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ヘケラン西中
ヘケラン西中
novelistID. 61877
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ニートが親を殺すストーリー(やや、ノンフィクション)

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物心ついたときから、幼稚園に行くときも駄々をこねていた。
小学校のときもそうだ。最初は、刺激的だから、続いたのかもしれないが、
1、2年と、立つうちに、少しずつ、ズル休みをしたいと思うようになった。
その気持ちも時間とともに、より強くなっていった。

ある日、嘘をついて休んだのが母にばれて、家の手伝いをやらされた。

そのうち、母に、ズル休みを、疑われるようになり、休むなら、自分で手続するように、
あしらわれたこともあった。

その頃の私はダダのこね方もエスカレートしていて、母も諦めていたのかもしれない。
定期的にズル休みをした。


学校を休んで何をしていたかというと、
テレビでNHKの教育テレビを見ることだった。

他の番組とちがって、独特のものがあって何故か引き付けられた。
病弱だった幼児の時から、1日中みていたし、落ちついた。子守唄のようなものである。
過去の放送もビデオテープに録画して繰り返し何度も見ていた。

学校で嫌なことがあったのか考えてみるけど、無いことのほうが多かった。

1年中イジメっぽいものをされたこともあるけど、
負けず嫌いだったし、イジメ相手もちょっと普通とは違っていていたんだ。、

相手は不良だったけど、一切の暴力はしてこなかった。
相手は体格が小さいから、争いは怖がっていたのかもしれない。
いじめっ子は、靴をかくしたり、椅子、を隠したり、悪口を言いふらしたりしてきた。

クラスで自分一人が目立っていることに、妙に恥ずかしさと、情けなさを感じていた。
プライドが傷ついたというべきなのか。。。

1度、あまりに腹が立って殴ったこともあったが、
これだと、ケンカ両成敗ということで、先生に叱られるだけだった。

先生は、今度、何かされたなら私に言いなさいといった。

いじめっ子は、殴られることを理解したはずなのに、懲りてなかった。

うんざりした。しかも、虐めっ子とは偶然、同じ班になってしまった。

先生の言うことを信じてみた。
毎日、ことあるごとに、先生に報告した。
そのお陰で次第に、いじめが無くなっていった。
そこまでは良かった。
けれど、先生にいじめっ子たちが怒られるのを見ることに、妙な快感を覚えてしまった。
元々素行の悪い、不良な、いじめっ子だから、掃除はしない。授業中うるさい。他の生徒を苛める。

素行の悪さについて、その度に先生に報告した。
けれど、素行の悪さが変ることはなく、終わることない、報告が続いた。

先生は無力だった。

気付くと、チクリ魔というあだ名が、不良たちの間でつけられていた。

今度は、先生がウンザリしたのか、
「貴方は良く気がつく子だから、今度は、あの子達のことは、暖かい目で見守ってくれ」と、・・・
子供だったから、その言葉の全く意味が分からなかった。

いずれにせよ、もう、先生にチクル快感は得られなくなっていたし、嫌がらせを受けるだけだったので、
チクルことも止めた。

学年が変り、先生が変った。
いじめっ子とも、クラスが変った。

僕は、その頃、調子に乗ってしまった。
チクル快感がわすれられずに、だれかれ構わず、素行の悪い人をチクルようになった。

暴力的な不良に、ボコボコされてしまった。
僕はケンカを知らなかった。

その不良は、ケンカ慣れしていて、まずは、左目をつぶしてきた。
何も見えなくなった。、何度も何度も左目のみを殴ってきた。
繰り返される、目だけの、攻撃に、失明の恐怖を覚えた。

もはや、左目の感覚はなかった。痛みも感じなかった・

僕は、恐ろしさに、どうすることもできなかった。
やり返したが、まったく攻撃があたらない。

運良く、クラスの皆が助けに入ることで、灘を逃れたみたいだけど、
気付いた時には、泣いていて、皆の顔を見ないようにした。

男として皆の前で、負けるというのは、とても悔しかった。
男として下だと皆に知らしめているようで、恥ずかしかった。
その時の僕は、とにかく、立ち直れなかった。

それからと言うもの、ごく親しい人間を除いて
人の視線が気になって仕方なくなっていた気がする。

その後、僕は、名門の進学系高校に入学する。
僕は、ここで新たな友達を作ろうと、はりきった。
中学時代は、知り合いがたくさんいたけれど、人の視線が気なる感じで、上手く言葉が
話せなかった。
だから積極的に、話しかけた。
そうして直ぐに友達ができた。うれしかった。

けれど、それは、長続きしなかった。
僕は、ある日、風邪をこじらせ、休んだ。。
3日休んだ結果、その親しくなったであろう友達に、溝を感じた。

その友達には、新しい友達が出来た。
そは良いことであるが、3人で会話すると、僕だけ、全く話題があわなかった。
寂しいと感じるのは普通かもしれないが、僕の感覚では
悔しい、という感覚もあった。

「蔑ろにされている気がした」


人間関係では、良くあることだったから、納得しようと思った・・・

けれど、その友達は、僕と二人で居る時よりも、
その友達同士で居るほうが、明らかに幸せそうに見えたから

一緒にいると、悔しい思いをするだけだから

だから僕は、一から、別の友達を作ろうと思った。。
けれど、僕にはその友達しか、いなかったし、周りを見渡せば、既に、仲良しのグループやカップルができあがっていた。
僕は、その輪に入ることができなかった。

「必要とされていないから、今こうして一人なんだから」
とはいえ、当時の僕は、その様な自覚はなかった。蔑ろにされてるとか、悔しい気持ちも
「寂しい」という思いの方が強くて、隠れて認識できないでいた。

だから、僕は、諦めずに、あがいた。
今日こそ、だれかに、話しかけようと、行動をした。

でも、どうしても、勇気が出せ得ない。会話の一戸が出せない
どうしてこんなに、物事を深く考えてしまうのか、マイナスに考えてしまうのか、自問自答ばかりした。


どうしても、自分から近寄って、心を開くというのは、
プライドが許さない。

まるで、群れを作らないと生きていけない弱い人間である、気がしたのかもしれない。
実際、クラスでも1人で平気そうなやつもいた。
そういう一匹狼は、一人でもなんともないし、きっと自分だって、何ともないはずだ。

とりあえず、出席日数さえ稼いで、いい大学に入って就職さえすればいい。
僕は、そのように考えて日々を過ごすようになっていた。


けれど学校は楽しくない。特に休み時間が辛い、、人の会話の騒音が、雑音として聞こえなかった。
楽しそうなグループの雰囲気をみてしまうと
自分だけが取り残されたような孤独感を得た。

クラスにいると、孤独を感じて、人として情けない自分を感じる。
それが地獄だと当時の僕は認識していた。

弁当は、一人で食で食べる。それが地獄の様に虚しいとは知らなかった。
味も感じる事など、できずに、呑みむのに、苦痛を感じた。

便所弁当という、便所で食ったりすれば良かったのかもしれないが、
その発想は当時の僕には無かった。似た境遇の存在が近くに居なかったから。
教室から出る事自体、負けを認めてる様で、逃げてるようでカッコ悪くて、我慢しかできなかった。