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ヴァシル エピソード集

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なぜわからないのかと、ファランは嘆いた。なぜ、こんな場面になってもそんな風に穏やかに笑っていられるのかと。そしてこんなに穏やかに悲哀をたたえた笑みを浮かべる相手を、なぜ民衆はなぶり殺しにしようなどとと思えるのかと。
木の根の結界に火がかけられる。
「やめなさい……。やめろ、彼が死んでしまう……!」
しかしファランは左右から押さえつけられ、身動きもできない。
炎が目の前でヴァシルを包む。
民衆が喝采を揚げる。
しかしその声は次第に恐怖へと転じる。
炎の中で、ヴァシルは表情も変えず、苦しみ悶えることもなく、そこにいた。
焼けたのはヴァシルを包んでいた木の結界のみ。それ以外なにも焼けることなく、彼には傷一つつくことなく、彼は魔法陣の上にたたずんでいた。
「ま、魔法陣は消えちゃいない! とっつかまえろ!」
ひきつった声が民衆を恐怖から立ち直らせた。ヴァシルがうっすらと結界の中で嘲るような笑みを浮かべた。

ヴァシルは何重にも封印を施された牢の中にいた。正直、それでもヴァシルにとって封印を破ることなど造作もなかった。しかし、自分からわざわざそれを破る気にはならなかった。
破ってしまえば今度こそ、周囲に害を及ぼすだろう。それはヴァシルの望みではなかった。
ファランという司祭が、最後までヴァシルのことをガルグの長だと信じてはいなかった。
彼に害が及んでないといいのだがと思いつつ、しかし自分が何か手出しをすればよけいに悪い方に流れそうな予感もして、なにもできないことが歯がゆい。
これからいったいどうなるのかと言うことは、ヴァシルにとってはどうでも良かった。どうなろうと未来に意味などなかった。罪を明らかにされ、罰を与えられるというのならその方がいいとすら思っていた。
ヴァシルにとって未来とは、贖罪の道でしかなかった。誰への、と問われれば答えは決まっていた。
ただ本当に、その道に部外者を巻き込むことだけは、本意ではなかったのだ。
「ガルグの長」
閉じこめられてからどれほどの時が過ぎただろう。余りに静かすぎて何も音沙汰がないことにヴァシルがいぶかしみ始めた頃、ようやくその男がヴァシルの前に現れた。
「ちょっと想定外の事態が起きたが、やっとお前さんの相手ができるぜ」
男はそう言って笑った。下びた笑いだと思った。
「ファランがだだをこねてきやがるもんだからなぁ、説得するのに時間がかかっちまった。まあでもおかげでお前の非道さを演出するのにちょうどいい材料になってくれたけどな」
「何を言っているんです……」
「ガルグの長によって精神を破壊された聖職者、ってのはなかなかに悲劇だとおもわねぇか?」
ざわりと背筋が粟だった。
「あの方に、なにをしたんですか」
「勘違いしてくれるなよ。何かしたのは俺たちじゃない。お前なんだ」
「何をしたと聞いているんですよ、私は!」
ばちりと体の周囲で火花が散る。
「今更抵抗したって無駄だ。この何重もの結界が、破れるわけ……」
相手が言い終わる前に闇の目を辺り一帯に張り巡らせた。闇はヴァシルの忠実な僕だった。闇があるところなら、ヴァシルはどこにいても同様の感覚を得ることができる。
結界があろうと関係がなかった。そもそもこんなちゃちな結界でヴァシルを拘束できると思う方が間違いと言うものだ。
しかし目はその力を対して遠くまで及ばさなくともその姿をとらえた。隣の部屋に彼はいた。しかしぐったりと椅子に身体を投げ出して、目は焦点を結ばず、譫言のように意味もない言葉を繰り返す。
「壊した……? あの方を? なんということを……!」
ヴァシルは激高した。闇が辺り一帯を覆い尽くし結界を飲み込んだ。周囲は光から遮られ、男がその中で出口を探して逃げまどう。
ファランは、純粋な聖職者だった。心の底から他者の幸福を願える希有な人物だった。だというのに。なぜ。
「私が関わったからだと言うんですか? それが私に与えられる罰だと!? だとしたら私はなんのために存在するんですか。あの方のような人間を、こんな目に遭わせるためだとでも……!」
叫ぶ中で闇が急速に収束する。取り込まれた闇の中で男が闇に押しつぶされもがき、苦しむ。
「私はやはり破滅しか呼ばないんですか。私には、他者を幸福にする権利もないというのですか……! 私はなぜ、この世に存在するのですか……!」
「ひぃっ、た、助けてくれ!」
「助けてくれ? 貴方にそんなことを言う権利などあるのですか? 私が貴方を責める権利は確かにありません。でも、貴方がしたことが赦されていいという道理もないんですよ! 貴方は私と同じ穴の狢です。貴方は赦されてはならないんですよ。私と同様に!」
ぎりぎりと絞る闇の触手に押しつぶされていく男が白目をむく。そこでヴァシルははっとした。
「けれど、私が貴方の罪を裁いて良いという道理もありません……」
闇が晴れる。ヴァシルは男を見下ろした。
「せめて貴方に呪いを送りましょう。生涯、貴方の犠牲者から呪われ続ける呪いを」
目を見る。紅の瞳が男の目の中に映り込む。ヴァシルの意識が男の意識を支配した。

隣室でうなだれた青年司祭の元に、ヴァシルは歩み寄った。音を聞いても、彼は顔を上げない。ヴァシルの姿をその目に映そうとはしない。純朴な笑顔は消えてしまった。
ヴァシルは嘆いた。その頬をなで、額を胸に押し当てた。
なぜこんなことになるのだろうと悔やんでも悔やみきれない。
そのうつろなまなざしを、見つめる。焦点を合わせることのない目に、わずかながらにぼやけたヴァシルの姿が映り込む。
「ファラン様。どうか私の目を、見てください」
いかにヴァシルでも、壊れた心を元に戻すことはできない。せいぜい記憶を上塗りしてやるか、いっそまっさらな状態にしてしまうか。しかし上塗りした記憶ははがれやすい。
できることならけれど、彼には忘れてほしくない。ほんのわずかであったが、楽しい日々だった。それをわすれてほしくはない。けれど、記憶のほころびは、いつかまた彼を闇の縁に突き落とす。
「私は、貴方に幸せをいただきました。それを忘れたくはない。貴方に忘れてほしくもない。でもそのせいで貴方が苦しむというのなら、どうか、どうか、何もかも忘れてください。それが私の、願いです」
目を合わせる。その中にぼやけて映り込むヴァシルの姿が、一瞬くっきりと像を結ぶ。しかしそれは、一瞬でしかなく、その直後には、完全に彼の中から消えていた。

青年は砂漠の街にいた。ファランという名も忘れ、小さな店を営んでいた。独りである寂しさを癒したいと願っていた。
男はそんな青年を、気付かれないように闇の中でじっと見つめていた。もう二度と関わることはないと決めた。無関係の彼をもう二度と巻き込んでしまいたくはないと。
けれどでも、忘れ去ることは難しい。離れればむしろ、恋しさが募る。
「貴方も本当に、馬鹿ですね」
傍らで銀色の髪の少年が苦く笑った。
哀れんですらいるような、顔だった。
ヴァシルの顔は沈んでいた。
「所詮、交わってはいけない道だったんですよ……」
「そうかもしれませんけどねぇ。でも、大切なものを頂いたんでしょう?」
静かにヴァシルはうなずいた。胸に残るどこか温かいもの。それだけが、ヴァシルに残されたものだった。
作品名:ヴァシル エピソード集 作家名:日々夜