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涙をこえて。

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佳子「これも、ワンコちゃんと一緒だね」


吐き気はよくないことだけど、
僕は佳子さんが「これも一緒だね」と言ってくれたのがうれしかった。


ふと、佳子さんを見た。
よく見たら、僕は佳子さんの肩を抱いていた。


僕はその状況にギョッとした。こんなこと、してはいけない。
僕はあわてて佳子さんから離れた。


手には、佳子さんの肩のふわりとした筋肉の感触が残った。
女の子って、柔らかい筋肉をしているけど、
佳子さんは特に柔らかいような気がした。
と同時に、僕は神様に触れてしまったような気がして、いけないと思った。


そして、ふと鼻をひくつかせた。

これまで僕が知らなかった、ものすごくいい匂いがした。

高校生のときに楽しみだった、予備校の隣の席に座ってくれた時の匂いとは、違う。
そして、代々木のバーガーで貸してくれたハンカチの匂いとも、違う。
初めて僕が感じる、新たな匂いだった。

この新たな匂いは、僕の心と本能の芯に届いてしまった。
この匂いは、神様の匂いなのか。
この匂いは、僕が佳子さんのエリアに踏み込んだことを知らせるアラームなのか。
この匂いは、不用意に嗅いではいけないものなのではないか。

もし嗅いだままにしたら、いろいろな意味でまずい。僕はおろおろした。


佳子「どうしたの」
僕 「あの、あの、あの、失礼しました」
佳子「ほらまた敬語」

佳子さんは、えづいた後でも突っ込みは健在だった。
この人の切り換えの速さは漫画のようだ。

僕 「ああ、ごめん」
佳子「うふ」

佳子さんは謝っている僕を、ペットを見つめるような温かいまなざしで見つめた。

そうか。僕は神様・佳子さんのペット、つまり狛犬のようなものか。
だからワンコと名づけたのか。僕はまた少し合点がいった。

僕 「あの、大丈夫」
佳子「大丈夫。ありがとう」

佳子さんの目にはまだ涙がにじんでいたものの、笑顔が少し戻っていた。
この顔、かわいいなあ。少し、見つめてしまった。


あ、また
「こらっ、女の子のこと、ジロジロ見ちゃいけないんだよっ」が来る、
と僕は思った。



ところが、違った。


佳子「あ、見ちゃダメ」


そう言うと、佳子さんはパッと両手で顔を隠し、少し顔をそむけた。


僕 「え、なんで?」
予期しない台詞がきたので、僕は少し戸惑った。


佳子「だって、すっぴんなんだもん」


ええ。

まったく気づきませんでした。
どのへんがすっぴんなのですか。
というか、いつからすっぴんなんですか。

3つのうちどれを言おうか、迷った。その末に聞いた。


僕 「いつからすっぴんなの?」
佳子「寝る前から」
僕 「そうなの?全然気づかなかったよ」
佳子「えー、すっぴんって全然違うのよ」
僕 「どこが」
佳子「…まつ毛をとったの」


そう?
僕はまったくわからなかった。
さっき涙がにじんだ目を見たけど、全然気づかなかった。

そんなにまつ毛、重要なんですか。
僕は聞こうとと思ったが、重要なんだからこだわっているわけで
あまり聞いても意味がないと思った。そこで、話題を変えた。


僕 「さっきみたいに、吐き気がすることって、よく、あるの?」
佳子「あるの」
僕 「たまに、突然、くるよね」
佳子「そう、私も」
僕 「5分か、かかると10分くらいは続くよね」
佳子「うん。悩みをこなす時間と同じくらいかな」


僕はまた小さな発見をした。
僕も、嘆いたり悩んだりするのは5分まで、と決めているけど、
たまに10分以上かかることがある。

この吐き気・嘆き・悩みスパンも、佳子さんと僕は一緒なのか。
僕はまた少し、うれしかった。


僕 「佳子さんも、悩むの?」
佳子「そりゃ、悩むわよ」
僕 「こんな、頭いいのに?」
佳子「頭なんてよくないよ。記憶のメモリーがちょっと広いだけ」
僕 「ちょっとどころじゃあ、ないよ」
佳子「そんな差はないわよ」


佳子さんは、謙遜していると思った。

そういえば、昔、佳子さんが予備校のチューターだったときに、
あまりにかわいいので予備校のパンフレットで、モデルになっていたな。
もう大学生なのに、高校生の生徒役で。
予備校は佳子さんを何年も使い回した。

その当時の佳子さんと、今の佳子さんは、あまり変わらない。
それはすごいことなんですよ。
僕はよほど佳子さんをほめたかったが、また謙遜するだろうと思ってやめた。


僕 「じゃあ、どんな悩みなの?」
佳子「ええっと」
僕 「うん」
佳子「きょうは、ワンコちゃんに吐くところ見られないようにっていう悩みかな」
僕 「そうなの」
佳子「うん。だって、ワンコちゃんも吐き気あるって知らなかったから」
僕 「そう」
佳子「見せたくないと思ったら、逆にどんどん追い込まれるのよね」
僕 「だよね」
佳子「不思議よね。人間って。見せたくないものは見せることになってしまって、
   本当に見せたいものが、見せられないんだよね」
僕 「そうそう。それを皮肉っていうよね」


僕は、佳子さんより先に、何としても「皮肉」という言葉を言いたかった。


昔、佳子さんが僕に
「早稲田の現代文ってね、キーワードがあるんだよ。
皮肉とか、矛盾とか、出てきたら、絶対チェックだからね」
と教えてくれたことを、今ここで実践したかったからだ。


すると手で顔を隠していた佳子さんは、パッと手を放して、僕の方を向いてくれた。


佳子「皮肉。よく出てきました。よくできたね。よく覚えていたね。
   教えた甲斐、あったわあ」

佳子さんはすっぴんを隠さずに、笑ってくれた。

一応確認したが、すっぴんかどうかなんて、まったく、わからない。
このまま外に出ても、おかしくない。そう思った僕は、思わず言ってしまった。

僕 「あの、やっぱり、すっぴんだって、わかんないけど」
佳子「そおお?大違いよ」
僕 「どこが?」
佳子「なんでまた言わせるの?まつ毛が短いの!」

佳子さんは少しいらだったが、僕は落ち着いていた。
それは、違いが全く分からなかったからで、自分の見方が違っているとも思えなかった。

僕 「あのう、佳子さん」
佳子「なあに」
僕 「佳子さん、気にしすぎじゃないかなあ」
佳子「そお?」
僕 「だって、本当にわかんないもん」
佳子「そんなことないよ」
僕 「いや、わかんない。100人いたら、99人わかんない」
佳子「そうかしら」
僕 「そうだよ」
佳子「うーん」
僕 「だって、寝癖とかもそうじゃん。本人が気にしすぎるくらい気にしても、
   他人は誰も気にしない。本当に、誰も気にしない。
   でも、その数センチにこだわって、みんな無駄な時間を過ごしているんだよね。
   細かな違いは、他人が気にしないんだったらいいんじゃないかなあ」
佳子「そっかあ。でもあたし、目元、ほかの人より弱いからなあ」
僕 「そんな、他人と比べてもあんまり意味ないよ」
  「比べると、まず間違いなく、自分より他人の方が、すばらしく見えるじゃん」
佳子「うん」
僕 「でも、自分と他人の間に、本当にどれだけ差があるかは、
   実は自分ではわかっていないことが多いんだよね。
作品名:涙をこえて。 作家名:石井寿