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炬善(ごぜん)
炬善(ごぜん)
novelistID. 41661
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黄泉明りの落し子 狩人と少年

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 それから、彼らの会話が長続きすることはなかった。
 光は.夕刻の色を帯びつつあった。葉をかきわけ、大樹の根や土を踏みしめる。その音ばかりが、ひんやりした空気の中、絶え間なかった。

「……ピクシ! ……おい! ピクシであろう?」
 唐突に、静寂が破られた。そう遠くない場所からの、人の声。
 勇ましく、強い精神力に満ちた声だ。

「あいつめ……」
 声の方を振り向いて、ピクシは呟いた。
「誰……なの? だんな」
「くされ縁の友人だ」

 間も無く、声の主の全身が、木々の群れから姿を見せた。
 風変わりな出で立ち。褐色の肌。
 ピクシを超える長身に、彫りが深く、凛々しい顔立ちの男性だった。

「ピクシ! なんたる奇遇か! 三年ぶりではないか!」
 爽やかな笑みを浮かべ、歩み寄る。
 赤、茶、水色を貴重とした、身軽な民族衣装。手には長槍。
 後ろに結った黒髪が、進むたびにゆれた。
 その背に皮製の鞄を背負い、手には長槍を握っていた。

 主の側に、忙しなく鼻をひくつかせた、大きな猟犬がやってきた。整った黒い毛並みが、頑強な四肢の動きにあわせて脈打っていた。
 ミタリは大きく目を見開いて、この風変わりな一人と一匹を何度も見比べた。

「ブラッツェ」ピクシは口元を緩め、彼に歩み寄る。「元気そうで何よりだ」
 だが、その目に喜びは無かった。

「そなたもな、ピクシ」若き狩人、ブラッツェは答える。「まさかこんな所で会うとは思わなんだ」
「まあな。しかしまさか、君も同じ事を考えていたとはね」
「ああ。――今回の獲物も、私が貰い受けるぞ。古き友よ」

 一息ついた後、ピクシの青色の目を見据えた。
「ウワサによれば、得体の知れない人食いのケモノらしいではないか。だが、誇り高き我が先祖たちは、太古の王たる剣歯虎たちと戦い、勝利を収めてきたのだ。その魂が、末裔たるこの私の体に生きている……この槍に誓おう。得体の知れない野獣ごときに、私は負けはしないさ」

「結構なことだ……」棒読みの言葉。「で、女はどうするんだ? ケモノの主とかいう。噂によれば、大層そそられる小娘らしいが。そいつも太古の血を引いてるかもしれないぜ」

「興味はない」
 快活に言い切った彼の元へ、軽快に尾を振る猟犬が寄り添った。木漏れ日に、その黒い毛皮が艶やかに煌いている。
「私が欲しいのは、獲物の首と、名誉だけだ。そもそも、ケモノを従える女性という話自体、にわかには信じがたいが……追々考えるとしよう」
「そうかい」

「して、ピクシよ」
 長身の愛犬を撫でてやりながら、彼は訊ね返した。
「かくいうそなたはどうする? その女を」

「僕も、微塵も興味ないね」
 ピクシは答える。
「僕は金さえ手に入ればいい。僕が欲しいのは、金だけだ」
 その青い目に、光はなかった。

 ブラッツェの眼に疑念が宿った。微かに眉が寄せられた。
「……そなた、変わったか?」
「別に」
 ピクシはさらりと答えた。

 数秒間、沈黙が下りた。
「そうか……アボロを暇させてしまった。健闘を祈るぞ、友よ」
「ああ」
 背を向けたブラッツェは、愛犬を従え、木々の奥へと去って行った。

「気障野郎め」
 葉と枝が擦れあう音が遠く去った時、彼は誰にも聞こえない声で毒づいていた。
「だが、先を越されかねない。行くぞ、ミタリ」

 返事は返ってこなかった。あの愚直さの、気配すらなかった。

「おい」
 彼は背後を振り返った。誰もいなかった。
 最初から何もなかったかのようだった。

「ミタリ?」
 最初は、落ち着きを払って辺りを見渡していた。やがて、その動きは素早さを増した。今まで通ってきた道を、早足で戻り始めた

「ミタリ!」より大きく叫ぶ。だが、微かな木霊すら帰ってはこない。
「おい! ミタリ!」怒気を孕んだ声で呼びかける。その声は、木々を漂う空気に飲み込まれて消えた。

 無表情な沈黙が、再び、彼の周りに舞い降りた。
「――あの使用人め……気でも狂ったか?」
 舌打ちして、彼は元の道へと戻って行った。
 そして彼は進み続けた。草葉を掻き分け、時に叩きつけながら、黙々と、一人で歩き続けた。

 いつしかその顔から、怒りは消え失せていた。ひどく青ざめていた。