この都会の営みの中で
「違うわよ。懐かしいじゃない。この東京でわたしの町を知ってるのは、わたしの周りでは、あかねと彼だけだもの」
「随分と狭い世界だこと」
あかねは笑って自分の部屋に下る
「日曜ありがとうね。泰葉も頑張りなさいよ。彼氏が出来ればわたしも色々と頼みやすいしさ」
そんな事を言って襖を閉めた。それを見つめながらLINEをしてみた
『明日は宜しくね!』
返信は期待していなかったが一時間過ぎても既読にならなかった。LINEを開いていないのだろうか、少し気になった。
「まあいいか。明日になれば逢えるから」
そう考え直して床についた。
翌日曜、泰葉はあかねの事を考えて少し早く家を出た。自分が出た後で色々とやることがあるだろうと考えたのだった。
日曜は電車も驚くほど空いていた。それでも自分の育った町よりか人は多かった。
「そうだよね。東京だものね」
そんな言葉が自然と口をついて出た。
大学の正門に行くと既に水島が待っていた。すぐに泰葉の姿を認めると
「ごめんね。LINE貰っていたのに返信出来なくて」
「何かあったのかと思っちゃった」
「実は、大学で逢った翌日にスマホを落としてガラスを割ってしまったんだ。それで修理に出していたのだけど、代替え機が機種が違っていてね」
「そうか、納得した」
「でも、今から考えると電話すれば良かったのだと今朝になって気がついたよ」
「それで治ったの?」
「うん、今朝取って来た」
蓮葉はLINEを立ち上げると先日のメッセージに既読がついていた。
「何処へ行く? それよりお腹空いたかな?」
水島に言われてそう言えば朝食も食べていない事に気がついた。お腹に手を当てると
「じゃあ、何処かに入ろうか」
水島はそう言って通りの方に歩いていく。泰葉も一緒に歩き出した。
「何が食べたい?」
「う~ん。うどんが食べたい!」
「うどん?」
「うん。だって東京に出て来てから田舎のようなうどんは食べてないから、お汁が透き通ったうどんが食べたいな」
水島は泰葉の希望を聴いて少し考えてから
「じゃあ、僕の家の近所のうどん屋で良い?」
「え、水島くんの家の近所なの?」
「うん。そこに同じ街の出身の人がうどん屋を営業してるんだよ」
「そうなの!」
「だから僕は幼い頃から、その店でうどんを食べていたから、町に引っ越しても食生活は困らなかったんだ」
そう言えば、あの頃水島は東京とは違う町の味付けにも、すんなりと受け入れていた事を思い出した。親戚でさえも違う地方に住んでると町の味には馴染めないものなのに……。
「水島くんの家って何処?」
「地下鉄ですぐだよ。荒川区の町屋と言う街さ」
地図の上で、そんな所があるのは知っていたが、まさか自分が東京に出て来て早々そこに行くとは思わなかった。
大学の最寄りの駅から地下鉄に乗ると車内は空いていた。車両の中ほどに並んで座った。反対側の黒い窓に二人の姿がくつきりと映っている。それを見るとまるで恋人同士に見えた。心の中でピースをする。
「町屋は俗に下町と呼ばれる地域でね。狭い道の左右に沢山の家が立ち並んでいてね。都会的じゃ無いけど、家だけじゃなく人と人も近い距離で生きている街なんだ。東京でも田舎みたいな場所だよ」
初めて聞く水島の心の内だった。
「下町なのに?」
「下町と言うのはさ、本来は城下の町と言う意味なんだ。だから江戸の場合は江戸城だから、そのすぐ下の町と言うと神田や日本橋となるんだよ。ぜいぜいが本郷までなんだ。むしろ町家なんて在だよ」
「在って?」
「田舎と言う意味さ」
水島はそう言って笑った。その横顔を見て泰葉は水島に改めて好意を持った。
地下鉄を町家で降りて、五分ほどの場所に目的のうどん屋はあった。暖簾には「町屋庵」と染め抜かれていた。水島は慣れた感じで暖簾をくぐる。泰葉も後に続く
「いらっしゃい! 毎度。お、今日は彼女連れかい。やっとだなぁ~」
いきなり店の親方の声が掛かる。
「違いますよ。彼女、親方と同じ町出身なんですよ。この春出て来たんです。今日は田舎のうどんが食べたいと言うから連れて来たんです」
泰葉は自己紹介をした。
「初めまして、同郷の神城と申します」
そう言って頭を下げると親方は
「神城……って、棚田の神城さんかい?」
「はい、そうです! 棚田の神城です!」
「そうかい! 誠司さん元気かい?」
「はい父は元気です!」
「そうかい、じゃあ、あんたもしかして泰葉ちゃん?」
「え、わたしを知ってるのですか?」
「ああ、何回か会った事あるよ。さあ座りなよ。それなら特別なのを作ってあげるから」
親方はそう言って張り切って厨房に入って行ってた。
水島と泰葉は店の端のテーブルに向かい合って座った。店の人が水を持って来てくれた。
「注文は親方任せで良いですか?」
「はい、お願いします」
水島はそれだけを店の人に伝えた。
「ねえ。そう言えば今日は、中学の頃好きだった人の事教えてくれる約束よ」
泰葉の言葉に水島は少し考えてから
「約束だからね。仕方ないな」
そう言ってコップの水を一口飲むと
「その人は客観的に見ると、特別な美人では無かったかも知れない。でも僕にとっては特別な存在に思えたんだ」
そう言って泰葉の目を見つめた。その仕草が特別な意味を持っているとはこの時は未だ思っていなかった。
「それで」
泰葉が催促をすると水島は
「ちょっと控えめでね。それでいて傍に居て欲しいと思った時は必ず傍に居てくれた子だった」
水島は、その頃の事を思い出したのか、少しはにかんだ表情をした。
「クラス委員だった浅野ゆう子ちゃん?」
「全然違いますねえ」
水島の目が一層嬉しそうになった。そこまで行った時にうどんが運ばれて来た。青いネギに街の特産の竹輪の天麩羅が乗せられていた。他にも山でたくさん取れるゼンマイの煮たものが器の端に乗せられていた。勿論お汁は澄んでいる。そっと器を両手で持って口に運んだ。
「この味! そうこの味なの!」
「昆布と鰹節とジャコで取った出汁だよね。僕も好きなんだ」
うどんも柔らかいのに腰がある町のうどんだった。
「徳島のうどんも腰があって好きだけど僕はこのぐらいが丁度いいな」
水島の言葉に泰葉も頷き
「おじさん! サイコーに美味しい!」
そう調理場に答えると親方は嬉しそうに頷くのだった。
支払いをしようとしても、
「同郷だからこの次から貰うよ」
そう言って受け取らないので、二人とも何回も礼を言って店を出た。
「あ~お腹いっぱい。何処かで休みたいな」
「じゃあ近所の公園にでも行くかい。ちょっと変わってるけど」
「変わってる? なあに」
「行けば判るよ」
水島は地下鉄の駅の横に走っている都電に乗った。上を見ると電車が走っていた。
「京成線だよ」
泰葉はちっとも田舎では無いと思った、地下鉄の他に都電や私鉄まで走っている。泰葉の田舎の町とは大違いだと思った。
都電を二駅で降りた。目の前には大きな工場みたいな建物がある。階段があって上に登れるようになっている。
「下は下水処理場だけど、この上は大きな『荒川自然公園』と言う公園になってるんだ」
作品名:この都会の営みの中で 作家名:まんぼう