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国王の契約花嫁~最初で最後の恋~

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 今でも正直言えば、彼が自分以外の女をその腕に抱いたり優しく微笑みかけるのを見たくはない。でも、彼を永遠に失ってしまうのと、彼の側にいたいという気持ちを秤にかけた時、彼の側にいられなくなるよりは、辛くても微笑んで王の女として生きることを選びたいと思ったのだ。
 だが、この胸の葛藤をカンに告げる気はなかった。こんなどす黒い、もやもやとした想いは自分一人の胸にしまっておけば良い。彼が中殿や他の側室を迎えることになったら辛いだろうけれど、涙は堪えて微笑んでいれば良い。難しいかもしれないが、微笑むことができるように精一杯努力しよう。
 ファソンが考えに耽っている中に、ふわりと身体が宙に浮いた。思わず悲鳴を上げて彼にしがみつくと、カンが薄く笑った。
「どうやら、今夜が私たちの本当の初夜になるみたいだね」
「―っ」
 真っ赤になったファソンを抱き上げ、カンは宝物を扱うような恭しい手つきで彼女を寝台に横たえた。
「カン。私―」
 思わず身を起こそうとしたファソンの身体をやわらかく押し倒し、カンは彼女の上からすかさず覆い被さった。
「心変わりはしないと約束したばかりだぞ?」
 からかうように言われ、ファソンは眼を見開いた。
 ―そう、私は決めたのだ。
「後悔はしない?」
 再度問われ、今度は落ち着いて応えられた。
「しないわ」
「そう?」
 優しく唇を啄まれる。二度目の接吻だ。
 カンの長い指がつうっとファソンの白い喉をなぞる。思わずピクンと身体を跳ねさせたファソンを見て、カンはひそやかに笑った。
 悪戯な指は止まらず、喉から鎖骨、更には夜着の上からこんもりと盛り上った膨らみを辿り臍の辺りをさまよっている。
 かと思うと、また上に上がって、まろやかな膨らみの辺りを中心に執拗に愛撫している。何故なのか、彼の気まぐれな指が通ってゆく度に、夜着を隔てているのに、触れられた箇所から言いようもない震えが走り、身体がビクビクと跳ねてしまう。
 恥ずかしいことに、その度に声が上がってしまうのだ。しかも、その声はこれまで耳にしたこともない、自分でも耳を塞ぎたくなるような艶を帯びた声だった。
 ファソンはあまりのはしたなさに頬に朱を散らした。狼狽して、両手で口を覆い、声が洩れないようにする。
「我慢しなくて良いんだ」
 真上から覗き込むカンに優しく諭された。
「でも」
 更に紅くなったファソンを見て、カンが笑う。
「可愛い」
 彼の美しい面に意地の悪い笑みが浮かんでいる。こういう不敵な表情を見せるときは大抵、良からぬことを考えているのだと、ファソンはもう知っている。
「そんな可愛い表情を見ると、もっと虐めて啼かせたくなる」
 いきなり唇を奪われる。今度の口づけ(キス)は最初のとは異なり、飢えた獣に烈しく貪られる小動物になった気分のような―身体ごと喰らい尽くされるような獰猛さを帯びていた。
「少し怖い。何だか、いつものカンと違うみたいで、頭から食べられてしまいそう」
 正直に打ち明けると、カンはひそやかに笑った。
「確かに今は、ファソンの全部を食べてしまいたい気分だ。ずっとお預けを喰らってきたからね。その分、烈しくなるのは仕方ないかもしれない。もちろん、できるだけ怖い想いや痛い想いをさせないように優しくはするつもりだけど」
「お預け?」
 きょとんとするファソンの唇を?シッ?とカンが人差し指で封じた。
「静かに」
 そして、改めてファソンをこの上なく慈しみのこもった瞳で見つめた。
「愛してる、ファソン」
 やがて、彼の夜色に染まった深い瞳の奥底で焔が燃え上がった。先ほどまでの優しさとは相反する猛々しい男の欲望が閃く瞳がファソンを見降ろしている。
 寝台脇の灯火がひそやかに照らし出す中、壁に映った二つの影が重なり、もつれ合う。
 しばらく後、国王の寝所の灯りが消えた。静まり返った夜陰の底を時折、かすかな衣擦れの音と喘ぎ声がなまめかしく這う。
 外は夏の夜、紫紺の空が都全体を覆うようにひろがり、満ちた月が静かに宮殿の銀色に燦めく甍を照らし出していた。
 その夜、王の寝所の丸窓越しに時折月影が映し出す二つの影は朝までずっと離れることはなく、烈しく絡み合い、庭園で咲く純白の紫陽花も恥じらって淡く染まるのではないかと思えた―。
 
  真実と愛情の狭間で

 七月に暦が変わってまだ数日を経ない日の朝、ファソンは女輿に揺られ、実家に戻った。ファソンは一人でと言ったのだが、カンがついてゆくときかなかったのである。
―そなたの両親ならば、私の義理の父上と母上なのだ。妻の父御や母御に婿として挨拶するのは当然のことであろう。
 と、どうでも引かない。確かに、好きな男というよりは既に良人となったカンを両親には早く紹介したい。自分が結婚して人妻になったのだということも彼が一緒にいてくれた方が両親にも説明しやすい。
 そのため、ファソンも敢えて反対はしなかった。しかし、いきなり国王が娘婿として現れては、父や母も卒倒しかねない。ゆえに、カンには王という身分はまずは伏せて貰い、何度か両親と逢ってから、状況を見て真実を話そうと事前に決めていた。
 懐かしい我が家が見えてくると、ファソンは少し手前で輿を停めて貰った。カンは栗毛の愛馬に跨って、彼女の輿を守るように付いてきていた。付き従うのは女官一人と護衛官二人である。
 お忍びの来訪のため、供回りは考えられないほど少ない。
「ファソン?」
 カンが訝しげな視線を向ける。ファソンは笑みを浮かべ、輿を降りた。
「ここからは歩いて行きたいの」
「そうか」
 カンもまた馬からひらりと降り、護衛として付き従ってきた武官の一人に手綱を預け、ファソンと二人で並んで歩き始めた。
 門の前まで来た時、門前を箒で掃いていた若い女中が弾かれたように顔を上げ。次いでこちらを凝視した。
「チェジン」
 ファソンが走り始めると、チェジンも箒を放り出して駆けてくる。
「お嬢さま!」
 飛びついてきたチェジンとファソンはひしと抱き合った。
「ああ、お嬢さま。今まで、どこでどうしていらっしゃったのですか? 旦那さま(ナーリ)は漢陽中を隅から隅までお嬢さまをお探ししたというのに、お嬢さまときたら、それこそ霞みのように消えてしまわれたんですから。奥さま(マーニム)は毎日、朝から晩まで泣いてらつしゃるばかりです。最初は旦那さまも、お嬢さまに限って自害なんてするはずがないとおっしゃっていたんですけど、この頃じゃ、もう諦めてしまわれて、この分では近々、お嬢さまの弔いを内々に出そうかなんて話までなさっていたんですよー」
 チェジンはよほど興奮しているのか、喋るだけ喋ると、おいおいと泣き出した。傍らのカンは呆気に取られている。
「ごめんね、チェジン。あなたにも随分と迷惑をかけてしまったわね。私が家出をしたことで、あなたが鞭打たれたりしなければ良かったんだけど」
 ファソンは泣きじゃくるチェジンの背中をあやすように叩いた。