広瀬川にかかる橋
二時間待ちと言うけど、ひょっとしたら新幹線が動き出すかも知れないじゃないか、だったら無闇に動くより良いかも知れない、そう自分に言い聞かせて。
9:12
ようやく振替輸送のバスに乗り込んだ。
それまでに架線が復旧するのではないかと言う淡い期待は、結局期待止まりに終わり、役目を果たせないカモノハシも心なしかシュンとしているように見える。
車掌の説明どおり、道路はかなり混んでいて、バスはのろのろとしか走れない、仙台行きの高速バスを検索して見ると、次の便は9:40とある、この様子だと間に合うかどうかやきもきする、土地勘があるわけではないので、今どの辺りまで来ているのか判らないだけになおさらだ。
案の定、郡山に着いた時には十時を少し回っていた、次の高速バスは十一時ちょうど。
ここで一時間も無駄にしたくはない、何しろ沙織との記念日になるべき日なのだ。
この数ヶ月というもの、頭の中で綿密にストーリーを組み立て、スケジュールを確認してきた一日なのだ、一時間遅れれば一時間分のストーリーとスケジュールが霧散してしまう。
バスが駅前ロータリーに到着する寸前、レンタカー屋の看板が目に止まった。
あれだ! バスよりもスムーズに仙台につけるはず、多少金は余計にかかるが、今日と言う日の一時間は金に代えられない、プライスレスの一時間なのだ。
星彦は、バスを降りるなりレンタカー屋に走る。
その星彦とすれ違うように、ちょっと古ぼけた小型車がレンタカー屋の駐車場から滑り出す……嫌な予感がした……。
「申し訳ありません、たった今最後の一台が出てしまったところでして……」
悪い予感と言うのは得てして当たる……。
星彦はとぼとぼと駅に向かい、高速バスのチケットを買った。
とりあえず十一時まではどうすることも出来ない……。
ガッカリすると同時に空腹を覚えた、そういえばまだ朝食を摂っていない。
きちんとした食事をするには時間が半端な上に、たいていの食堂は十一時開店。
星彦はハンバーガーショップに入ると、沙織に電話をかけた。
「もしもし」
「あ、星彦さんね? 今どこなの?」
「郡山の駅前、次の高速バスは十一時なんだ」
「そう、大変だったわね」
「遅れてごめん」
「そんなことないわ、星彦さんのせいじゃないもの、私は家で待ってるから気にしないで」
「うん、でも昼過ぎには着けると思うよ」
「大丈夫、何時までだって待ってる」
「ありがとう、じゃあ、また後で」
「ええ、また後で」
かなり落ち込んだ気分だったが、沙織と話すと少し元気が出る。
星彦はハンバーガーを食べ、アイスコーヒーを飲み干すとバスターミナルに向かった。
そのころ、皮肉なことに、星彦を仙台まで送り届けるはずだったカモノハシは再び活力を得て線路の上を滑るように走り出していた……。
11:00
星彦を乗せた高速バスは定刻どおりバスターミナルを発車した。
なんだか『定刻どおり』に無闇にほっとした気分になって、ちょっと可笑しくなった。
まあ、多少混雑しているにせよ、このバスが自分を仙台駅まで送り届けてくれるのだ。
仕事柄、交通機関は色々と利用するが、自分が移動しているのではなく、乗り物に送り届けてもらっていると言う感覚になったのは子供の頃以来かも知れない。
12:15
バスが走り始めて一時間ほど、福島飯坂ICを過ぎたあたりでしばらく新幹線と併走する。
と、快調に走る新幹線が眼に飛び込んで来る。
「マジかよ……無駄にあがいちゃったな……」
そうつぶやいて、沙織にメールを打とうとスマホを手にした瞬間だった。
追い越し車線をタンクローリー車が猛スピードで走り抜けて行く。
一瞬、バスが引き寄せられたほどだ。
(危ねーなぁ……)
そう思った瞬間、前を走っていた幌付きトラックが吸い寄せられる。
「あっ!」
そう叫んだのは星彦ばかりではなかった。
やたらと空気抵抗を受けそうなトラックはバランスを失い、タンクローリーと接触、二台がもつれ合うように横転したのだ。
キィィィィィ!
バスは急停車、乗客の誰もが緊急事態を感じる急ブレーキだった。
「タンクローリーからガソリンが漏れ出してる! 逃げて下さい! なるたけ遠くへ逃げて! 爆発する!」
運転手の叫び声は緊迫感に満ち満ちていた。
丁度非常ドアの脇に座っていた星彦、さすがに乗り物に慣れている。
さっと座席を倒すと非常ドアを開ける、と、乗客が殺到した。
「押さないで! ひとりづつだ!」
星彦の叫び声にもかかわらず、一人のおばあさんが押されて道路に倒れ込む。
「ああ……、もうっ」
星彦自身も早くバスから離れたいのは山々、しかし、見捨てることも……。
「おばあさんっ! おぶさって!」
星彦はおばあさんを背負うと、懸命に走る……走る……。
ドォン!
ゴジラの足音はこうなのではないかと思うほど、地を揺るがす轟音と共にタンクローリーが爆発した。
爆風に押されてバランスを崩す、しかし、おばあさんを背負っているので転がるわけにも行かない、星彦は膝をついてワンクッション置くと、身を投げ出すようにうつぶせになり、傍らに伏せたおばあさんに上着をかけてやって、二度目、三度目の爆風をやり過ごす……。
どうやら爆発は収まったようだ、身を起こして振り返ると、次の瞬間にはさっきまで乗っていたバスが炎に包まれている……その光景を見ると体から力が抜け、しばしの間呆然と炎を見つめていた。
「ありがとうね、上着が台無しになっちゃったね」
おばあさんが上着をはたはたとはたきながら言う。
「あんた、命の恩人だよ……膝も破けて血がにじんでるし、髪の毛まで土ぼこりだらけになっちゃったね」
「うん、まあ、でも大丈夫、おばあさんはどう? 怪我はない?」
「転んだ時に足首をくじいちゃったみたいだけど、ここまで連れてきてもらってれば大丈夫さね」
確かに、まだ炎は上がっているものの、最初の勢いは既にない。
「あのバスを見なよ、身の毛がよだつねぇ」
「確かに……」
バスは既にフレームを残すのみ、そのフレームも熱でぐにゃりと曲がっている。
「あんた、名刺かなんか持ってないかい? お礼をしたいよ」
「いや、そんなつもりで助けたんじゃないから……」
「じゃ、せめて名前を教えておくれ、毎朝拝むからさ」
「ははは……神様じゃないんだから」
「いや、あたしにとっては救いの神さね……ん? 名字は有田だね?」
上着のネームを読んだようだ。
「名前の方は? 教えておくれよ
「星彦、有田星彦って言うんですよ」
「星彦……彦星の逆さだね」
「ははは、良くそう言われますよ……実は織姫にプロポーズに行く途中なんですよ」
「あら、そうかね! じゃあ、プロポーズが上手く行くように拝んどくよ」
「ええ、それは是非ともお願いします」
爆発は反対車線の車まで巻き込んでいて、高速道路は完全封鎖状態。
消防車や救急車も現場に向かえない様子だ。
(この先、どうやって進めば良い?)
そう考えてポケットに手を入れると……スマホがない。
(しまった! バスの中だった……)