。それにたしかに、彼の若さも体も魅力的よ。でもそれだけじゃないのよねえ……
 主人だって完璧というわけではないでしょ? 彼とは主人とはできない話をしたり、主人とはわかりあえない感性っていうのかな、同じものを見て同じ感動を味わうとか……」
「それだったらお友だちでいいじゃないの?」
「大人の男と女の間でお友だち、なんてわけにはいかないわよ。もちろん、初めはそうだったけど、やっぱり男と女ですもの」
「ご主人に対して罪の意識はないの?」
「最初の頃はね、胃が痛くなることもあったわ。でも、ここ三年は赴任先で別居状態だし、新婚でもないから今では月に一度くらいしか帰ってこないしね」
「その人とは何年くらい付き合っているの?」
「主人が今のところへ赴任してからだから三年くらいになるかな」
「そう……三年も……」
 信子はうつろな目で考え込んでしまい、そこで、会話が途切れた。
「でもね、シンコ、こんな状態なんて今のうちだけよ。私はじきに女と見られなくなるだろうし、彼だって身を固めようとふさわしい女を探すと思うの。その時が来たら上手に別れて、彼は新しい家庭をもち、私は主人と穏やかな老後に突入する。それまでの間のちょっとした寄り道よ」
「寄り道?」
「そうよ、まっすぐの道をただ前を向いて歩いていたってつまらないでしょ? 少し道をそれれば、見慣れない美しい景色や体験したことのない魅力的な出来事に遭遇できるのよ。長い人生にそんな彩って必要だと思わない?」
「そうかしら……」
「もちろん、本来の道を見失ってはダメよ。いつでも引き返せる距離を保って、頃合いを見て戻らなくちゃね」
 
 
 コーヒーショップを出る頃には照之のことより、典子と若い男、そして典子の夫のことで頭がいっぱいになっていた。家のソファーに座って初めて、肝心の照之のことを思い出した。
(本当に、道を尋ねただけだろうか?)
 ひとりになってみると、とても、そんな都合のいいようには考えられなかった。
 夫が女のところへ走った門田家、夫がいながら若い男を恋人にもつ典子、男女の秘め事なんてそこらじゅうに転がっているではないか。だとしたら、照之だって……
 でも、まさかあの人に限って……
 
「ただいま!」
 梨央の明るい声が響いた。信子はまたあの声に救われたような気がした。
(あの子は本当に天使かもしれない)

作品名:平凡の裏側 作家名:鏡湖