涙をこえて。
僕は、みわちゃんが急に遠くなってしまったような気がした。
佳子「もちろん、みわちゃんだって、
最初は悪気があってそんなことをしたんじゃないと思うよ」
僕 「そうなの?」
佳子「うん、だって、もう二度と結婚で失敗したくないから、
財産的にも、性格的にも間違いのない人にしたいって言うのは、
女だったら、やっぱり考えるのよね。
まして、みわちゃんの家は不動産屋さんだから、土地の値段によって
不安定になることがあるわけでしょ。
そしたら、財産のない人よりある人の方がいいじゃない」
そういうもんなのか。
佳子「でもね、みわちゃんはワンコちゃんと付き合い始めてしばらくしたら、
ちょっおかしくなって、
財産の話ばかり、あたしにしてくるようになったのよね」
僕 「え、なんで」
佳子「あたしに調べてほしかったんでしょ。
もらえる財産規模がどれくらいとか」
僕 「でも、佳子さん、そんなことできるの?」
佳子「簡単よ。だって大観光は、
坂の上テレビのスポンサーをかなりやってるから、
いつもうちは坂の上テレビの役員さんと交流があってね。
みわちゃんも、あたしの家が大観光だって誰かに聞いたみたいで知ってて、
それで何か情報がないかって聞いてくるようになったの」
みわちゃん、佳子さんにそんなことしてたんだ。
僕 「で、佳子さんはどうしたの?」
佳子「もちろん、答えなかったわ」
佳子さんは、珍しく視線を鋭くした。
佳子「あたし、誰かの力を借りるのは反対じゃないけど、
その前に、まずワンコちゃんに、自分がどういうつもりでいるのかとか、
つまびらかにすべきじゃないかって、思うの」
「それに、ワンコちゃんが坂の上の社長の息子だってこと、
自分は知っているのに、ワンコちゃんには知らせずにいるわけでしょ。
もちろん、こんな重い話を簡単には説明できないから、
説明しなかったっていうことなのかもしれないけどね」
「でもね、核心部分がズレたままの男女は、絶対そのうち大きくズレて、
決定的にうまくいかなくなるわ。
みわちゃんは、それをズラしたまま、過ごそうとしていたから、
あたし、だんだん許せなくなってきたの。
それに、大事な人に、核心をきちんと打ち明けられないって、
あたし、間違っていると思うの!」
佳子さんの口調は、熱を帯びた。
僕 「そ、それで」
佳子「もうこれは、あたしがワンコちゃんにほんとのことを言ってあげなきゃ、って
去年ぐらいから思っていたのよね。
でも、あたしもやっぱりみわちゃんに遠慮があって、なかなか踏み切れなかったの。
そしたら、ことし、偶然、ワンコちゃんの手帳をバスで拾ったの。
ああ、これで、始まったなって、思って。
でも、最初から、みわちゃんに邪魔されたら困るから、
みわちゃんがヨガの新年会に行ってて確実に家にいない日に、
あたし、新年会を早めに失礼してワンコちゃんに電話したのね。」
そんな始まりだったんですか。
最初の第一声の電話は、みわちゃんがいないのを見計らってかけてきたんですか。
ものすごい話だ。
僕 「ええ、でもそしたら、なんであんなにまだるっこしい展開にしたの?
最初から、言ってくれればよかったのに」
佳子「最初から言うのは、さすがにためらわれたのよ。
だって、あたしとワンコちゃん、23年も離れていたじゃない。
いきなりすごい話をしても、うまくいかないって思ったから、
だから、場面を作って作って、少しずつ少しずつ近づいて、
だんだん違和感がなくなるようにしたかったの」
僕 「え、それでロールプレイングゲームみたいなことになったの?」
佳子「そう。もちろん、何か危ないことになったら、すぐやめて
全部お話しするつもりだったけどね。
幸い、昨日までは危ない展開にならなかったから、そのままにしてたの」
僕 「え、じゃあ、みわちゃんのお父さんの会社が危ないとわかったのは、いつ?」
佳子「危ないとわかったのは、もうだいぶ前。
でも、危ないということが世の中に出るとわかったのは、昨日の朝よ」
僕 「え、昨日の朝?」
佳子「そう。朝ごはんを食べ終わったところで、仲居さんから耳打ちが入ったの。
サンガの件は、明日には新聞に出ますって」
そういえば、確かに、昨日朝食を食べ終え、スリッパを履こうとしたところで、
仲居さんが佳子さんに寄り添っていたな。
あれは、吐き気に配慮して、じゃなくて、
佳子さんに情報を突っ込むため、だったのか。
スパイみたいだな、大観光。さすが、大観光。
そして情報が入った佳子さんは、その後すぐに、僕に解散を命じた。
サンガが危ない話が世の中に出るんだから、みわちゃんから何か話があるはず。
早く帰って、まずはみわちゃんに会ってきなさい。そういう意味だったのか。
僕は、佳子さんが僕が思いも寄らない視点から
僕のことを気遣ってくれていたことを知り、
驚くと同時に、深い感謝を覚えた。
僕 「そうだったんだ」
佳子「そう。でも、みわちゃんからはきょうに至るまで、ワンコちゃんに
自分が本当に考えていることを話したという報告はなかったし、
このままワンコちゃんがみわちゃんに押し切られたら、
ワンコちゃんが本当に不憫だと思うの」
「だから、今日、ついに直接、手を出しました」
手を出す。本来であれば、やましいことを表す言葉だが、
いま、佳子さんが言わんとしていることは、もちろんそんなことではなくて、
僕のために、ついにみわちゃんとの間に介入してくれた、
ということがよくわかった。
僕 「いや、ほんとにびっくりだよ」
佳子「ごめんね。本来であれば、あたしなんかが話すことじゃないけど」
僕 「ううん。教えてくれて、本当にありがとう」
「今、ショックだけど、いつかは知らないといけないことだったと思うし」
佳子「うん」
僕 「じゃあ、これからみわちゃんに話、聞いてくる」
佳子「うん」
「がんばって」
昨日も佳子さんは別れ際に「がんばって」と言ってくれた。
僕はそのとき、漠然と
「仕事をがんばって」くらいのエールだったと思っていたが、
それはまったく違って、
近いうちにこういう展開になることを察知してのエールだったのだろう。
そして、それは実際にそうなった。
きょうは、明確に「みわちゃんとの話、がんばって」というエールだ。
僕はもう一度「うん」と答えて、立ち上がり、ホテルの玄関に向かった。
玄関にはすでに、ホテルのワンボックスカーが用意されていた。
これも、佳子さんが用意してくれたものだろう。
僕 「また車を用意してくれたの?ありがとう」
佳子「急ぐでしょ」
僕 「うん」
佳子「がんばって」
僕 「ありがとう、本当に、ありがとう」
僕は、佳子さんに頭を下げると、車に乗り込ませてもらった。
乗り込むと、すぐに発車した。
「ありがとー」