幽閉
幽閉
ミャスコフスキー 沈黙
https://www.youtube.com/watch?v=mWj997ugZPw&t=216s
屈強な衛兵たちに力任せに投げ込まれたのは、冷たくカビ臭い真っ暗な牢獄だった。
床には石が敷き詰めてあるらしく、ゴツゴツとした感触が生傷に響いた。
痛む箇所を庇おうと背を丸めこむと、後ろで重そうな金属の扉が悲鳴を上げた。
そこからは完全に光というものが失われた。完全なる闇だ。
だが、この石壁の向こうの狂気の拷問は続いているらしく、阿鼻叫喚の悲鳴が伝わってくる。おそらくは数日間に及んだのであろう拷問に耐え忍び、こうして息をしているのが自分でさえ信じがたい。あらゆる筋肉を捻じ曲げられ、あらゆる関節を叩き潰され、煮え湯を飲まされ内臓は溶けた。だがいま、この冷たく凍えるような冷え冷えとした闇に包まれていることに刹那的な幸福を覚えた。発熱した負傷した箇所の痛みを少しでも取り去ってくれると思えたからだ。このまま体の傷が癒えてくれれば、と願った。するとそれまでの気力は衰え、身体が一気に重くなり睡魔に襲われた。どうかこのまま、しばらく休ませてもらえまいか、と心の内のなにものかに願い、しかし願いを終えるまで意識はもたなかった。そのまま身体を横たえたまま眠ってしまった。
瞼が開いていたのかどうかはわからない。閉じていたのかさえわからない。とにかく次の記憶は、突然背中に激痛が走り、石の床の上を転げまわったことだ。その際に恐らくは煉瓦で積まれた壁に後頭部を激突させ、三半規管をやられ何処が上だか下だかわからなくなった。床の上で転げまわっているのにまるで宙に浮いているような、すると人間は気分が悪くなるもので重力を感じない内臓は異常な動きを始め、胃液のようなものを吐いた。
私の呻き声は、煉瓦を積んだ壁と石を敷き詰めた床に響いた。するとその反響音を聞いてこの牢獄が異常に広い空間であることが分かった。今度は高い声をあげてみる。するとやはり高い声が響き渡った。となれば、おそらくここは城のいちばん外に立つあの一番高い悪名高き牢獄塔だというのか。であるならばこの窓ひとつないこの空間の高さは百尺に及ぶのだろう。疼く傷と睡魔とが鬩ぎあい朦朧とした意識の中でざらつく金属音が響き、まばゆい光が刺しこんだ。アルミの皿には具の殆ど無い冷めたスープとひとかけらのパン。そしてスプーンがまるで投げ込まれるような威圧的な調子で、小窓から差し入れられ、再び軋んだ音を立てて閉められる。手探りで皿を探し、糧を得る。味など何もしない。
だがまず私の瞼が開いていたことが分かったこと。そして未だ空腹を感じることができたことが分かったこと。このことに喜びを感じた。だが、その後に訪れた壮絶な空腹感に苛まされたが。それから、一日に一度、恐らくは決まった時間に食事とは言い難いが唯一の糧が配給された。いちどはアルミの皿を置く手にしがみついてみたが、屈強な衛氏が入ってきて二人組で酷く殴られ続けたので、抵抗はしなくなった。それからの私は暗闇の中で空腹を募らせるのを恐れて、なにもせず声も上げずに、恐らく大半の時間を睡眠に使っていたように思う。
するとその都度、麗しい妃の面影が頭を巡り、その安否を気遣い、悪夢にうなされて
目覚めた。今は、どうしていることやら。うまく逃げきってくれれば良いのだが。
あの腹黒い執政官達は、この城のどこかで汚らしい笑みを浮かべているのだろう。
あの日、冷え切ったレンガ積みの壁が何度も大きな音を伝えた。いつもより大きな音だった。まるでこの暗黒の塔がひっくり返りそうな地響きが何度も起こった。轟音の中、何度か“革命だ!”という声が響いた気がした。とうとう虐げられた民衆の怒りが圧政に対抗したのか!私は咄嗟に暗闇の中、手探りで鋼鉄の扉の前に迎い、私はここだ!出してくれ!
