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国王の契約花嫁~最初で最後の恋~

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 ファソンは眼を輝かせながら、早速、並んだ書棚を巡った。王宮には誰でも立ち入ることのできる書庫があるが、ここは違う。国王、王妃、更には王族、特別に許可を得た者でなければ立ち入りはできない場所なのだ。
 さして広くはない空間に縦長の書架が幾つも並んでいる。書架には貴重な蔵書が整然と陳列されていた。
 ファソンはその一つ一つの書架を時間をかけてゆっくりと見て回る。古い本の匂いが立ちこめた空間で深呼吸すると、何だか生き返ったような心もちになった。
「あ、見て。?忠孝明道?もあるわ」
 最後尾の書架までいったファソンが叫び、カンもやって来た。
「どれどれ」
 彼は上背があるので、ファソンのすぐ背後に立ち、難なく確認したようである。
「見ても構わない?」
 窺うように見上げられ、カンの白い面がうっすらと染まった。
「もちろんだ。ファソンは私の妻なのだから、れきとした王族だ。ここは王族は立ち入り自由だし、好きなだけ見ると良い」
 許可を得たファソンは伸び上がった。?忠孝明道?は書架のいちばん上の棚にあった。ファソンでは、どうしても届かない。
「よしよし、待って。今、取ってあげるから」
 背後でひそやかな笑い声が聞こえ、カンがお目当ての本を楽々と取って渡してくれる。
「ありがと」
 ファソンは熱心に?忠孝明道?を読みふけった。実際、こんな生き生きとしたファソンを見るのはカンは初めてだった。宮殿に連れてきてからというもの、ファソンはどこか元気がなく打ち沈んでいるようなところがあった。
 今日のファソンは彼が初めて下町で出逢ったときの彼女を思い出させる。
―この娘はつくづく本が好きなのだな。
 ?本の虫?というあだ名はあながち間違ってはいないということか。
 こんなに歓ぶのを見られるのなら、度々、ここに連れてきても良いし、何ならファソンにこの書庫の合い鍵を与えても良いだろう。合い鍵を与えたからといって、勝手に貴重な蔵書を持ち出したり私したりするような娘ではない。?王の寵愛?に甘えるようなファソンではないとカンはよく判っていた。
 優しくて健気で、泣き虫で、いざとなったら自分の信ずる道をがむしゃらに突き進む頑固な少女。欲など一切なく、ましてや他人を陥れたりすることなど、考えたこともないだろう。
 カンがファソンを抱かないのは、彼女の人柄によるところも大きい。もちろん、初夜に言ったとおり、一時彼女の身体を欲しいままにして、永遠に彼女の心と信頼を失うのは避けたい。そいういう理由もある。けれど、いちばんの理由は、ファソンが後宮という伏魔殿で生きてゆくには優しすぎるからということもあった。
 ファソンという花はきっと後宮では萎れてしまうだろう。彼女の生き生きとした魅力は恐らく、宮殿ではなく市井でこそ発揮できるものだ。多くの女たちが王の寵愛をめぐって妍を競い、時にはライバルを策略を巡らせて陥れたりする後宮という魔窟に彼女を閉じ込めてしまうには忍びない。
 だからこそ、彼はよりいっそうファソンという少女に魅了される。 
「ねえ、カン」
 そこでカンの想いは中断された。当のファソンが輝く瞳で彼を一心に見上げている。こうなると、二十一歳の国王はもう何も考えられなくなる。ファソンが?若い王を骨抜きにしている?という噂はある意味では正しいといえるかもしれない。
 一方、ファソンは、どうしてもカンに伝えたいことがあった。
「同じ?忠孝明道?なのに、私の持っているのと所々、違っている部分があるのよ。どちらが正しいのかしら」
 カンは首を捻った。
「そうなのか。私は恥ずかしいが、まだそこまで熟読してないからな。多分、ここの書庫にある本は清国から渡ってきた原本、もしくは原本に近いものだろう。ならば、市井の書店で入手したものよりは、宮殿の書庫の方がより正しいのではないか」
 ファソンは弾んだ声で応じた。
「そうかもしれないわね。?さんの本屋にあった本は、誰かが書き写して更に書き写したものだという可能性が高いもの。その点、宮殿の書庫はあなたの言うとおり、清国から伝わったものがそのまま保管されていると思うから、きっと、こちらが原本により近いのね!」
 ファソンは興奮した面持ちで続けた。
「私、違っている部分を憶えられるだけ憶えて帰るわ」
 カンが笑った。
「必要なら、殿舎に持って帰れば良い」
「あら、それは駄目よ。ここの書庫の本は全部禁帯出なんでしょう。持ち出し禁止の本なのに」
「王命があれば、例外的に持ち出せることになっている。私が許可するゆえ」
 ファソンは真顔で言った。
「それは止めておくわ。こんな言葉は使いたくないんだけど」
 ファソンは言い淀み、続けた。
「?寵愛?に甘えるようなことはしたくないの。皆はカンが私に甘すぎると言ってるのよね。もし、私がここで持ち出し禁止の本を持って帰ったりしたら、自分で噂を肯定するようものでしょう」
 そのひと言に、カンはハッとした表情になった。
「確かに、そなたの言うとおりだ。私が浅はかだった」
 ファソンは微笑んだ。
「そんなことはないわ。カンはいつも私に優しくて、気遣ってくれるもの。ありがたいと思ってる。カンが行き場のない私を助けてくれたように、私もできることは知れているけれど、カンの役に立ちたいわ。私たち、恋人や夫婦にはなれなくても、友達にはなれるわよね」
「友達、か」
 カンは泣き笑いの顔で言った。
「今度、案内して貰うときは筆記用具を持ってくるわ。ここで書き写すのなら、問題はないでしょ」
「そうだな。では、そのときまで我慢して、今日は憶えきれるだけ憶えて帰ってくれ」
 カンの言葉に、ファソンは笑顔で頷いた。
「そうするわ」
 ところで、と、ファソンはカンを見た。
「最近は?春香伝?の続きは書いてるの?」
 初夜以来、殆ど同じ寝台で眠っている二人だ。以前、カンは執筆は夜にやると話していたが、ここのところ、彼はファソンと枕を並べて眠るだけで、特に執筆をしている気配はない。
 実は、ファソンはそのことがずっと気になっていた。最初に出逢った時、彼は?春香伝?の続きを書きたいのだと熱く語っていた。彼にはその夢を諦めて欲しくないのだ。
 ファソンの問いに、カンは黙り込んだ。ややあって、照れたように笑う。ファソンの大好きな少年のような笑顔に、鼓動が速くなる。
「ちゃんと書いてるさ。夜は書けないから、昼間にちょっと政務の合間に」
「まあ、駄目じゃない。お仕事をするときはちゃんと仕事に集中しなければ」
「爺の眼が光っているから、そこまではできないんだよ。上に上奏書を乗せて、下に書きかけの原稿を置いて書くんだ。で、爺が入ってきたら、すぐに上奏書を読むふりをする」
 身振り手振りを入れて得意げに話すカンは、まるで親の眼を盗んで勉強中に悪さをする子どものようである。
 ファソンは思わず、クスリと笑みを零していた。
「いけないことではあるけど、カンらしいわ」
 沈内官に隠れて必死で小説を書いている王の姿が眼に浮かぶようで、笑えてくる。が、ファソンは表情を引き締めた。