涙をこえて。
佳子「そうね。ああ、彼、テレビで仕事しているから番組にも詳しいのよ」
佳子さんが少し勝手なことを言った。
あの、僕、天気予報をやるために坂の上にいるだけで、番組には詳しくありません。
番組のことは編成の人じゃないとわからないので。
僕はそう言おうとした。すると、おじさんが先に口を開いた。
じじ「そうか。そういえば去年の紅白のことじゃが」
あの、それ、他局なんですけど。
でも、他局でありながら僕が唯一詳しい番組も紅白なので、黙って話を聞くことにした。
じじ「なんであんなに、歌が始まる前にいろいろ説明するのかのう。
歌にたどり着くまでが長いぞ」
僕 「あ、それは、今の時代が、説明しないといけない時代だからだと思います」
じじ「なんでそんなふうになったんじゃろうな」
僕 「昔だったら、説明しなくても、みんな知っている歌というのがたくさんありました。
でも、今は若い人しか知らない、年寄りの人しか知らない歌が多くなっています。
それに、意味とか背景とかが複雑になってきているから、
説明しないとわからないし、説明する責任ということも言われています。
だから、説明するんじゃないかと思います」
じじ「面倒くさい世の中じゃのお」
僕 「はい」
じじ「そもそも説明しなくてもすごくはやる歌がありゃいいんじゃないか。
ワシが若かったころは説明しなくても、
イントロ聞いただけでみんなわーっとなる歌がいっぱいあったぞ。
なんでそういう歌がないんじゃ」
僕 「そうですね。おそらくですが」
僕は普段思っていることを話し始めた。
僕 「昔は歌くらいしか公約数がなかったんだと思います。
でも、インターネットが出てきて、
歌のほかにも公約数がたくさん見つかるようになりました。
それに、歌より公約数の小さいものがたくさん見つけられるようになって、
みんなそれぞれ、興味が違う方向に向くようになったんだと思います」
じじ「うむ、ネットの存在は、確かにあるよな」
僕 「はい。あと、やっぱり不景気で、リストラが進んだのも大きいと思います。
僕の会社でも、徹底的に無駄をなくす、というのをだいぶ前からやっていますけど、
歌も同じで無駄だと思った曲は経費の都合で作れなくなっているのだと思います」
「でも、その無駄の中に、
本当は思いもかけない名作があったりするのかもしれません。
僕が生まれた年の『およげ!たいやきくん』も最初は売れないと思って
歌手が歩合の印税を選ばなかったくらいなのに、あれだけヒットしたわけで、
何が売れるかなんて、やってみないとわかんないんです。
本当に天気予報と同じで、何が起こるかわからない。
「でも、その何が起こるかわからない要素をなくしてしまったから、
思いがけない大ヒットが生まれなくなったような気がします」
じじ「ふむ、なるほどなあ」
僕は、普段思っていることを、もうひとつ言うことにした。
僕 「あとは、壁ができたからだと思います」
じじ「壁?」
僕 「はい。僕が仕事を始めたころは、テレビ局にもいろいろな人が入り込んでいて、
雑多な雰囲気で、誰が誰だかわかんないような会社の中でしたけど、
その知らぬ同士が話をしてアイデアが生まれ、
何か面白いものができていくという感じがありました。
まるで『チャンチキおけさ』の世界ですね。
でも、アメリカで同時多発テロが起きたり、
個人情報を守らないといけなくなったりしたころから、
テレビ局の玄関にもゲートができて、警備員が常に見張るようになりました。
ネットが発達して、情報がひとたびもれると、
誰でも発信できるようになっちゃったので、情報もれを防ぐためには、
こうしないといけないのもわかりますが、
これで入り口に壁ができて、人と人の交流が少なくなったんだと思います」
じじ「うむ」
僕 「その影響かどうかわかりませんが、そのころから、
みんな自分の周りにも壁を作るようになって、飲み会とかも少なくなりました。
別に飲み会に行かなくても、
ネットとスマホがあればさみしくないという人が増えたのもあるんだと思います。
みんなに壁があるので、人と人が直接ぶつかって化学反応することが、
昔より少なくなりました。
だから、思いがけないアイデアも少なくなって、
思いがけない大ヒットも少なくなったような気がします」
じじ「ふーん」
じじは、僕の長い長い、込み入った説明を、うなずきながら聞いてくれた。
じじ「石井君は、天気の分析だけじゃなくて、世の中の分析もしてるんじゃな」
僕 「いえ、そんな、分析というほどではありません。
ふだん思っていることをつらつら言っただけです」
じじ「いやいや。思っていることを他人に言う、
しかも、わかるように言うというのは大事なことじゃ。
最近は、思っていることを人前で言ったり、
書いたりすることができるやつがどんどん少なくなってきておる。
何かあれば親しい仲間だけにスマホで言っているようじゃという話が、
うちの会社でもあがっとる。
仲間内だけに言っているうちはまだまだなのに、
それで自分は一人前じゃと思っておるから、世の中おかしいのよ」
僕 「そうなんですか」
じじ「そうじゃ。それに、人間は、出会って、語り合って、
触れ合うという段階を踏んで仲を深めてきたはずなんじゃが、
男同士でも、女同士でも、そして男女間でも、この要素が
この十数年で急激に失われておる」
僕 「ああ、ソーシャルネットワークサービスができて、
ネットで簡単にコミュニケーションができるようになりましたからね」
じじ「それで、人間関係ができていると考えておるから、甘いのよ!」
おじさんは、いつの間にか追加されていたコップ酒を、また、がぶりとあおった。
じじ「道具としてソーシャルは便利じゃが、
それでなんでもかんでも済むものではない。
本当に大事な話をひざ詰めでする努力が足りない人間が、
今の時代、多すぎるんじゃないか?
この峠の上の宿っていう小さな共同体ですらも、
そういうことを感じるのじゃぞ。
若者がわんさかいる本社にいると、わしは頭がおかしくなってしまうくらい、
人と人のつながりに実体がなくて、悲しいんじゃ。
わしが本社にあんまり寄り付きくないのもそのせいでのう。
ここにいた方がまだましなんじゃ」
おじさんの吐露した思いは、僕も普段からなんとなく感じているものだった。
僕が深くうなずくと、おじさんはニカッと笑った。
じじ「石井君。君はなかなか見込みがあるかもしれんな」
僕 「いえ、そんな」
じじ「こんな年寄りの戯言を、うまく引き出す奴に久しぶりに会ったわ。
佳っちゃん、さすがいい若者を見つけてきたのう」
佳子「えへ、そんな」
見ると、佳子さんは、いつの間にかとろろ飯を3杯も平らげていた。