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水中花 終

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 さて、いい加減、こうやって座っているのも疲れてきたと感じ始めたころ、恭介の視界に何かが新しく加わった。それは参拝客や、ハトなどの動物でもなかった。心臓の鼓動を感じないその物体は水中花に似ていた。透明な丸い殻の中には何も入っていなかった。空の水中花に出会ったのは初めてだった。
 すこし、不思議なのは、その水中花はぷかぷかと浮かんでいたことだ。空中で静止するのが、いつもの水中花で、こうやって浮かぶ奴はいなかった。
 もう一つ不思議だったのが、あの水中花が雨の中、雨粒に濡れていたことだった。これまでの印象ではあの水中花は、雨に濡れず、むしろ、雨がそれをよけているという描写が似合いそうなもので、そういう意味で不思議だった。
 恭介の疑念は当たっていたようで、しばらくしてその正体がシャボン玉だと分かった。というのも、いつの間にか、恭介の背中側、大樹の反対側で子供がシャボン玉で遊んでいたのだ。周りに母親らしき者は見えない。一人遊びに夢中になった子供が作り出した数々のシャボン玉の中身はどれも空っぽで、どれも透明だった。表面に油模様がうっすらと見えるのがいかにもシャボン玉らしい。


「しゃーぼんだーまとんだ、やーねーまでとんだ」
子供が懐かしい歌を歌いながら、小さく跳ねているのが、大樹越しに伝わる。雨音に掻き消されない陽気な歌声は神社にはどうも似合わない。
 雨が強くなるにつれて、シャボン玉の数は増えていった。自然と薄れて消えていくシャボン玉達だが、その総数が少なったようには思えなかった。子供が次々に作っているのかもしれない。子供はいくつくらいだろうか。少年か、少女か、もしかしたら日本人ではないかもしれない。日本の歌を知っているだけの観光客の可能性も捨てきれない。裏に回って子供姿を見れば、わかることなのだが、どうも動く気にはなれなかった。子供がシャボン玉を追いかけてこっちまでやってくることを願う。
 止む気配のない雨の色が濃くなるにつれ、現実に起きていることが色濃く、恭介を蝕んだ。雪はもういない。空いた穴を埋めるために新しい人との出会いを求めるのが一番いいのだろうが、そういう気にもならない。こういう自然の中での安泰だけを願っている自分がいた。
 だが、そろそろこれも終わりかもしれない。雨の景色に人がちらちらと見え始めたからだ。あの人がただの観光客ならば、なんだあいつは、座り込んで、と不審がられるだけで済むかもしれないが、仮にあの人が神社の関係者ならば、こんな不届き者はすぐさま排除するだろう。
 

 雨が視界にこびりつき、その風景が絵画のように見えた。


 とうとうこの時間は終わりのようで、あの人がこちらに向かってきた。黒スーツの姿が死神のように見え、雨の景色がそれを助長するようで、彼(男であった)の接近をひどく嫌った。一歩一歩近づくたびに、死に近づくような感覚が広がり、雨の音が心臓を鳴らし、呼吸を激しくさせた。
 この症状は死を恐れているものだと思うのだが、なぜ恐れるのか。恭介が死を恐れる理由は、おそらく雪をおいていくことだけだったのだが、今となってはそれもない。なぜ、恐れるのか。
 彼が大樹のテリトリーに入ったころ、彼は恭介の後ろ側に回り、シャボン玉の子供に注意した。ここでやってはだめだよ。どこか公園でやろうね、という彼の言葉に素直にはいと言った子供はその彼と共に雨の中を歩いて行った。いや、子供ではない。雨の景色に描かれた人物は二人とも同じ背丈であった。彼の言葉に違和感を覚えたが、現実は大人二人の歩行であった。
 やはり恭介は鈍い。

 大人たちが去った後もシャボン玉は浮遊していた。薄れて消えていくシャボン玉を眺め、その一生を看取っていくのだが、その総数が減る気配はなかった。そこまでたくさんのシャボン玉があるわけではないが、現実の風景のその数は減らない。
 浮遊する背景の雨が止んでいくにつれて、穏やかな風景に違和感を覚えた。それが先ほどの黒スーツの彼の不自然な言葉によるものではなく、今、ここに広がる風景に隠れているとなぜか確信していた。実に根拠のない仮定だが、そういうものにこそ本物の納得が訪れることを恭介は知っていた。シャボン玉に油がまた見えた。
 両手に届く範囲にシャボン玉はやってこず、また大樹のテリトリーからでていくこともなかった。大人の子供がどこかにいくまでは雨に濡れ、雨粒の重さか何かによって破裂を余儀なくされていたシャボン玉だったが、今は雨に濡れることもない。割れることのないシャボン玉の浮遊に規則性はなく、大樹の葉に触れない程度から、土に触れない程度までで浮遊するのだ。
 大人の子供が歌っていた歌にもある通り、シャボン玉は屋根まで飛んで、だんだんその濃度を薄くさせ、割れて消えるのだ。しかし、それが起きないのは大樹のテリトリーに留まっているからかもしれない。
 浮遊する景色を眺めているとほんのわずかな違和感に気づいた。無数の油が浮かんだ球体に紛れて、純粋な透明を纏った球体がいたからだ。ガラスのように、外の風景の色を吸い取る様子もなく、しかし、その透明が有色な世界に確かに存在しているという矛盾がそこにあった。その一つが突然、大樹のテリトリーを抜け出て、雨に濡れた。透明な雨に色が見える。一粒、濡れたあと、次の雨粒が衝突しようとすると、それを不自然によけた。十ほどの雨粒をよけると、何事もなかったかのようにテリトリーに戻ってきた。まさしく水中花であった。
 恭介は衝動にかられた。あれに触りたい。理由の先行しない衝動であった。後付けで思考を試みると、そうだ。新潟の川では極度の不安をもたらした。その反面、スノードームは極度の安堵をもたらした。相反する二つの感情を体現する水中花であったが、今、眼前のやつに触ったならばどちらか、もしくは全く別の何かが訪れるのだろうか。どちらかが訪れる可能性が高いことは本能的に察した。それ以上に同時に現れるのではないかと納得した。その同時発現を想像するとその未体験な感情に出会ってみたくなった。これが突然の衝動の理由のようだった。今、座っている恭介にはこの衝動以外の欲求は自然との融和しかなかった。
その衝動は、実行しなければならないと強く思った。動かす面倒より、動かさないもどかしさを嫌い、恭介は立ち上がった。雨音が滑る砂の音と同化する。無数に広がるシャボン玉はじっとしていない。自由な浮遊によって水中花の姿が隠されないか心配し、見失わないようにひたすら目で追った。五感のすべてを目に向けたせいか、雨音は聞こえなくなった。しかし風景には相変わらず雨が刺さった地面が映る。立ち上がった不安定な軸が、安定するように右足を前に出した。意志を反映していない行動にも水中花は素直に反応し、少し遠く離れた。歩みだした右足につられて左足が、そして右足が一回前に出た。また、遠ざかる。繰り返した足はいつの間にか走るようになっていた。いつの間にか大樹のテリトリーは終わりを告げ、体が一斉に濃く染まっていく。透明な液体による染色に恭介は気づかない。
作品名:水中花 終 作家名:晴(ハル)