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国王の契約花嫁~最初で最後の恋~

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「そう。父にね、無理に見合いをさせられそうになったのよ。だから、逃げ出してきたの。甘いわね。屋敷を出さえすれば何とかなると思ってたのよ。?さんのところで何か仕事をさせて貰えると勝手に決めてたの。でも、その場で?さんに断られて。私のような世間知らずが一人で生きてゆけるほど都は甘くないから、さっさと屋敷に戻れって言われちゃった」
 カンが言いにくそうに言った。
「これまで敢えて訊ねなかったけど、ファソンは両班の令嬢だろう?」
「ええ、一応、父は王さまにお仕えしております、殿下」
 ふざけて言うと、カンは思案げな顔で言った。
「両班の令嬢というのは普通、親の言うなりに政略結婚するものだろうが」
「このファソンをそんじょそこらのお嬢さまと同じにしないで欲しいわね。私は生涯、誰にも嫁がないと決めているんだから」
「結婚するなら、書物とするのか? 本好きのお嬢さん」
「そうね。でも、もし誰かに嫁ぐのなら、親に決められた相手ではなく、ちゃんと自分で見つけるわ。私もその男(ひと)を好きになって、相手の男も私をちゃんと見てくれる―そういうのが良い」
 カンが愉快そうに言った。
「ファソンは見かけによらず、夢想家(ロマンチスト)なんだ」
「まあ、見かけによらずは余計よ。相変わらず、ひと言多いのよね、カンは」
 だから、とファソンは眼を閉じた。
「春香伝の春香と夢龍(モンリョン)のような両想いが良いわあ」
 恍惚りと呟くのに、カンが笑い転げた。
「何だ、ファソンは難しい本しか読まないのかと思ったら、春香伝も読んだのか?」
 ファソンは肩を竦めた。
「当たり前でしょ。ただ漢籍が好きというだけで、私は至って普通の女の子です。もちろん、これも父や母には内緒よ。でも、本当はお母さまも父や使用人に隠れて春香伝を読んでるのは知ってるの。私には、そんな色事しか描いてない、はしたない小説は駄目って言ってるくせにね。案外、父も母がこっそりと小説を読んでいるのを知ってるのかもしれないと思うときがあるわ」
「何か面白そうな父上と母上だな」
「そう?」
 そこでファソンは声を低めた。
「ところで、カンはその後、春香伝の続きは書いているの?」
 その問いに、カンは白い面をうっすらと上気させた。
「実は風邪を引き込んだのも、そのせいなんだ」
「夜更かしでもしたの?」
「まあ、そういうこと」
 茶目っ気たっぷりに言うカンに、ファソンは姉のような口調でたしなめる。
「無理をしては駄目よ。カンはこの国の王なのよ? 代わりのきかない大切な身体なんだから。病気ばかりしていたら、朝廷の大臣たちも心配するでしょう」
「だな。世継ぎがいないから、余計に早く中殿を迎えろと煩くなるんだよ」
「それは仕方ないわよ。私だって、心配するわ」
 カンは横たわったまま上目遣いにファソンを見た。
「それは私の健康が心配だということか? それとも、私に世継ぎがいないから、何かあったら大変だと?」
「嫌ねえ、どちらも心配よ」
 何故、そのような質問をされるのか判らず、ファソンは言った。
「あまり無理はしないでね。日中は夏のように暑いけど、夜は冷えるから、余計に身体に負担がかかるのよ」
「判ってはいるのだが、昼間は政務があるし、小説を書くとなれば、夜しかない。必然的に眠る時間を削るしかないんだよ」
「どのくらい進んだの?」
「そうだな」
 カンは首を傾げた。
「私の書いたのは続編というよりは、正しく言うと、春香伝の異聞のようなものなんだ」
