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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅶ

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「日垣さんの読みは外れたようですね。珍しいこともあるものです」
「ヨミ?」
「日垣さんは、このひと月ほど、おひとりでいらしてましたが、先週でしたかな、言っておられたんですよ。鈴置さんは新しい『隠れ家』を見つけたんだろう、って」
 美紗は、不思議そうにマスターを見た。隠れ家と思う所は、このバーだけだ。あの人に連れられて来たこの場所は、ひとり自宅にいる時よりも、なぜか心が落ち着く。
「自分の役目は終わったらしい、とおっしゃっていましたね」
「役目、ってどういう……」
「さあ、詳しいことは存じませんが、日垣さん、安心したような、少し寂しそうな、お顔をしていましたよ」
 六十代とおぼしきマスターは、目を細めてクスリと笑った。そして、美紗が更に何かを問う前に、カウンターの上に置かれたままのカクテルメニューを指し示した。
「今日も、『いつもの』ですか?」
 頷こうとして、ためらった。今夜は、マティーニのカクテルグラスだけが独りぼっちで佇むのを見るのは、なんだか、辛い。
「今日は、別のものを……」
「何にいたしましょう?」
 問われて、カタカナが並ぶメニューを開いても、マティーニの代わりを急に選ぶことはできなかった。
「私どもに『お任せ』というオーダーの仕方もありますよ。ベースとなるお酒の種類や味のお好みをおっしゃっていただければ、お客様に合いそうなものをお作りいたします」
 沈黙したままの美紗に、マスターは優しげにそう言うと、「少しお待ちを」と軽く頭を下げた。そして、カウンターの外に出て、店の奥へと歩いていった。その姿を横目に見ながら、美紗は大きく息をついた。八嶋香織は、少なくともこの一か月、この店に来てはいないらしい。妙な安心感で、体の力が抜けそうになった。

 マスタ―は、三十代前半と思しき年齢のバーテンダーを連れて、カウンターに戻ってきた。
「鈴置さん。こちらは、最近うちで働き始めた新人でしてね」
 マスターに続いて、物腰の柔らかな声が、
「初めまして」
 と、美紗に挨拶をした。