ヴァシル エピソード集
+ステイへの想い
かつて私には、たった一人だけ、愛した人が、いたんですよ。
たぶん愛していたんだと思います。その割には、相当あの方には酷い行いを繰り返してしまったと思いますが。
そうですね。あれは私たちの主を生みだすために、愚かな争いを繰り返していたときのことでしたよ。
主をやっと生み出すことができて、覚醒も安定して、そんなときふと漂ってきた気配に、私はいたずら心を起こしたのですね。私の悪癖です。
その方はあまりに美しく、不安定であった。
実際はほんのちっぽけな、ただの人であるというのに。なんのためかとてつもないものを背負っていらっしゃいましてね。
だからつい、その方に手を出してみたくなったのですよ。
その方の本当の姿をさらけ出すことができたなら、どうなるのか、とね。
けれどその行いは当然間違いであったのですよ。
次第に手放すことができなくなっていました。
手足をもいで檻に閉じ込めても、あの方は私に屈することはなかった。どんな辱めを与えても、あの方は潔く私を拒絶した。
ふふ、愛することと壊すことは似ていると思いませんか?
私はどうしてもその方を手に入れたくなった。けれどその反面、恐ろしくなっていたのかもしれません。
私はある時、あの方を遠ざけたのです。
ちょうど我らが主との争いが結末を迎えたのもその頃でした。
私は一度滅んだのですよ。いえ、肉体はほろびませんから正しくはありませんね。
我らは主によって生み出されました。主の欠けた心を分け与えられて。
けれど主がその心の欠けた部分を手に入れた時、私たちもそれを手に入れたのです。
欠けていたのは、ひとを愛すること。愛されると言うこと。
私たちはそれまで人を憎悪し軽蔑し、恐怖を与える、それを生命の糧として生きていたと言うのに。そんなものを与えられてしまったら、どうなるとお思いです?
私たちは皆壊れてしまったのですよ。
与えられた愛によって芽生えた罪の意識に、耐えられないものは皆、壊れて消えて行きました。
私自身それから長いことその感情と言う物の芽生えを否定して生きていました。
主は自ら生み出した者たちに、自ら死を与えることはしなかったのです。
それがどれほど苦しかったか。
主を憎みもしました。この手で殺めようともしました。けれど、そのどれも、できなかった。
やっとのことで自分の罪を認めることができたのはそれからずっと長い年月が過ぎてからのことです。
人々がその争いを伝承としてしか記憶に残さなくなった頃のことです。
そしてその頃には、私は一つの感情に気づいていたのです。
私は主にその感情を与えられる前に、既に自分自身でそれに気づきかけていたことに。
あの方を愛していたことに。
けれど気づいたとしても、もう遅かったのですよ。
あの方はどこにも、もうどこにもいらっしゃらなかった。
どれほど求めても、どれほど焦がれても、あの方はもう私の手の届くところには、いらっしゃらなかった……。
私は、大切にしなければいけなかったものを、全て失っていたのですよ……。
本当に愚かだったと思います。
けれど、たとえそこにいらっしゃったとして、私は何を求めたと言うのでしょうね。
許しなのでしょうか。
そんなものをあの方が、与えてくださるわけもないと言うのに。
でも願わくば、許していただきたかった。
そして今度こそ、あの方を愛することを許していただきたかった……。
ええ、叶わぬ願いですね。
愚かな男の、愚かな後悔ですよ。
お話を聞いてくださってありがとうございました。
貴方はもうおわかりかもしれませんね。私が何者か。
ええ、私はヴァシル。かつて闇の一族を率いていた者。
すべてを破滅に導こうとした者。
今は、そのただの抜け殻かもしれませんが。
けれどでも貴方が私を討とうとするのは自由です。
私は逃げも隠れもいたしません。
貴方にとっての最善の選択をなさってください。司祭殿。
それでは。また。
作品名:ヴァシル エピソード集 作家名:日々夜