大声で叫んだ!持てる力いっぱい鋼の扉を叩いた!何度も!何度も!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
だが誰も気づいてはくれなかったようだ・・。
私は徒労感に打ちひしがれ、呪いの言葉を吐いた。
何度も繰り返し放った怨み辛みの言葉は暗黒の塔の中に響き渡った。
その日から、食事の配給は無くなった。
物音ひとつしなくなったから_。恐らくはこの城は打ち捨てられてしまったのだろう。
私はこの暗黒の塔の中で忘れられてしまったのだ。
だが止め処もなく涙が溢れてくるのを感じた。
このままこの暗黒の暗闇の中でこの身が朽ち果てるまで。
その絶望感に四肢を力無く、だらしなく伸ばし切った。
すると足元に金物の音がした。あぁ、アルミ皿とスプーンだな。
口寂しさから、空のスプーンを頬ばって見るが味がするわけでもなく。
しかしそこで初めて思いついたのだ。
この暗い空間からの脱獄を。
この塔を登るのは恐らくは不可能。高いうえに内部からは手前側に反っている。
スプーンの柄で煉瓦と煉瓦の間を指先の蝕感を元になぞる。
すると意外なことに水分を吸った目地はボロボロと剥がれ落ちるではないか。
さらに年季の入った煉瓦まで腐っているように思えるほどボロボロと崩れた。
となれば、いちばん煉瓦の層が薄いところ・・・鋼鉄の扉のすぐ横に滑るように移動し煉瓦の壁を叩いてみる。びくともしない。寧ろこの辺りが一番強固な部分らしかった。
時間はあった。
永遠ともとれる時間が。
だから壁という壁を叩いてみて、恐らくは鋼の扉の真逆な辺りの壁がいちばん弱そうであることを突き止めた。そこからはスプーンの柄で湿気った煉瓦をゴリゴリと掘り始めた。
眠っているとき以外は、他にすることもないので、煉瓦を掘っていた。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
煉瓦の厚み2個分を掘り終え、その奥の煉瓦を半分ほど掘った時のことだ。
スプーンが折れてしまった。
だがそんなことはもうどうでもいいことだった。
アルミの皿と指で掘るしかないじゃないか。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
そして指先に、ある僅かな蝕感を感じた。
煉瓦がほんの少し奥に動いたのだ。
丁寧に、徐々に力を指先に注いでいくと煉瓦は奥に押すことができた。
煉瓦が落ちた。
そこから一斉に流れ込んでくる空気の御蔭で春の匂いが立ち込めた。
なんと芳しいことか。
私の全身の細胞は久しく忘れていた感情を思い出した。
するといくつかの煉瓦が崩れていき私の頭が出せるほどの穴になった。
夜なのだろう。穴の向こうは塔の中程ではないが闇に包まれていた。
屋根づたいに城壁まで行けそうなことを確認すると、私は穴を広げるべく次々に煉瓦を押し出した。そして、遂に私は自分の胴が抜けられそうな穴を作り、塔から抜け出すことに成功した。
ミャスコフスキー 沈黙
https://www.youtube.com/watch?v=mWj997ugZPw&t=216s
屈強な衛兵たちに力任せに投げ込まれたのは、冷たくカビ臭い真っ暗な牢獄だった。
床には石が敷き詰めてあるらしく、ゴツゴツとした感触が生傷に響いた。
痛む箇所を庇おうと背を丸めこむと、後ろで重そうな金属の扉が悲鳴を上げた。
そこからは完全に光というものが失われた。完全なる闇だ。
だが、この石壁の向こうの狂気の拷問は続いているらしく、阿鼻叫喚の悲鳴が伝わってくる。おそらくは数日間に及んだのであろう拷問に耐え忍び、こうして息をしているのが自分でさえ信じがたい。あらゆる筋肉を捻じ曲げられ、あらゆる関節を叩き潰され、煮え湯を飲まされ内臓は溶けた。だがいま、この冷たく凍えるような冷え冷えとした闇に包まれていることに刹那的な幸福を覚えた。発熱した負傷した箇所の痛みを少しでも取り去ってくれると思えたからだ。このまま体の傷が癒えてくれれば、と願った。するとそれまでの気力は衰え、身体が一気に重くなり睡魔に襲われた。どうかこのまま、しばらく休ませてもらえまいか、と心の内のなにものかに願い、しかし願いを終えるまで意識はもたなかった。そのまま身体を横たえたまま眠ってしまった。
瞼が開いていたのかどうかはわからない。閉じていたのかさえわからない。とにかく次の記憶は、突然背中に激痛が走り、石の床の上を転げまわったことだ。その際に恐らくは煉瓦で積まれた壁に後頭部を激突させ、三半規管をやられ何処が上だか下だかわからなくなった。床の上で転げまわっているのにまるで宙に浮いているような、すると人間は気分が悪くなるもので重力を感じない内臓は異常な動きを始め、胃液のようなものを吐いた。