「異聞? 面白そうね」
 勢い込んで訊ねると、カンは笑った。
「そなたは聞き上手だな。そんな風に訊かれると、ますます話したくなる」
「お世辞ではなくて、本当に聞きたいわ。どんな話なのか、教えて」
「晴れて悪徳使道から逃れた春香はモンリョンと都に行った。そこで奥方に迎えられ、幸せに暮らすんだ。だが、ある日、モンリョンが政敵に陥れられ、濡れ衣を着せられ義禁府に囚われた」
「まあ、それは大変」
「そこで、賢妻春香の出番だ」
 ファソンは固唾を呑んで、カンの言葉を待った。カンはファソンの表情を見て、満足げに笑う。
「春香は良人の無実を証(あか)そうと男装してひそかに単独で聞き込みを始めた」
 あろうことかモンリョンは妓生殺しの罪で囚われたのだ。酒には強いはずの彼は両班の知り合いに誘われ、妓房に上がった。数人で賑やかに飲み明かしている中に、モンリョンは深酒が祟って眠ってしまい、翌朝目覚めたときには彼の傍らに妓生の亡骸が転がっていた―という事件だった。
「モンリョンは仲?内からも?笊?と呼ばれていたほどの酒豪だった。ゆえに不覚にも眠ってしまったのは、酒に眠り薬を入れられたからだ」
「明らかに、誰かがモンリョンを陥れようとしてやったのね?」
「そう! その謎を春香が解き明かすという筋立てなんだ」
「素敵じゃない。完成したら、絶対に読ませてね」
 ファソンが力づけるように言うと、カンはますます頬を染めた。
「うん、真っ先にファソンに見せるよ」
 ファソンは夢見るような瞳で呟いた。
「やっぱり、春香伝は良いわよねえ。想い想われて結ばれる幸せな恋物語。どんな試練があっても、強い愛で結ばれた二人は乗り越えて生涯幸せに暮らすの」
「なら、さしずめ私がモンリョンで、そなたが春香か?」
「あら」
 ファソンは令嬢らしくもなく、鼻をうごめかした。
「モンリョンの正体が王さまだったなんて、幾ら何でも、あり得ないわよ。まあ、それを言うなら、王さまが春香伝を読むどころか、続きを書くだなんて誰も想像もしないでしょうけど」
「それもそうだな」
 カンは頷き、思案顔になった。
「だが、?さんは私の書いた続春香伝を売ってくれると約束したぞ」
「私も売れると思う。今度は春香がただひたすら耐えるだけではなくて、自ら良人の無実を証明するために男装までして聞き込みするのよね」
「そうだ。時には妓楼に上がる客を装って潜入調査もする」
 でも、と、ファソンはカンを訝しげに見た。
「王さまが何故、妓楼を舞台に描けるほど詳しいのかしら」
「いや、それはそのだな。?さんの本屋に行くついでに色町へも」
「まっ、色町ですって。妓房に上がったことがあるの! 何よ、今の国王さまは?女嫌い?のはずでしょ!」
 カンは渋面で言い訳を始めた。
「女嫌いというのは周囲が勝手に言っているだけだ。私だって男だよ。特に後宮に渡るわけにもいかないとくれば、たまには妓楼にも行く。もっとも、妓房では飲むだけで、女を買ったことはない」
「知らない! カンがそういうことをする男の人だって思わなかった」
 ファソンはそっぽを向き、立ち上がった。
「それでは、私はこれで失礼致します。殿下」
「待て」
 咄嗟に手首を掴まれ、ファソンは背後を振り返った。
「怒った?」
「別に、カンが妓房で妓生遊びをしても、私には関係ない話だもの」
「怒るなよ。妓房に上がったのは小説を書くため、まあ、実地調査のようなものだ。どんな場所か知らなくては、描こうにも描けないだろう。別に女遊びをしたくて行ったわけではない」
「でも、さっきは言ったでしょう。後宮に行けない代わりに妓房に行ったとか」
 ファソンがむくれて言うのに、カンは含み笑いを洩らした。