平凡の裏側
やさしい嘘
信子はタクシーを拾うと、典子の住む町を告げた。頬を伝う涙を見られないように、ずっと、左側の窓の外を見ていた。そして、典子の家に着くまでは、取り乱すことのないよう、精いっぱい自分を押さえつけていた。
インターフォンが鳴り、典子が玄関のドアを開けると、そこには今まで見たことのない、血走った目の信子が立っていた。そして、中に入るなり、
「なんであんな嘘をついたの!」
もうそれ以上は泣き声に変わり、意味をなさなかった。
おおよその事態を想像できた典子は、信子にとにかく上がるように言った。そして、ソファーで泣き伏す信子が落ち着くまで、声をかけなかった。ただ黙ってお茶の用意をしたり、お菓子を並べたりしていた。
そして、ようやく信子は落ち着きを取り戻し、ハンカチで涙をぬぐった。その頃合いをみて、典子は黙ってお茶を差し出した。それを一口啜って、信子が言った。
「テンコはどうやって知ったの?」
いつもの信子に戻ったことを確認すると、典子は静かに話し始めた。
「私の付き合っている彼の名前、三枝和馬って言うの」
「え! もしかして……」
「そう奈緒子さんは和馬のお姉さんだったのよ。アパートで表札を見た時はまさかそうだとは思わなかったわ。割と変わった苗字だけど、そんな偶然なんかあると思わないじゃない、ふつう」
典子もそこでお茶を一口飲んだ。
「でもね、帰ってから思い出したのよ。そういえば、お姉さんに子どもが生まれたんだけど、結婚してもらえなくてシングルマザーになったって言ってたことを。そしてすぐに、彼に確認したの」
信子の顔から血の気が引いていった。
「あ、でも違うの、安心して。その子は照之さんの子ではないのよ。子どもができたことを告げたらその恋人が逃げてしまったんですって。ひどい男よね。それで、上司の照之さんにいろいろと相談しているうちに、その……まあ……そういうことになったみたいなの」
信子は静かに涙を流しながら言った。
「その子、やっぱり主人の子じゃないの? 私のためにテンコ、また嘘をついているんじゃない?」
「一度失った信頼を取り戻すのは簡単ではないわね。でも、私が聞いている話は、間違いなく今話した通りよ」
「そうね、私たち夫婦の問題ですもの、これから先は直接主人に聞くべきね。今日は、もう帰るわ」
「シンコ、本当にごめんなさい。五年前、アパートに行ってみようなんて、馬鹿なことを私が言い出さなければ……」
「相談したのは私の方だし、何かしらの結論が出るまできっと、気持ちは収まらなかったと思うわ。今はそれしか言えない……」
そう言って、玄関に向かいかけた信子が立ち止まって振り返った。
「こんな修羅場を目の当たりにしても、テンコは今の彼とまだ続けるつもり?」
不意打ちを食らった典子だったが、ちょっと考えて答えた。
「そうね、この辺りが潮時かも。主人の定年もそろそろだし」
「そう……ぜひそうしてね。そうしてくれたら、今日のことも無駄にはならなかったと思えそうだから」
かすかな微笑みを浮かべ、信子は帰って行った。