私の呻き声は、煉瓦を積んだ壁と石を敷き詰めた床に響いた。するとその反響音を聞いてこの牢獄が異常に広い空間であることが分かった。今度は高い声をあげてみる。するとやはり高い声が響き渡った。となれば、おそらくここは城のいちばん外に立つあの一番高い悪名高き牢獄塔だというのか。であるならばこの窓ひとつないこの空間の高さは百尺に及ぶのだろう。疼く傷と睡魔とが鬩ぎあい朦朧とした意識の中でざらつく金属音が響き、まばゆい光が刺しこんだ。アルミの皿には具の殆ど無い冷めたスープとひとかけらのパン。そしてスプーンがまるで投げ込まれるような威圧的な調子で、小窓から差し入れられ、再び軋んだ音を立てて閉められる。手探りで皿を探し、糧を得る。味など何もしない。
だがまず私の瞼が開いていたことが分かったこと。そして未だ空腹を感じることができたことが分かったこと。このことに喜びを感じた。だが、その後に訪れた壮絶な空腹感に苛まされたが。それから、一日に一度、恐らくは決まった時間に食事とは言い難いが唯一の糧が配給された。いちどはアルミの皿を置く手にしがみついてみたが、屈強な衛氏が入ってきて二人組で酷く殴られ続けたので、抵抗はしなくなった。それからの私は暗闇の中で空腹を募らせるのを恐れて、なにもせず声も上げずに、恐らく大半の時間を睡眠に使っていたように思う。
するとその都度、麗しい妃の面影が頭を巡り、その安否を気遣い、悪夢にうなされて
目覚めた。今は、どうしていることやら。うまく逃げきってくれれば良いのだが。
あの腹黒い執政官達は、この城のどこかで汚らしい笑みを浮かべているのだろう。
あの日、冷え切ったレンガ積みの壁が何度も大きな音を伝えた。いつもより大きな音だった。まるでこの暗黒の塔がひっくり返りそうな地響きが何度も起こった。轟音の中、何度か“革命だ!”という声が響いた気がした。とうとう虐げられた民衆の怒りが圧政に対抗したのか!私は咄嗟に暗闇の中、手探りで鋼鉄の扉の前に迎い、私はここだ!出してくれ!
大声で叫んだ!持てる力いっぱい鋼の扉を叩いた!何度も!何度も!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
助けてくれ! 私はここだ! 出してくれ!
だが誰も気づいてはくれなかったようだ・・。
私は徒労感に打ちひしがれ、呪いの言葉を吐いた。
何度も繰り返し放った怨み辛みの言葉は暗黒の塔の中に響き渡った。
その日から、食事の配給は無くなった。
物音ひとつしなくなったから_。恐らくはこの城は打ち捨てられてしまったのだろう。
私はこの暗黒の塔の中で忘れられてしまったのだ。
だが止め処もなく涙が溢れてくるのを感じた。
このままこの暗黒の暗闇の中でこの身が朽ち果てるまで。
その絶望感に四肢を力無く、だらしなく伸ばし切った。
すると足元に金物の音がした。あぁ、アルミ皿とスプーンだな。
口寂しさから、空のスプーンを頬ばって見るが味がするわけでもなく。
しかしそこで初めて思いついたのだ。
この暗い空間からの脱獄を。
この塔を登るのは恐らくは不可能。高いうえに内部からは手前側に反っている。
スプーンの柄で煉瓦と煉瓦の間を指先の蝕感を元になぞる。
すると意外なことに水分を吸った目地はボロボロと剥がれ落ちるではないか。
さらに年季の入った煉瓦まで腐っているように思えるほどボロボロと崩れた。
となれば、いちばん煉瓦の層が薄いところ・・・鋼鉄の扉のすぐ横に滑るように移動し煉瓦の壁を叩いてみる。びくともしない。寧ろこの辺りが一番強固な部分らしかった。
時間はあった。
永遠ともとれる時間が。
だから壁という壁を叩いてみて、恐らくは鋼の扉の真逆な辺りの壁がいちばん弱そうであることを突き止めた。そこからはスプーンの柄で湿気った煉瓦をゴリゴリと掘り始めた。
眠っているとき以外は、他にすることもないので、煉瓦を掘っていた。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
煉瓦の厚み2個分を掘り終え、その奥の煉瓦を半分ほど掘った時のことだ。
スプーンが折れてしまった。
だがそんなことはもうどうでもいいことだった。
アルミの皿と指で掘るしかないじゃないか。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
来る日も来る日も。来る日も来る日も。
そして指先に、ある僅かな蝕感を感じた。
煉瓦がほんの少し奥に動いたのだ。
丁寧に、徐々に力を指先に注いでいくと煉瓦は奥に押すことができた。
煉瓦が落ちた。
そこから一斉に流れ込んでくる空気の御蔭で春の匂いが立ち込めた。
なんと芳しいことか。
私の全身の細胞は久しく忘れていた感情を思い出した。
するといくつかの煉瓦が崩れていき私の頭が出せるほどの穴になった。
夜なのだろう。穴の向こうは塔の中程ではないが闇に包まれていた。
屋根づたいに城壁まで行けそうなことを確認すると、私は穴を広げるべく次々に煉瓦を押し出した。そして、遂に私は自分の胴が抜けられそうな穴を作り、塔から抜け出すことに成功した。