涙をこえて。
辺りは、もう薄暗かった。
僕は、見送ってくれる佳子さんの顔を、見えなくなるまで、見つめていた。
車の中で、僕はふいに涙をこぼしてしまった。
あまりにも、知らないことばかりで、僕は、打ちのめされてばっかりだ。
知らなかった事実の大きさと重さにただぼう然とすると同時に、
今までの自分は何だったのだろうという思いがあふれ、涙を流してしまった。
「石井様」
ふと、運転手の男性の声がした。聞き覚えのある声だった。
「湯守でございます」
ああ、あの、おととい、露天風呂に来てくれた湯守さんだ。運転手も兼ねているのか。
「騒動に巻き込まれていると、伺っております」
もう、湯守さんも知っているのか。
ふと、湯守さんがおととい露天風呂で言っていたことを思い出した。
僕 「いえ、あの、先日湯守さんがおっしゃっていたとおり、
佳子さん、ほんとに見かけによらず、すごい人だなって、思いました」
湯守「そうでございますね。どうしたら、あのようにいろいろできるのか、
いつも感服しております」
僕 「そうなんですか」
湯守「はい。今の石井様の件では特に、気持ちが入られているようです。
これは、大事な物語だから、と私も伺っております」
僕 「も、物語?」
湯守「はい。私どもも、物語と言うのが、
いったい何を指しているのかはわかりませんが、
石井様の件で、はっきり、物語とおっしゃっていました」
僕 「そうなんですか」
湯守「はい。ただ、ひとつわかっていることがございます」
僕 「何ですか?」
湯守「涙をこえて行け、ということです」
僕 「涙をこえて行け?」
湯守「はい。ご存知かと思いますが、お嬢様は、先代、つまりお嬢様のお父様から
常々『涙をこえて』を聞かされてお育ちになりました。
そして、何か難しいことがあったときは、いつも、
『歌と同じだ。涙をこえて行け。』と言われていたそうでございます。
今回も、先ほどぽつりと『涙をこえて行け、ね』とおっしゃっていました」
そうなのか。「涙をこえて行け」か。
僕は、こぼした涙をふいた。
僕 「わかりました。がんばります」
僕が湯守さんにそう伝えると、湯守さんはゆっくりとうなずいた。
湯守「ご武運、お祈りしております」
湯守さんは、そう言って、僕を励ましてくれた。
湯守さんの車は飛ぶように走り、あっという間に箱根湯本の駅に着いた。
あたりはもうかなり暗かった。
僕は湯守さんに丁重に礼を言うと、
急いで切符を買って、ロマンスカー乗り場に向かった。
見ると、待っていたロマンスカーは、
数あるロマンスカーの中で、一番古いタイプのロマンスカーだった。
まだこのロマンスカー、走っていたのか。僕は少し驚いた。
僕が小学2年生のとき母親と一緒に乗ったあの思い出のロマンスカーは、
この型だ。
僕は箱根によく行くが、
このタイプのロマンスカーはもうあまり数がないからか、
大人になってからは乗ったことがなかった。
本当に久しぶりだ。
車内に入ると、車端の壁に
「ブルーリボン賞 1981 鉄道友の会」
という丸いエンブレムが飾ってあった。
1981年は、昭和56年。まさに昭和のロマンスカーだ。
平成も終わりが近づいてきているのに、昭和のロマンスカーに乗れる。
僕はなつかしさを胸に、着席した。
ああ、子供のときと同じ風景だ。
もちろん、当時とは違い、車体は汚れ、うやうやしいお姉さんが
よそで淹れたオレンジジュースを持ってきてくれることもない。
しかし、昭和の雰囲気を味わうには十分だった。
僕はその雰囲気を味わいながら、いろいろなことを思い出していた。
僕の母親が、祖母に常にきつい負い目を感じているように見えたのは、
子供が産めずに、僕を養子に迎え入れたからに、違いない。
ようやく母と祖母の関係のなぞが解けた。
母が祖母のご機嫌を伺っていたのも、時に悔し涙を流していたのも、
きっとそこにつながっているのだろう。
ひょっとしたら、母が若くして、祖母よりもはるか先に突然亡くなったことと、
身ごもれなかったことに、何か関係はあるのか。これは、わからない。
そういえば、佳子さんに母親の話をしたときに
「お母さん、きっと、すごく苦労してたんだと思うよ。
生きてたら、よかったのにね。」
と言って、目に涙を浮かべていたのは、
全体像を知っている佳子さんが、
養子を迎え入れた僕の母の立場を慮っていたからだろう。
ここで僕はふと気づいた。
僕の本当の母親って、誰なんだろう。
坂の上テレビの、あの禿げ上がった頭の社長が実の父だというのも
なんだかしっくりこないが、
社長の奥さん、つまり僕の母親であろう人というのは、見たことがない。
ぜひ一度、産みの母に会ってみたい。僕のお母さんは、どこにいるのか?
ひょっとして、佳子さんと同じように、突然どこからか復活してくれるのか?
また、僕は地方のテレビ局を渡り歩いて予報士をしていたけれど、
名古屋のしゃちほこテレビにいたとき、坂の上テレビの人から
「名古屋での活躍見てますよ。来ませんか」
と誘われたのが、東京に帰るきっかけだった。
ひょっとしたら、実の父か母か兄か、誰かが僕を東京に呼んでくれたのか。
僕は高校生のときに母親を、
しゃちほこテレビにいるときに父親を亡くして、一人になった。
養父母が両方ともいなくなったというタイミングで、
僕に声をかけてきたのかもしれない。
次に、みわちゃんの件か。
みわちゃんは、本当に、
佳子さんが言っていたようなことを考えていたのか。
うそであってほしい。
でも、どうやら佳子さんの話にうそはない、という感じが僕にはしていた。
だとすると、みわちゃんは、
僕の実の父、つまり坂の上テレビの社長の財産目当てに
僕に近づいてきたということか。
確かに、みわちゃんとの出会いはやや不自然だった。
受付からえらいお客さんを現場に案内してきたみわちゃんが
いっぱい僕に視線をくれたのが始まりだったが、
別に僕になんか挨拶しなくていいのに、
わざわざLINEのIDを手書きした名刺をくれて、
連絡してほしい感じ満載だった。
初対面の男性に、
いきなりLINEのIDを書いた名刺を渡したりする子もいるんだ、くらいに
思っていたけど、
それくらい無理して近づきたかったということか。
無理はもうひとつあって、IDをもらった翌日、僕が結構遅い時間に、
坂の上テレビの玄関を出ようとしたところ、パッとみわちゃんが現われて、
「あら、偶然ですね」と言われて、しばらく一緒に歩いて、
ぜひLINEを送ってほしいと言われた。
僕はあまりLINEに慣れていなかったけど、
みわちゃんが絶対楽しいから、と言って勧めてくれたのでシブシブ始めた。
そこから、みわちゃんに会う約束をした。
会ってからもみわちゃんは積極的で、すべてみわちゃんが先攻で、
僕たちはあっという間につきあうことになった。
同棲も、彼女が転がり込んできたようなものだ。
そうした節目のたびに僕は
「ああ、みわちゃんって、変わってるなあ」