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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅶ

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 盆正月や連休に彼が家族の元へ帰るのを、これまで特に意識したことはなかった。美紗が日垣と二人で会うのは、月に数回、金曜日の夜の数時間だけだ。それが当たり前のことだと思っていた。休みの日に彼の傍にいたいなどと願うことはなかった。

 今、日垣貴仁は、東京から九百キロほども離れた、見知らぬ場所にいる。

 無性に彼を感じたくなった。美紗は、久しぶりに、自宅とは違う駅に向かう地下鉄に乗った。車内に大きく響く走行音が、突然湧き起こった焦燥感にも似た感覚を、じわじわと増幅させていく。途中で一度乗り換え「いつもの駅」に着くと、「いつもの階段」を早足で上り、地上に出た頃には小走りになっていた。
 今夜、「いつもの店」に日垣貴仁は来ない。溢れそうになる想いを抑えられるかと、不安に思う必要もない。彼を慕う女性が姿を見せるのではないかと、怯える必要もない。今夜だけでも、彼のお気に入りの空間で、彼の気配に身を寄せていたい。
 空が夕方らしい色へと徐々に変化していく中、交通量の多い四車線の大通りを走り、すぐに細い路地へと入った。突き当りにある十五階建ての雑居ビルにたどり着くと、ちょうど一階に来ていたエレベーターに乗った。美紗は、階数ボタンを押して、大きく息をついた。日が傾いているとはいえ、真夏の街中を急いだせいで、目まいを感じるほど息が切れ、かなり汗ばんでいた。
 いつもの店がある十五階のフロアは、ほんのりと空調が効いていたエレベーターの中よりも、かなり涼しかった。生地の薄いフレアスカートのスーツの上から、人工的な冷気が、美紗の体をすうっと冷ましていく。
 頭がすっきりしてくると、急に些末なことが気になりだした。落ち着いた雰囲気のバーに汗だくで登場とは、なんとも可笑しな姿に違いない。マスターはどんな顔をするだろうか。このひと月ほど店に来なかった理由を、なんと説明したらいいだろうか。
 ついさっきまで小走り気味だった足が、徐々にゆっくりになり、店の入り口で完全に立ち止まった。