水中花 終
車内で空いている席に座らず、もう二駅を過ごしていた。千葉行きの電車は新宿に着くとドアの開閉で大勢の人を吐き出した。それに伴う空白を埋めるかのように大勢の人が入っていく。その多くは同じような服を着ているのは、いつも通りだが、そこにある顔も同じように見えたのは久々のことだった。
大学までの電車はいつも通り進んでいるが、どうも人が少ない。よく考えれば、もう十一時なのだ。大半の人は目的地へたどり着き、パソコンを広げ、ノートを広げ、電話をかけ、日中の営業に勤しんでいるだろう。この時間に電車に乗っている人は一体何をするために向かっているのだろうか。そう考えると、大学生とはなんとも自由な人種だ。人生の夏休みとは確かに言える。
窓に水滴がついた。一つだけで電車の流れに負け、後ろに尾を引いた水滴はたくさんの仲間を連れ、やってきた。恭介が雨雲の下に入ったのではない。暗い空の色が線路の傍にたまる堀に投影され、水はいつもに増して濁って見えた。それが窓の汚れや、恭介自身の目によるものとは一切考えなかった。電車はもうすぐ市ヶ谷だ。
電車が止まると、もう進む道は決まっていて、人は流れを作った。JRの改札、地下鉄への乗り換え改札へと向かうのだ。他のどこかに向かう人間はいない。恭介も
その流れに従い、改札へと向かう。歩いているはずの足が自動で動いているような感覚に包まれ、既に行ってしまった千葉行きの電車の残像すら感じられた。意識が体に追いついていない。改札のパタパタは今日も内と外を分けているようで、改札機の向こうに見える世界がどうも濁って見える。目を擦れどそれは変わらず、むしろ汚れが引き伸ばされたようになり、何色かの絵の具が混ざった油絵が出来上がっていた。向こうからくる人は色に侵され、顔が見えない。その色は人によって異なっていた。新宿で感じた代り映えのしない人ごみとは全く違った乗客がそこにはいた。
ここで一つ、恭介は疑問に思った。自分の顔もあの色になっているのだろうか。改札を出る前に青い人が書かれたトイレに入り、鏡に映る自分を見た。
改札を出て、まっすぐ続く桜の木の公園を進んでいくのが、大学への一番近い道で、授業に早くいかなければならない今はこの道を進むのが適切だった。堀沿いの公園と、車道に面したただの道が途中から分かれるように続くこの道のどちらに進むかはその日の気分だとか、天候だとかによって決めるのだが、先ほどから降り出した雨によって濡れた車道の傍を歩く気にはなれなかった。灰色に染まった水たまりをタイヤが押しのけて、水しぶきでも引っ掛けられたなら、今日はますます嫌な日になるだろう。
嫌な日、今日は何があったのか、恭介は少し記憶が錯乱していた。雪が別れを告げた。このことは確かであり、もう雪とのつながりはない。しかし、いつもと同じ風景、音、風が続くこの道を歩いていると、そういうことは何もなかった、もしくは夢の類であり、雪は今日も地元で元気にやっている、そういう風に思えてくる。
歩く歩調は変わることなく、雨の中を進み、大学の高いビルが見えてきた。枝木に装飾された灰色のビルだが、長年放置されたつる植物によって巻き付かれた大樹のようで、縛られたその姿に美的な何かを感じることはなかった。一つ、あるとすれば、枝木の間を縫って降ってくる雨粒が美的なものを纏っていた。それはおおよそ、水中花に似ていた。
雨のせいもあってか、気分は大学とは遠くなっていた。門まで来たはいいが、その先に入って六階の教室まで向かう気力はなかった。
門を通り過ぎ、大学の校舎が後ろ目に見えるくらいまで進むと次は急激な欲求に駆られた。どこか、自然に触れたい。こういう道に植えられた草木ではなく、もっと自然体にたっているやつらを感じたくなった。すると都合よく、神社の案内が電信柱に貼られていた。聞いたことのある名前の神社で、行ったこともあった気もするが、こうも都合よく現れた存在をすんなりと受け入れようと行動に移したのは久しぶりのことだった。足は神社に向かう。
敷き詰められた砂利を踏むときゅっという音と共にお互いの距離を詰める。雨に濡れて色が黒くなった砂利の多くは誰にも踏まれることなく一日を終えるのだろう。踏まれた砂利は特別な地位を築くに違いない。
境内には雨のせいか、人が少なかった。そのすべてが傘をさし、雨に濡れた神社の雰囲気を楽しんでいた。半透明な傘越しにみる風景もまた格別だろう。夏も終わり、木々には葉はついていないが、ところどころ赤や黄色の紅葉が見え始めていた。まっすぐ伸びる石の道の端を歩いていると、足元の石の色が変わった。少し黒かった石の道の色が少し薄まったのだ。何が起こったかと上を見上げると、大層立派な木があった。その木には名前はないようで、周辺を見渡してもそれらしき看板などはなかった。名無しの大樹に阻まれた雨粒たちは、一切地面に到達することなく、葉と葉に吸い付いている。恭介は舗装された石の道を外れ、土丸出しの木の根元に足を入れた。その瞬間の生命力の溢れる脈打ちを表現する形容詞を恭介は持っていない。体中の細胞が歓喜の流れに乗り、全身をめぐるのがわかる。大樹からあふれ出したものなのだろう。太くて立派だった。その姿が恭介を形容する、細くてひょろとしているというものと正反対なもので、ここまで真逆な存在を嫌うことは、おそらく人間にはできないだろう。違っていても、どこか共通な場所に人は嫌悪を抱くのだ。
つまり、恭介はこの大樹を気に入った。全くの反対で、仮に話でもできれば、噛み合うことなく、ずれ続けるであろうこの存在をひどく気に入った。傘も持っていない今の恭介にはちょうどいい存在でもあった。
根に寄り掛かるように座ったのはすぐのことだった。なんだか雨の音に紛れて小さく、座れと言われたような気がしたのだ。和装の男がこれまた和風の雨傘をさして道を過ぎるのを見ていた。その先には何があるのか。多少の好奇心が生まれたが、それも小さく、まあ、座れと言われ消え去った。寄り掛かった根から伝わる感触は硬いものだが、自然と、体勢が決まった。居心地がいい体制になるように木が案内したような、そんな感じであった。
座って雨を眺めていると、今が仮に冬で、もう少し標高の高い場所であれば、この水は雪になるのだろうと意味のない仮想を繰り広げていた。雪。そう雪だ。降る雪と発音が少し違う彼女の名前。雪はもういない。
では、雨が雪に変わった場所で雪も同じように仮想してみるのはどうか。
言うまでもなく虚無が広がるだけであった。
大樹の葉は、もう夏も過ぎるというのに立派なものであった。雨粒一つ落とさせないその葉の重なりも見事だった。その隙間を縫わずに降り落ちてこない雨粒もまた見事であった。自然現象が協力してこの乾いた地面を作り出している。雨音が大樹の範囲外から聞こえてくるのだが、その音は安物のイヤホンで聞いた重低音のように、微かに、存在がわかる程度にしか聞こえなかった。恭介がすこし心臓の鼓動を早くさせれば、忽ちその音は消えるだろう。ただ、静かに時を過ごしているいまだから聞こえる音であった。