小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

国王の契約花嫁~最初で最後の恋~

INDEX|10ページ/32ページ|

次のページ前のページ
 

「存じ上げないこととはいえ、失礼致しました。国王殿下に対して不敬の数々、どうか寛大なお心をもちまして、お許し下さいますよう」
 面を伏せたまま言うのに、カンがまた笑い出した。
「今更、遅いよ。ファソン、私は出逢ったときのままの?カン?だし、そなたも?本の虫?だ。そんな風に畏まられると、私の方まで調子が狂ってしまう」
「何ですって、誰が?本の虫?―」
 勢いづいて怒鳴りかけ、ファソンはまた、うつむいた。
「いえ、さように仰せのとおりにございます、殿下」
「では、これは王からの命だといえば、今までどおりに接してくれるかい?」
 ファソンは顔を上げ、笑った。
「仕方ないわね。王命なら従わないといけないから、今までどおりにしてあげる」
 ふとカンと視線が合った。その眼(まなこ)に愉快そうな光が燦めいているのを見てとり、ファソンは吹き出した。ほぼ時を同じくしてカンも笑い出し、二人は声を出して笑い転げた。
「実をいえば」
 ファソンはまだ笑いながら、ようよう言った。
「あなたが王さまだというのは紛れもない現実だと認識はできているのに、どうしてか、今まで通りにしか話せないの。不敬罪に問われかねないのにね」
「私も同じだ。どうも、ファソンに改まって?殿下?と呼ばれたら、背筋がかゆくなりそうだよ。だから、今まで通り、カンと呼んでくれて構わない」
 二人はそれからしばらくまだ笑い合っていた。キム尚宮が老内官からの依頼で駆けつけた時、女を身辺に寄せ付けないことで知られる若い国王と美しい娘が寄り添い合い、愉しげに笑いさざめいている姿がやけに鮮烈に尚宮の眼に飛び込んできた。
「殿下があのように愉しそうに笑っておられるお姿は初めて見たこと」
 キム尚宮は極めて珍しいものでも見るかのにように、若い二人を見つめ独りごちた。
 国王は漸く心を開くことのできる女性を見つけたのかもしれない。彼女は結婚の経験もなく、子も持たない生涯であったが、それだけに余計に畏れ多いことではあるが、王を我が子とも思ってお育てしてきた。
 王が乳を差し上げた乳人の手を離れた二歳のときから、彼女は王に乳母として仕えてきた。あの娘が我が手でお育て申し上げた若き国王の孤独を癒してくれる存在であれば良いがと心から願った。
 そのためには自分は、これから、あの娘を後宮女官として、いずれは王の側室となるにふさわしい女人に育て上げようと固く心に誓った。
 このキム尚宮は若い王の乳母を勤め上げた人で、王が?仁平大君?と呼ばれた幼少時代は保母尚宮として、王が成人後は提調尚宮(後宮女官長)の地位に昇り、後宮で重きを成していた。二十一歳の王にはいまだ正妃どころか側室もいない。そのため、後宮で最高位にあるのは王の生母、朴大妃となるが、後宮の実際的な運営に当たり、その最高責任者となるのは金尚宮だ。
 キム尚宮は常に大妃の意向を伺うので、最終的に決定権を持つのは大妃ではあっても、後宮を統括するのは提調尚宮である。
 ほどなくファソンはキム尚宮に連れられ、後宮に案内されることになった。強引に見合いをさせられそうになり、屋敷を飛び出したのは良いが、ファソンが飛び込んだ新しい世界は何とも彼女の予想をはるかに越えた世界だったのである。

 賢宗は生来、病弱というわけではなかったが、何かと寝込むことは多かった。彼の父である前王も蒲柳の質で、若くして亡くなっている。そのため、廷臣たちは十一歳で即位した王がまだ十五歳にもならない間に、中殿を迎える件について真剣に検討したものだ。
 十五歳という年齢は、けして妻帯するのに早過ぎはしない。特に貴人であればあるほど、後継を残すためにも早婚はむしろ当然といえた。
 しかしながら、まだ少年の王は同じ年頃の少女に興味を示すどころか、むしろ寄せ付けない素振りさえ見せた。彼が好んで側に置きたがるのは同年齢の内官ばかりで、それゆえに、
―お若い殿下には衆道の気がおありになる。
 と、暗に女嫌いなのは同性愛嗜好があるのでとは実に無礼千万な噂が廷臣たちの間で囁かれた。
 もっとも、これには大きな誤解がある。前王と王妃との間に生まれ、三歳で世子となった賢宗は生まれながらの王であった。見た眼も美男で、しかも若い。そういったところから、まだ幼い時分から、彼に色目を使う女官たちが多かったのは確かなことだ。色目を使うといえば身も蓋もない言い方かもしれないけれど、要するに、
―王さまのお眼に止まりたい。
 と、熱望する若い女官は多かったということだ。仮に第一王子の母となれば、未来の国王の生母となることも夢ではない。
 後宮で生まれ育った賢宗は、そういう女の裏の部分―醜い欲望を幼いときから目の当たりにしてきた。父王は生涯に渡って中殿(正妻)の他には側室を数人置いていた。しかし、これもひそかに囁かれていることだが、体力がなかったせいか子種が薄かったせいか、側室には一人も御子は産まれず、正妃一人に賢宗が生まれただけだ。
 もっとも、これも怖ろしい噂が後宮で囁かれていて、嫉妬に狂った王妃が懐妊した側室たちをことごとく薬を飲ませたり転ばせたりして流産させた―とも伝えられている。
 もちろん、賢宗自身もそういった黒歴史的な後宮の噂話、伝説と笑い飛ばすことは満更できない話を知っている。そして彼がよく知る気性の激しい母であれば、そういうこともありなんと思えてしまうところが哀しい。
 あれはいつだったか、確か彼が八歳くらいのときだ。季節は真冬で、漢陽に純白の雪が降り積もったある朝、彼はなかなか全文憶えられなかった漢籍をやっと憶えることができ、嬉しくて母に報告にいった。
 けれど、後で行かなければ良かったと何度後悔したことか。東宮殿からとある後宮の殿舎を通りかかり、爺やと慕うお付き内官を従えていた彼は脚を止めた。
 美しい白装束の女が降り積もった雪の上、筵一枚で端座していた。
―あの者はいかがしたのだ?
 当時はまだ若かった爺やこと沈内官は沈んだ面持ちで応えた。
―中殿さまのお怒りを買った者にございます。
―何ゆえ、母上のお怒りを買ったのだ?
―それは。
 沈内官は口ごもった。幼い彼は女の許に駆け寄った。
―このような雪の上では寒かろう。何の詮議があって、このようなことになったのかは知らぬが、私が母上に取りなして参ります。
 白装束の女性は美しかったけれど、それは例えば降り積もった雪のように儚いものだった。母よりは、かなり若い、まだ十代のようにも見えた。
 後に、その女が父王の寵愛した側室の一人で、その時、懐妊していたのだと知った。
 彼は中宮殿に赴き、漢籍のことなどそっちのけで、雪の中で端座させられている女性のことを母に話した。
―このような寒い日に風邪を引いてしまいます。
―世子は慈悲深いこと。きっと、行く末はご立派な王とおなりでしょう。
 母は微笑んで頷いたが、その後、取った手段は残酷極まりないものだった。
 帰り道、雪の中にいた女性はもう跡形もなく姿を消していた。彼女が座っていた場所には筵さえない。ただ、白い雪をおびただしい鮮血が紅く染め上げていた。
―何があったというのだ!