ライバル~手~
「そんな顔するなよ、俺はさ、シュート力には自信があったけど、小技はそんなに上手くないし、足もあんまり速くないからな、プロにまでは辿りつけっこないよ……でも、お前は身体が大きくてキック力もあるし、頭もいいからプロも夢じゃないと思ってる……もしお前がプロになったら、俺は高校時代あいつと張り合ったんだぜって自慢するよ……じゃあな、全国大会はテレビで応援してるからな」
盛田が立ち上がった。
平静を装ってはいるが、その目は僅かに潤んでいた。
「盛田」
「なんだ?」
「お前、見なかったか?」
「……指先のことか?」
「やっぱり見えてたんだな……」
「いや、ギリギリの所をボールが通ったのは見たが、当たってるかどうかまではわからなかった……」
「掠ってたんだ、主審がハンドを取っていればペナルティキックだ、勝負はどっちに転んだかわからない」
「そうか……だけど判定は判定だしさ、もし掠ってたにせよボールの行方は変わってやしないさ、最後のプレーで俺はお前に競り負けた、それだけのことさ」
「だけど、俺はハンドを隠したんだ」
「立場が逆なら俺だって隠すさ」
「……え?」
「八十分間……いや、三年間一緒に戦ったチームメイトが勝利を喜んでるんだ、それに水は注せないだろ?」
「だけど……」
「いいんだ、南高との試合はいつだって楽しかったぜ、南高があるから北高も強くなった、お前がいたから俺も三年間完全燃焼できた、最後は勝利の女神がそっちに微笑みかけた、それだけのことさ……」
「……」
「審判にハンドを取られても『触ってない』って言い張るのが普通さ、あんな微妙なプレイで『ハンドしました』なんて自分から言う奴は見たことないぜ」
「それはそうかもしれないけど……」
「そんなの気に病むほうがおかしいって、そんなんじゃ全国行ったら勝てないぜ」
「ああ……そうだな……ありがとう……」
「じゃあな、俺たちの分まで頑張ってくれよ」
「ああ……」
盛田は通路まで降りて行き、出口で立ち止まった。
「なあ……ユニフォームを交換してくれないか?」
「え? ああ……だけどまだ全国大会が……」
「そんなのわかってるさ、俺が欲しいのは全国大会で戦ったユニフォームだよ」
「ああ……わかった、必ず……」
迎えた全国大会、俺たちは一回戦を1-0で勝利した。
スコアこそ最少得点差だが、盛田を中心とした北高と比べれば相手の攻撃力は一段劣るように感じられ、決定的なピンチを招くことのない、危なげない勝利だった。
2回戦の相手は優勝候補の一角に挙げられる強豪、試合は押され気味でいくつか決定的なピンチもあったが、キーパーの好守もあって終盤まで0-0の接戦だった。
均衡を破られたのはコーナーキックから。
コーナーキックに備えて俺よりも少し大柄な相手センターバックが前線に上がって来た、それまで俺は、やや小柄な相手フォワードにヘディングシュートを許していなかったので、俺より身長のある彼を前線に上げて俺と競り合わせようと言う意図は明白だ、俺はそれまでマークして来たフォワードをサイドバックに任せて彼をマークした。
案の定コーナーキックは彼の頭に合わせるハイボール。
俺はポジションの奪い合いに競り勝って彼の前を取った、高い軌道を描いて飛んで来るボールを頭でクリアしようと、俺は思い切りジャンプする、が、ボールには僅かに届かない……スロービデオを見ているかのようだった、ボールは彼の頭に当たって大きくコースを変え、俺たち二人はもつれ合うように倒れ込んだ。
その瞬間、俺は見たのだ、ボールが彼の指先に僅かに当たってからゴール下隅に突き刺さって行くのを……。
(ハンドだ!)
思わず主審を見やるが、主審はゴールを認める笛を吹き、彼は素早く立ち上がると歓喜に沸く仲間たちの下へ走り去った。
そして、俺は歓喜の輪の中心でボールに触れた指を突き上げている彼を少し複雑な思いで眺めていた。
試合はそのまま0-1で敗れ、高校サッカーの三年間はその瞬間に幕を閉じた。
帰郷すると、俺は約束通りに盛田とファミレスで再会してユニフォームを交換した。
「惜しかったな、二回戦の相手は準決勝まで行っただろう? そのチームを結構追い詰めてたもんな」
「ああ……まあな」
「なんだか浮かないな、去年の俺たちは1回戦負けだったぜ……全国大会でひとつ勝ったユニフォームか、俺のより価値があるよ、なんだか悪いな」
「そんなの関係ないよ」
盛田がことのほか嬉しそうにしてくれていたので、俺も気分が良く、苦い敗戦のことをしばし忘れていたのだが……ふと、盛田が決勝点になったプレーの話を持ち出した。
「……なあ……あの決勝点の場面な、ハンドじゃなかったのか?」
「見てたのか」
「当たり前だよ、スロービデオで見ると当たってるようにも見えたんだが……お前は至近距離で見てたんだろう?」
「……ああ……掠ってたよ、指先が動いたのを見た……でもコースが変わるほどじゃなかった、キーパーも気づかなかった位だしな」
「どうして抗議しなかったんだ?」
「どうしてって、抗議したところで判定が覆らないのはお前も良く知ってるだろう?」
「そんな事はもちろん知ってるさ、でも、俺は抗議して欲しかったんだ」
「おかしいじゃないか、県大会の時にお前は俺のハンドに抗議しなかっただろうが!」
「それとこれとは話が別だ!」
「どう違うって言うんだ! ワケがわからないね!」
「どうしてわからない!?」
「なんだって言うんだよ!」
つい声が大きくなって、店中の注目を浴びてしまっているのに気づき、俺も盛田もトーンを下げた。
「本当にわからないか?」
少し頭が冷えると、自然と盛田の気持ちに気づいていた。
「いや……わかるよ」
「俺とお前、お前とあいつじゃ全然違って当たり前だよな? 俺とお前は三年間競い合った間柄だよ、プライベートでこうして会うのは初めてだけどさ……練習が辛い時とかは『そんなんじゃあいつに勝てないぞ』って自分を奮い立たせてたもんな、ある意味、チームメイト以上の存在だった、お前と競り合って負けたならそれは俺の力不足だったと素直に思えたよ、指に掠ったかどうかなんて些細なことはどうでも良かったんだ」
「……それは俺も同じだよ、お前に得点されると悔しい反面、もっと頑張らなくちゃ駄目だと思ってたよ……そうだな、俺も県大会の時なら立場が逆でも納得できたかもな、でも全国大会での負けは納得してちゃダメだな」
「その言葉を聞けて嬉しいぜ」
「ああ、ムキになって悪かったよ」
「それは俺も同じだよ……なあ、俺は酒屋を継ぐって言っただろう? 俺だってサッカーを続けたいよ、自分でも大して見込みはないと思っているのは前に言ったとおりさ、でも、諦めるのはやっぱり辛いんだよ……だから、お前には夢を叶えてもらいたいんだ、もっと貪欲になってもらいたいんだよ……ゴメンな、自分の夢を人に押し付けるなんてサイテーだよな」
「いや……そうは思わないよ、俺は恵まれてると思うよ、なのに判定は覆らないからって簡単に諦めた、それが歯がゆいんだろう?」
「ああ……身勝手だよな、でもそうなんだ」
「俺にお前の夢を背負えと言われてもな」
「ああ……そうだよな」