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桜の木の下には

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彼は何を言っているのだろうか。私は男の言葉を繰り返し頭で流したのだが、何せ、新しい概念で、理解のしようがなかった。
「事故はともかく、病気でも人生の途中で死ぬというのならば、人間の終わりは一体いつなのでしょう」
私はかろうじて出てきた疑問をぶつけた。それしか会話を続ける手段が見当たらなかった。

「寿命というものについて、この歳になってようやく考えるようになりました。事故で死ぬならばそれはやはり寿命はなく、運命という言葉が似あいます。病気は一見、寿命と同じだと思ったのですが、治療をすれば長く生きられることもあります」
男はここまでいって私の質問の本質を避けた。

 それから男は何も話さなくなった。その代り、持っていたパンをちぎり近くにいた雀にやっていた。次第に減っていくパンを食べることは一切せず、ちぎっては投げ、ちぎっては投げを繰り返してとうとう最後の一切れを投げ終わると、雀の満足そうな顔を眺めて小岩から立った。
「最後に一つ。この桜を見ようとここに来た人たちは上ばかり見上げますが、もっと下を見てもいいかもしれませんね。彼のように屍体が埋まってるだとか、そういうことが思い浮かぶかもしれません」そう言い残して男は駅の方へ歩いて行った。さんざん飯をもらったくせに雀は男についていくことはなかった。

 
 男が去ってから、私はまた本を開いて、しかしそれを読むことはせず上を見上げていた。男の言葉に従って下を見ることもできたが、足元にいる雀の無垢な瞳に負けて、切符代の金でパンでも買いそうになりそうであったからだということを理由に、従うことはなかった。
 雀は空を飛び、枝につかまり、桜をついばむことはせず、ずっと私の足元をうろついていた。まだ残ったパンくずを探しているのかと思ったが、景色に紛れてたまに映る雀の様子はどうもパンくずを探しているようには見えなかった。
 空模様が夕刻のものに移り変わっていくのを桜越しに見ていると、私が何もせずに時間を過ごしていたことを実感させられた。その移り変わりの色の変化は大層美しいものであったが、それにも何か不安が付きまとい、その美しさに没頭することができない。何の用事もなく、一人都心の桜に思いを馳せている、私の状況、様子に最もふさわしい一文が買ったばかりのカーディガンのように着こなされることなく浮いて私に乗っかっていた。
 時間が過ぎてもこの不安は離れることも、解消されることもなく、ただ私を抓っている。いっそ鷲掴みしてくれれば、その圧迫感だとか、恐怖感だとかから逃げ出そうと桜を放棄するのだろうが、こうも微妙に掴まれては、何につかまれているのか勘ぐってしまい、一目散の退避が心に浮かび上がってくることはなかった。
 男が去ってだいぶ経ったが、雀はまだ私の足元で生きていた。

 この雀がここで死んだら、桜の根がひょっと伸びてきて、その屍体を鷲掴みにして地面に引きずり込んでいくかもしれない。
 
 仮にこの雀がここで死なず、青い海原の上だとか、火山の上だとかここから遠い場所で死んだのなら、その屍体がここ一帯の桜に捕まえられ、土下に引きずり込まれる事はないだろう。そんな遠くまで根が伸びたなら、多くの人がそれを目撃し、桜の樹の下には屍体が埋まっている!という一文を疑う者はいない。だが、現実はどうだろうか。桜の樹の下には屍体が埋まっている!とどこかで言ったならば何を言っているのか、年寄りの戯言だとだれも聞く耳を持たず、果には認知症を疑われるだろう。最小限の金と本しかもたない老人。しかも都心の公園にずっと座っている。これだけでも認知症だといわれても否定のしようがない。
 雀がいつ死ぬのか、それは全くわからないわけで、だが、一つ言えるのは、人間よりはるかに孤独で死ぬのだろう。家族に看取られる雀などそう多くはないはずだ。その辺の道端でぱたと落下し、一生を静かに終える。その一瞬に思いを馳せるやつは近くにはいない。どこか遠いところでその一瞬を知らず、彼の生存を願って餌を探し、求婚に夢中になり、一日を生きていくのだ。
 昔は人間もそうだったろう。私のころにはもう電話はあったし、誰かの訃報には電報の一つでも飛んできただろうが、もっと昔。文学が唯一の娯楽であった時代ならば。


 昔の友人の安否を案じていると雀が気になった。こいつはもうすぐ死ぬのではないか。最後の晩餐のパンくずを食べ終えてほとんど動かず、私の前にいるのだ。私もそう永くはない。類は友を呼ぶ。少し意味は違うがそういうことなのかもしれない。そんな空想を広げる。
 それまでまじまじとは見てこなかった雀を私はじっと見た。小さな体に生えた羽が夕日に照らされ、生え際を際立たせた。ぱっと身から引き取れば、一気に剥がれ落ちそうな、脆い生え際に似合わず、雀は力強く翼を動かした。ああ、そんな強く動かしたら、はがれてしまうぞ!そんな扱いしてはだめだ、もっと、こう。
 
 
 
 
 雀は飛んだ。私の頭上の桜を花見でもするかのようにぐるぐると数周した。それにつられて私は上を見上げた。私の意志と行動はこいつに左右されている。夕日に染色された薄ピンクの桜が付いた枝と枝の間をうまく飛んでいた。そのか弱い羽で作られた力強い飛行に私は雀の最期を見た気がして、いつか来る、雀の落下を看取ってやろうと、彼から目を離さずにいた。

 一番綺麗に開いた花弁を通り過ぎて、羽がその花びらに微かに触れ、花弁は自然と落下した。同時に雀は生気を吸い取られたかのように真下に落下した。空を滑空する者としては一層情けない様子だった。その瞬間を反射的に目から受け取った私は歳に似合わない俊敏な動きで彼のもとへひょいと駆け寄った。久しぶりの跳躍であった。
 落ちた後も彼は息があったようで、翼を小さく動かしていた。もう一度、もう一度と声を出さず、透明な意志を誰かに届けようとしていた。人は皆、彼の飛行など興味がない。見惚れるのは桜。彼のもがきも叶わず、彼は地面に伏せている。空を自由に飛ぶことが個性の彼にとって、これほどの屈辱があるだろうか。見下ろしていたヒトが自分より高い位置から見下ろしてくる。ヒトが歩くたびに伝わってくる振動は彼の微かな心臓の鼓動を刺激し、心臓マッサージのように彼を蘇生させるかもしれないが、その振動は彼の心臓の許容を超えるほどに大きいものだろう。続く振動は彼を刺激し、彼はそれから逃れようともう一度空を目指す。
 しかし、やはり彼にはその振動は大きすぎたようで、動かなくなった。目だけがただじっと空を見ている。

 私は彼の最期を看取った。これは紛れもない真実で、先ほども言ったが私もそう永くはないのだ。彼のように突然、正気を奪われ、空から落下することはないだろうが、何か人間らしくない行動と共に最期を迎えるのかもしれない。



 死んだ雀をそのまま放っておくこともできたが、私は彼をそっと桜の樹の下に持って行った。桜の根は私の妄想のように雀の屍体を引き込むことはしなかった。それでも、彼の死がこの桜に吸収され、また来年、桜を見て彼を思いだせそうな気がして、私はそうやった。
作品名:桜の木の下には 作家名:晴(ハル)